「色即是空」。色すなわちこれ空。逆に「空即是色」もある。

仏教の大きな教えの一つ。仏教も歴史が長くいろんな解釈がされてるが有名な般若心経にでてくる考え方。

色とは物質の事で、目に見える物事。また欲望の事。

空とはからの状態。無であるという事。何も無いという事。

つまり色即是空は、見に見える全ての物事や欲望は何も無い無の状態である。という教え。すぐに「???」となる。それもそのはず。実際に目に見えて手に触れられて、匂いもする。それのどこが「無」なんやと??

そこには色という言葉が非常にナイスチョイスされてる考え方が説明としてある。「色」という文字通り目に見えるものには色が付いている。逆に目に見えないものには色が無い。じゃー空気や水はどうなるかというと色はないけど実際触れられるし感じる事が出来る。空気や水は限りなく空に近い存在。

科学で言うところの原子。全ての物質には原子がある。原子は小さすぎて目に見えない。これこそが「空」そのものと言ってもいい。空気も酸素や二酸化炭素や窒素などが集まってできてる。その元はO2やCO2などの元素が集まってる。元素の元になってるのが原子。科学が嫌いな人にはわかりにくい話。でも何かの「物」にはその構成してる元に元素があってその元素の元に原子があると言うこと。

原爆というものがある。これは原子を研究して原子の持つパワーを兵器にしたもの。神の兵器とも呼ばれていて、原子こそが「空」であり神であるという考えもある。ちなみに現代の科学でも原子に関しての研究はまだまだ発展途上。これがどんどん研究されていろいろな最新技術が生まれているのが現代。

つまり目に見える物質(色)の元は全て原子(空)であるというのがこの話の本筋。その原子が集まって形となり色を持つ。形を持つものは全ていずれ無くなる。諸行無常と言われいつか「色」褪せてしまう。

真理という言葉がある。本当の、永遠に変わらないであろう考え方の事。そういう意味で言うと諸行無常は真理。太陽が東から昇り西に沈む(北半球で)というのは真理ではない。なぜなら色のある太陽も色であっていずれ無くなるものであるからである。山も川も海も地球も星も宇宙ももちろん今生きている人間もいずれ無くなる。これが真理であると考えられてる。

しかし、空は無限であると言われている。なぜなら無いからである。限りが無いと書いて無限。無い状態のものに限りは無く、褪せる色も朽ちる形も無い。アインシュタインという原子の存在に限りなく近づいた人物がいた。その人物の肉体は当然「色」を持った物質で寿命とともにこの世を去ってしまった。しかし、その残した功績や考え方は今でも色褪せることなく今でも有る。もちろん忘れ去られてしまう可能性もあり何百年、何千年という時が経てば誰も知らないかもしれない。しかし、存在したという事実は消えない。たとえ誰も知らなくても。これこそが「空」であるという事。

人によって同じものが別の物に見える事がある。また言葉が違う国によっては言葉も変わる。これは物質をそういうものであると決めているからである。これは生活便利にするためのもので、現代の世の中では常識である。では、人によって見えるものと見えないものが出てきた場合はどうしよう。半分の人は見える。半分の人は見えない。本当は全く問題無い話である。

なぜなら目に見える全てのものは「色」のついた物質であり、無限では無いいずれ朽ち果てるものである。真理では無く、本当にあるものでなく今そこにあるだけのものである。言い換えると幻でもあるとも言われている。でも逆に当然今そこにあるものには意味があり、命があるからそこに形として存在出来ているから目に見える。命である原子がそこには宿りその形としての使命や生命を全うするために存在している。

つまり大事なのはそこにある物質に対して本質である中身を考える事が大事であるということ。いずれ朽ち果てるそれが何のために自分の人生に現れ、自分の人生を彩っているのかということ。逆に自分という人生の色を知り、本質である魂を見つめ直すために目に見える物や人から学ぶという事。

色即是空から考える物質世界と精神世界。ひいては西洋と東洋。裏と表でありどちらが善いでもなくどちらが悪いでもない。物、それは幻であり今そこにあるだでいずれ無くなるもの。それにしがみつくと無駄な支配欲や物欲が生まれ、本当の魂が求める何かを見失ってしまう。この世に善も悪も無く、ただ無が有を産み、有には無が宿っているという繰り返し。それにたどり着いた人だけが悟りを開けるという仏教の一つの教え。この考え方が全てでは無いし、合わせる必要も無い。ただ自分が幸せに生きるための一つの考え方やツールとして知っておいて欲しいだけ。。