名作と凡作の違い。

それは一言では言い表せないかもしれないし、一人の人間が決めるものでもないかもしれない。そもそも名作と凡作に分ける必要がない。

という事もこの作品の主張かもしれない。

作品を観るときの楽しみ方は人それぞれで自由。BESOの場合はその作者がどんなメッセージを作品に詰め込んでいるか、こういうメッセージを感じ取ってくれ!という思いを探りながら見る。

そしてどこか似ている作品や同じ主張の他の作品と照らし合わせるのも癖かもしれない。この漫画がワンピースに非常に似ているという事を感じた。

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名作と言われるこの二つ。共通点と似ていながらテイストが違うという点に今回は焦点を当ててみたい。

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ここからは完全なBESOの作品に対しての独自の視点での記述。

まず共通点は大きな二つのテーマ。

「支配」と「歴史」

進撃の巨人では巨人からの迫害を受けながらも、王政が巨大な壁を築いて巨人から守り、人々を導いている。壁の内部で警察のような存在である憲兵。壁の外部から侵略する巨人と戦い外部を調査する調査兵団。王政が統治する武力組織。ストーリーが進むにつれ実はそれが王政の極端な支配であったという「闇」が判明する。主人公達はその王政にクーデターを起こす。

ワンピースでは世界政府という組織が全世界を統治している。海軍はその右腕として人々を守りながら、世界各地で略奪や侵略を繰り広げる海賊と戦う。しかし、同じようにその世界政府の「闇」が明るみに出はじめる。主人公達はその世界政府と海軍に真っ向から戦いを挑む。

その「闇」の大きな部分は隠された100年という歴史。一言で言うと勝てば官軍。その歴史がどういうものであるかというのは、支配者が仮に赤だと言えば黒であっても赤に塗り替えられてしまう。しかし、万物の絶対のルールとして絶対は無い。嘘の一欠片一欠片が徐々に漏れはじめる。

だが、その嘘がバレないように、またバレればもみ消すという作業を繰り返し、自分達の保身の為に虐殺や文化遺産の隠滅など非人道的な行為を続ける。

支配と自由。嘘の歴史と真実の現実。というのが2つの作品においての重要なテーマ。

壁の外に出て広大な土地で、自然豊かな土地で暮らしてみたいという自由に向かって巨人や王政と戦う。一方、世界政府の圧倒的な支配に挑み、誰よりも自由な人間として海賊を目指す。その自由の前にある立ち向かうべき壁の一つに隠された歴史があるという構造。

ここまでは共通点として、逆にVol.2で相違点を見ていこうと思う。