明治天皇と田布施システム

今上天皇(きんじょうてんのう。現天皇を敬った呼び方)である明仁天皇。その明仁天皇の流れを見るのに外せない天皇がいる。

明治天皇。孝明天皇(こうめいてんのう)の子供で睦仁(むつひと)と呼ばれていた。

ここで少し孝明天皇のストーリーに。

時代は幕末。徳川幕府が長きにわたって日本を統治していた時代が終わりを迎える。大きな引き金となったのはペリー来航やザビエルの来日などの外国の日本干渉。

「大平の眠りを覚ます 上喜撰(じょうきせん) たったしはいで 夜も眠れず」

という歌が詠まれたという程衝撃の出来事だった。

孝明天皇はペリーの開国に反対し、退けようとする。親幕派だった孝明天皇は幕府に外国を退けさせようとした。

これを受け各地でも「尊王攘夷」運動が起きた。日本を治めるべきは「武」である幕府ではなく、正統性のある「王」が治めるべきだ。そして海外を退け、日本国として開国しないべきだと。

ここで話の規模はものすごく大きく複雑になり始める。イギリス、アメリカ、東インド会社、キリスト教、フリーメイソン、天皇、幕府、長州、薩摩、維新志士、新撰組、坂本龍馬・・・

それぞれの思惑が複雑に絡み合い、圧倒的な国力の前に無理やり開国された日本。その日本という国を巡る覇権争いは明治天皇即位の後、大政奉還という一つの結論を出す。

孝明天皇は幕末の動乱の最中、天然痘にかかり崩御(天皇が死ぬ事)。

しかし、この死が日本を大きく動かす。厳密には動かされたと言った方がいいのかもしれない。

どういうことかと言うと、「尊王攘夷」志士たちによって暗殺されたという説がささやかれている。維新志士と呼ばれる明治維新を起こした有力者達。彼らが日本を治めるために、親幕派だった孝明天皇を殺したと。

すると次いで即位するのはその子供である睦仁親王が天皇となる。この睦仁天皇を自分達が用意した替え玉とすり替える為に暗殺した。という謀略があったのではないかと。

この話には確証は無く、いまでも歴史家の間で大きな話題となり続けている。その理由としてはそれ以後の天皇家と政治を握る政府の要人の流れがあまりにも偏っているからと言われている。

明治天皇が即位すると大政奉還が起きる。天皇から頂いていた大政という日本を治める権力を、「武」の象徴である幕府が明治天皇に返すという出来事。

事実上の倒幕がここで成った。

15歳と若くして即位した明治天皇。天皇が日本を治めるようになるが事実上政治をまとめられない。そこで政治のサポートする陣営は明治維新を起こした維新志士達が担う事になる。

公家であった岩倉具視、薩摩藩の藩士・大久保利通・西郷隆盛、長州の藩士・木戸孝允、板垣退助、等がここから日本の政治を司っていく事となる。

その陰には長州藩の傑物「吉田松陰」の存在も大きい。学問や思想を教える松下村塾を立ち上げ、ここに登場した志士達の成熟を支えた。

そして日本初の総理大臣となる伊藤博文が誕生する。

ここからがこのタイトルにもなっている田布施システムの始まり。伊藤博文を初めとする総理大臣が皆、元長州藩・現山口県の田布施という地方の関係者であるという偏りが出てくる。

さらに明治天皇も天皇の実の子供で無く、田布施出身であると言われていることも暗殺説の大きな柱になっている。現代の日本の中枢を確立するために、田布施出身の大室寅之助にすり替えたと言われている。

明治から現代までの総理大臣はみな明治天皇から受け継がれた今の天皇家の親族と言われている。その家系図がTOPに出ている家系図である。

(ちなみに、アメリカ大統領は一人を除いて皆イギリスのジョン王の子孫と言われている。これもまた別の機会に紹介しようと思う)

民主主義の選挙で選ばれる衆参の国会議員。その衆議院の中から選ばれている総理大臣。その総理大臣の出地と血脈が明らかに偏っている事実をどう捉えるかは一人一人に任せるしかない。

明治天皇すり替え説。とんでもない話がいよいよ現実味を帯びている現代の日本。その背景は南北朝時代と言われている。室町時代初期。この日本において珍しい2人の天皇が存在するおかしな時代が60年ほどあった。

その違和感の時代の名残が今の天皇家にも影響している。それが大きく形に出たのが、薩長同盟であり、倒幕運動につながり、皇居の楠木正成の銅像につながる。

平成の世を生きる今の日本人。天皇が生前退位すると言ったこの時期に、もう一度日本の歴史を自分なりに探ってみればもう少し、日本と世界が見えてくるのかもしれない。

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