進撃の巨人 VS ワンピース Vol.2 〜相違点〜

Vol.1の続き

大きな相違点として大きな二つのテーマ。

「世界観」と「真実の先」

絶望がベースとして描かれている進撃の巨人。巨人達がいつ自分たちを侵略してくるかという恐怖を常に抱えながら生活している。その絶望の中、自由と幸福を求めギリギリの精神の中で戦う。

平穏がベースで特に生活に大きな不自由はない中、自由を求めて海へ飛び出した。もちろん海賊からの侵略には怯えながらというのはあるが巨人ほどの不気味さは無く、同じ人間としての恐怖。

この違いは実社会においての作者の捉え方の違いかと思う。

現実の実社会が絶望の中生きているという感覚が進撃の巨人の作者諌山氏にはあるんではないだろうか?この絶望の中、小さな日常を生きられる事を幸せと呼ぶのか?風が吹くだけで吹き飛んでしまう日常に幸せを求めていていいのか?という大きな疑問のメッセージを感じる。

あくまでもそれが普通であるという生活の中、そこに本当の自由は無いのでは無いかというイメージの尾田氏。革命を起こしたいという願望よりも本当の自由を掴み取りたいが為に戦うという様子。その障害に支配者層があるのでぶっ飛ばしてやる!というのが他の人々が考えていた革命とたまたま意見が合う。という様子。

絶望から這い上がる為の自由への必死さと、自分や周りの為の自由に自発的に戦う様。これが世界観のおおきな違いかと思う。

巨人の謎の先には、人類そのものの「悪」や「闇」が見え隠れする。全てを知った者があえて今の世界を作り上げた。つまり全てを知った上で人々が幸せに暮らすにはこの世界が最善だとしての判断。そこには一般人には計り知れ無い暴走性と「闇」がある故に支配される事を選んだように思える。

自由を勝ち取り、全てを知った先代海賊王。病の縁ということもあり世界を変えるよりも次の海賊王に決断を委ねる。この時点ではその真実が「闇」なのか、「光」なのかは推測できない。

今を生きる人々が現代社会を絶望と捉えているか、あくまでもそれが普通で、さらなる自由を求めて戦うのか?もちろん両作者ともこのメッセージが強くあり、戦おうぜと言っているような気がする。

その先に二人の作者を選んださらなる上の層の話をVol.3でしたいと思う。

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