昭和天皇 Vol.1 〜略歴と逸話〜

昭和天皇を取り上げる上で一番話題になるのが、やはり第二次世界大戦とポツダム宣言の受諾。

2016年現在、憲法改正問題に揺れる日本。その日本国憲法が施行された時の天皇。昭和天皇の生涯を見ながら、いかにして日本国憲法が出来上がったのかを見ていく。

大正天皇と正妻・節子と間の第一子。祐仁(ひろひと)親王として1901年に生まれる。当時は「皇族身位令」の第十七条に皇太子・皇孫は10歳になると陸軍か海軍のどちらかに入る決まりがあり、陸海軍少尉に任官。

そこには乃木希典(のぎまれすけ)という大将がいた。「心身健康第一、天性をまげない、ものに恐れず人を尊ぶ、わがままな癖をつけない」という信条の元、彼の影響を大きく受ける。

1919年、満18才になると貴族院皇族議員になる。翌年には陸海軍少佐に昇任し、大正天皇の名代として軍艦に乗り込みヨーロッパを回る。20歳になると摂政に就任し、次期天皇として名実ともに期待される存在となり始める。1925には大佐に昇任。

1926年、大正天皇の崩御により124代天皇に即位。昭和に改元し昭和が始まる。

ヨーロッパ周遊の頃よりイギリス軍と強く繋がっていた。1930には、日英同盟が解消されているにも関わらず、イギリス陸軍元帥に任命されている。世界中で戦争が起きていた時代というのもあるかもしれないが、近代の日本の中でも戦争と密接にあった天皇と言えるかもしれない。

動乱の昭和時代。事件が起き始める。2.26事件と呼ばれる政府要人暗殺事件が起きる。1936年、陸軍の青年将校ら約1400人が、首相官邸や警察庁を占拠し政府要人を暗殺。昭和天皇の名を悪用し悪政を敷く現代の政治は許せないとし計画を実行する。が、その昭和天皇は彼らを反乱部隊とし鎮圧。

事件の背景には陸軍の派閥争いがあったと言われている。天皇による親政を望み、もし邪魔するものがあれば武力でもってして排除するという「皇道派」。自分たちの望む政治体制を合法的に推し進めていく「統制派」。もちろん、この事件を起こしたのは「皇道派」。結果的には自暴行為となり、天皇は「統制派」と共に「皇道派」を一掃することとなった。ちなみに、統制派の人物として東条英機がいる。この頃より頭角を現し始め、1941に首相となっている。

昭和天皇の逸話として、この2.26事件の迅速な対処が残る。危険を顧みず、自ら近衞師団を率いて現地に向かい事件解決。事件を受け、混乱のさなかにあった、軍や政府を納めるべく行動したトップとしての責任と覚悟が窺い知れる。

そして1941年、第二次世界大戦・太平洋戦争が始まる。これについては何記事あっても書ききれないほどのいきさつがあるので、今回は省略。

結果、1945年敗戦を認め、ポツダム宣言を受諾。

のちに、「自分の意思を貫いたのは、2.26事件とポツダム宣言の受諾だけだった。」と天皇自ら語っている。

今までの記事と今騒がれている憲法問題の核となる部分を見ていきたいと思う。そこに出てくるのがGHQとマッカーサー。意外と知られていない、マッカーサーと昭和天皇のやり取りをメインに次の記事に進みたいと思う。

日本国憲法を元に生きる現代の日本人として是非とも知っておきたい事実がここにはたくさんある。太平洋戦争の起こりと終わり。そしてポツダム宣言。ちなみにポツダムとはドイツの地名。そこで太平洋戦争の終わりを宣言し、敗戦国に対する処罰や取り決めがされたためポツダム宣言と呼ばれている。

名君昭和天皇の存在感を見ていきたいと思う。

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