もうひとつの分数 Vol.2

物質世界と精神世界。簡単にこの話がわかれば苦労は無い。この感覚や真理を教えてくれてると言われてるのが仏教における「色即是空」。これに関しては「色即是空」ページを見て欲しい。(何度も言ってるけどBESOは無宗教)

物質世界にどっぷり浸かってしまっている人間はこれを忘れてしまっている。物質世界こそ全てだと思うとこれがなかなか抜け出せない。「欲」と呼ばれるものは物質に捉われてしまった場合に生まれる事が多い。物欲、性欲、独占欲、支配欲・・・

しかし、全てが自分と同じ「1」であるならこれらは全く無駄な無意味な物になる。悲劇の始まりは何かの「欲」であることが多い。金持ちは金で買えるものは何でもできるようになる。そうするといずれ飽きてくる。高いもの食べて飲み、高い家に住み、高い車に乗り、使用人や愛人を金で買う。しかし、そこに本当の自分である精神が本当に望んでいるのかという疑問が浮かんでくる。それよりも心から腹を割って本心を語れる人が横にいてくれることを望むようになる。

ホリエモンが一つのいい例かもしれない。IT業界の寵児と呼ばれ、巨額の富を得て欲しいと思うものは全て手に入れたかのように見える。しかし、(おそらくは有りもしない)脱税で捕まり財産も会社もスタッフも全てを失う。刑務所に入り残ったものは本当に支えてくれるスタッフと宇宙開発への情熱であったと。刑期を終えた時ホリエモンとしての過去は全て捨て去り、これからは堀江貴文として生きる。世に出してる本でこう語り、もちろんどこまで本心なのかとか、メルマガや本の収益でどんなけまた贅沢な生活をするかわからんけど少なくとも今までの生活が幻であったと言ってる気持ちに本心は感じた。

物質的な欲望の先には虚しさなく、あくまでも諸行無常である。本当の幸せや目的を財産を失って気づいた。故に精神が望む本当の幸せを早く見つけてそれに物質である体で体感することが大切である。

その精神が望む本当の幸せを感じる方法が「禅」や「瞑想」と言われている。瞑想の目的は内なる自分やインナーチャイルドと呼ばれる、自分の肉体ではなく魂に触れるために行うと言われている。つまり物質である肉体を忘れて精神である魂に目を向け耳を傾け意識を合わす。それに自分から歩み寄っていくのが瞑想であると。

そして辿り着く世界が「悟り」「涅槃(ねはん)」「ニルヴァーナ」とよばれている。涅槃にもこの体と魂という感覚があり、有余涅槃が体のある悟りで無余涅槃が体の無くなった死後の悟りと言われている。

この境地から見る世界は全てが繋がって一つとなっている「1」の精神世界。それがアカシックレコーズでもある。これにかつて肉体を持ちながらたどり着いたのが世界中で崇められているイエス・仏陀・釈迦・モーセ・などの神の申し子。この境地で神を声を人々に伝えたとされている。

宮本武蔵もその一人だと言われている。人を斬り続け、天下無双を目指し続けた結果辿りついたのはこれであった。それを記したのが「五輪書」。何かを極めるという事に精神を集中すると意識が悟りに触れ見えてくる世界が物質世界から精神世界になると。

スポーツ選手なんかにもある。スポーツや物事を極めようとした時に訪れる無我の境地というのもこれに近い。無我の境地ということは自分である我が無くなる世界ということ。スポーツの極限の場面やアーティストがライブなどで「何も覚えていない」「体が勝手に動いていた」というセリフをたまに聞く。

精神が肉体を自動操縦する。だから普段脳が考えている意識ではなく元々持っている無意識が体を動かす。この無意識こそが精神であり魂である。この魂が望むものを体感し、「1」として経験を記憶し改めて「1」である事を認識しさらに成長するために生まれてきた。これがなぜ人が生まれて死ぬのかという哲学的な概念の一つの真理では無いかと思う。

今一度自分の幸せを考えて欲しい。金持ちになりたい。いいマンションに住みたい。高級車に乗りたい。セレブになりゴージャスなドレスを着たい。物質的な体がその欲望を求めているのか、魂がそれを純粋に求めているのか見極めてほしい。自分にしか出来ない物を生み出したい。なぜか自分が心から望むものを追い求めたい。そういうものが飽きることの無い本当の幸せではないだろうか?

みんながいるから自分がいるとわかる。「1」が「1」であるために、もしくは「1」という事を認識するために「2、3、4・・・」がいる。そして分数としての役割と性質がある。これをどう物質世界である世の中に落とし込んでいくかが人間に与えられた使命であり楽しみでは無いかと思う。精神は「1」であり物質としては「2」である自分がどう分数として人生を送り元数「1」に戻るか楽しみで仕方ない。

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