「時代」と「本物」

あの時はよかったなー。時代がよかったなー。
なんていう事を聞く事も有れば
逆に今の時代の子はかわいそうやとかいろいろある。

好きなアーティストのRHYMESETRの「GOOD OLD DAYS」の始まりはこんな感じ

 もう2度とは来ねえんだろうなあんな時代は
 まあわかりっこねえんだろうなアンタ達みたいな
 ハナから恵まれ過ぎちゃってる若い世代だと
 当時みたいな熱気は、やっぱ取り戻せねーんだろうな

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結論から言うと今の時代、特に日本は恵まれてる。
明日の食べ物が無くなる事は無く、
今日泊まる家が無い、
なんて事はそうそう無い。
ホームレスやネカフェ難民なんていうのも
本気でそうならない努力をすれば何か
別の方法があったであろうと思う。

ネットが普及して図書館で調べ物をする事も無く
知りたい情報をすぐ手に入れられる。
行きたい所にも物理的にはほぼ行ける

逆に恵まれ過ぎて本物が生まれない。
と言う、ビートたけし

たけしの本で「超思考」っていう本が有る。

 『演芸はしょせん演芸であって、毎日見ているという
  わけにはいかない。野球は毎日見ても興奮するけれど、
  漫才は毎日見ていたら飽きられる。
  飽きられるのが俺たち芸人の宿命なのだ。
  だから飽きられないように、いつも新しいネタを
  作り続けなきゃいけない。
  案の定ネタを作らなかった連中はどんどん消えていった。
  紳介なんかはうまいこと司会に転じたけれど他の漫才師は
  売れたという事で喜んで、ネタを作らなくなって、
  それで終わってしまった。』

 『小手先の技術はものすごく進歩したけれど、
  人間そのものは何千年もちっとも変わっていない。
  何を旨いと感じ、何に感動し、何に怒り、何に泣くのか。
  そういう部分は、千年前の人間も今の人間もおそらく
  ほとんど変わりが無い。
  
  そう考えると、本物とツクリモノの違いは、その変わらない
  部分に訴えるのか、それともどんどん進歩する小手先の技術に
  アピールするのかの違いということになるのかもしれない。』

 『お笑いが世の主流になったお陰で、お笑いが万人受けする、
  それこそ女子供でも笑える程度のつまらないものになった。
  今やお湯を注いで3分で出来上がりの、ジャンクフードの
  お笑いが全盛だ。2分で客を笑わせるような芸ばっかり磨いている。
  磨くなんて上等なものではない。ほとんど宴会芸だ。

  若い芸人にしてみれば、そういう舞台しか無いのだ。
  利口な大人達が、そういう場を作って、何の事はない
  カップ麺方式でお笑い芸人を作っているわけだ。
  促成栽培で芸人を作って、安いギャラで使って、
  高いギャラを取るようになる前に、使い捨てるのが
  いちばん効率が良いに決まっている。
  そういう全体の流れの中で、お笑いというものから
  毒気と牙が抜かれて、単につまらなくなっただけでなくて、
  お笑いの意味そのものも失われつつあるということなのだ。』

科学技術が進んだ。それによって不便の無い暮らしがより普及した。
その反面で失われたものの一つが「本物」という概念。
使えればそれでいい。味や趣、風情なんかより実際の価値。
魅力や人に訴えかける響きなんかより金銭の問題。

いつからそうなったのかはわからんけど、価値がいつのまにか
全て金で決められてる気がする。

もっと「本物」を見て・聞いて・感じて見つめ直して欲しい。
それが何なのかは人によって違うけどたけしの言葉を借りるなら
人が『何を旨いと感じ、何に感動し、何に怒り、何に泣くのか。』
という部分。

「本物」についてもっともっと考えて行きたい。

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