天皇と日本神話 Vol.4 〜記紀とそれからと現代〜

「景行天皇」に気に入られていた息子の《やまとおぐな》。この頃から奈良周辺の朝廷は「大和(やまと)」と呼ばれていた。《おぐな》とは少年という意味。しかし、可愛い少年だった《おぐな》は天皇である父親を喜ばせようと、反抗的だった兄を血も涙もないかと思わせるほど冷淡に殺してしまう。

「景行天皇」は次第にその精神性の異常を恐れ始める。そして、熊襲(九州南部、熊本あたり)で朝廷に反抗的な《くまそたける》兄弟討伐という無理に近い難題を武器も持たせずに押し付け、殺されてしまうように謀った。

少年の風貌を逆手に取り、女装して討伐に打って出た《おぐな》。可憐な少女と思わせ、懐に忍び込み、冷徹に《くまそたける》兄弟を討伐。《くまそたける》の弟は死ぬ間際に

《くまそ弟》「《たける》とは一番強い男という意味だ。死ぬ身だが、朝廷にこれほどつよい男がいたとは恐れ入った。いつまでも《おぐな》と呼ばれれば大人になった時に困る。これからは《やまとたける》と名乗れ。」

と名をもらい、《やまとたける》が熊襲で誕生した。「景行天皇」に褒めてもらおうと九州からの帰りに、山、川、海の神と昔から因縁のある出雲まで平定して帰った。しかし、またしても褒めてもらうどころか、今度は東方12国の討伐に行かされた。今度ばかりは厳しそうだ。

前回の熊襲討伐の前にも立ち寄った伊勢に再び訪れた。(前回の女装は伊勢で《あまてらす》に添い遂げる「景行天皇」の妹《やまとひめ》に仕立ててもらった。)そして今回は大変な討伐に秘策をと、火打ち石と草薙の剣を授かった。

《やまとたける》は歴史上最高峰の英雄として語り継がれている。その影響力の大きさは名づけられた多くの地名からも分かるかもしれない。東方12国の平定を成し遂げ各地で伝説の戦いを終え、その逸話を元に各地の土地が名付けられた。例えば、「焼津」は火打ち石で焼き払った土地で、「三重」は戦いの末ボロボロになった足が「三重に」折れそうだと歌った場所。などと言われている。

自分が「景行天皇」の元へ帰る事は望まれていないと悟った《やまとたける》は白鳥となり天に召されたと言われている。

「景行天皇」も崩御された。137歳と言われまだ半神の天皇。《たける》の異母兄弟「成務天皇」が即位。しかし、彼で天皇系直系(天皇の息子)が途絶える事となる。ついで即位したのが「仲哀皇太子」、《たける》の息子という事で皆は大歓迎だった。そして天皇の血も引いている「神功皇后」と結婚。

再び、《たける》のような武勇伝が始まると思うや否や、今までにない展開に。

なんと巫女のような能力をもった「神功皇后」は憑依している間に「仲哀皇太子」を殺してしまった。その乗り移った神は

≪憑依している神≫「これからの事は「神功皇后」に身ごもった子に全て託されよ。これは《あまてらす》の意向でもある。そして国つ神、天つ神、山川海の神、全てに供物を捧げ、海を越え西を平定しろ。」

つまり朝鮮出兵を言い渡された。そして船に神々を祀り、海を渡ると神羅王はあっさり服従。こうして、神羅・百済・高句麗は朝貢を結ぶ。神話にも朝鮮平定の話が出ているぐらいだから現代でも争いが絶えなくて当然かもしれない。が、この話ではすんなり調停を結べている。争うような事は必要ではないのかもしれない。神話時代のエピソードを超える関係を現代人は作り上げる事ができるのだろうか?!

天皇は予言通り神功皇后の息子「応神天皇」に引き継がれた。子宝に恵まれた「応神天皇」。それは即ちまた次の天皇を巡って覇権争いが起きるという事。末っ子の《うじのわき》が「応神天皇」より次期天皇にと賜っていたが、長兄の《おおやまもり》が謀反を起こす。次兄だった《おおさざき》は《うじのわき》をサポートするように言われており、「応神天皇」と仲が良かった《おおさざき》は言葉通り《うじのわき》を支え、《おおやまもり》を退けた。

しかし、《うじのわき》は《おおさざき》こそ天皇になるべきだと駄々をこねた。そうこうしているうちに体の弱かった《うじのわき》は死んでしまった。そして《おおさざき》が即位し「仁徳天皇」が誕生。このあたりから学校で習う歴史上の天皇に近づき始める。仁徳天皇陵といわれる古墳も存在するように現実に形が残っているものが増えてくる。

「仁徳天皇」は多くの功績を残したと言われている。民の声を聞き、民と寄り添う政治を行ったと。大阪の難波あたりの山に都を作った。が、その山から見る町々から夕飯時に煙が立たない事を不思議に思った。民は日々のご飯に苦しむほど貧窮していたのだ。

「仁徳天皇」「こんな状況では税など課せられない。苦役も行かせられない。これよりここら一帯は課税も苦役も無しじゃ!」

と自らも貧困の生活を敢行した。そんな生活が3年ほど続き、やせ細った体で再び山から街を見下ろすと煙が上がっていた。そして、再び税を課したが民は誰一人不平はあげなかったと言う。いつしか「仁徳天皇」は聖帝(ひじりのみかど)と呼ばれるほど民衆から慕われていた。

彼もまた多妻な生涯だった。それゆえ恋のトラブルもつきものだった。《いわのひめ》という妃がいながら、《やたのわき》という別の女を多くのいる女性の中でも特に可愛がった。その子の為にと「八田部」という朝廷で働く人の役職を設けた。その「部」が苗字として誉れ高い苗字として現代に引き継がれている。

83歳で崩御。聖帝も今までの天皇と比べれば寿命が短くなってきた。ついで、天皇となった「履中天皇」も64歳、続いた「反正天皇」も60歳。このあたりから寿命でいうと人間の天皇というイメージになってきた。

が、その後の「雄略天皇」は124歳と長くまだ完全に人では無いようだ。「雄略天皇」の元にはまた《あまてらす》が訪れ、今度は「一緒にお供をしてくれる神も欲しい」と駄々をこね、伊勢神宮に豊受大神《とようけのおおかみ》という《いざなみ》の孫を祀らせた。こうして伊勢神宮の内意宮には《あまてらす》、外宮には《とようけのおおかみ》が祀られるようになった。

その後「仁権天皇」が即位する。そしてそこから「推古天皇」までは取り立てた功績もなく飛ばされる。この間10代を欠史十代と呼ぶ。そして代33代「推古天皇」が即位したのが593年と言われている。飛鳥時代と呼ばれる時代。ここから奈良・平安・鎌倉・室町・安土・江戸・明治・大正・昭和・平成となる。

ここまでが古事記に書かれている神話。長い長い神話。その神話が忘れないように伝えられてきた。もちろん辻褄の合わないことや、改ざんされたであろうことは多々有る。いつの時代も権力者が都合のいい様に歴史を作り変える。この古事記ですら全くの嘘という可能性もある。

大事なのは、その精神性。神々を大切にしてきた日本。仮に古事記が嘘だとしても、式年遷宮は1300年も続けられてきた。日本各地の祭りも五穀豊穣を神に感謝するために執り行われ続けてきた。この長い深い歴史に外国の様々な文化がこれから入ってくる。

はじめに大きな影響を与えたのが仏教。もしくは儒教。この頃から各地でお寺も立てられる様になった。そして一辺倒にならず神道を残しながら仏教を取り入れるという世界で類を見ない精神性が生まれ始める。

ここまで見てきて天皇の始まりは半神半人であるが、神と人間のはっきりとした境目というのはでてこない。《あまてらす》の血を引く代々の子孫ということになっている。(実際にはおそらく、途絶えているが)。

そして田布施システムや明治天皇の謀略などが最近では大きな事件となっている。最終回のVol.5ではそのあたりをまとめとしてみたいと思う。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です