征夷大将軍

日本の権力者、政治を司ってきた系譜を「征夷大将軍」というキーワードで見ていこうと思う。

 

誰でも聞いた事がある将軍の名前。でもどんな将軍なのか細かく見た事は意外にないかもしれない。そもそも名前の意味はなんだろうか?

 

名前の由来は中華思想からきている。中華思想とは、中国が宇宙の中心で我らこそが神聖な民族である、という自民族中心主義。そして中国から離れた4方の人々は獣であったり、野蛮な生き物と勝手に決めつけ、敵とみなしていた。中国の中心より東に住む人々を「東夷」南は「南蛮」、西は「西戎」、北は「北狄」。その中国の言葉を取り入れ、日本の「東夷」を征伐する部隊の大将軍として任命される征夷大将軍。日本にとって東の敵とは蝦夷(えぞ)の事であり、当時は北海道の事であった。その討伐の際、天皇の代理として最高権力を有するため、事実上の天皇を除いたNO1の存在となる。

 

 

西暦700年ごろに征夷大将軍は始まり、長きに渡ってその大役は受け継がれていった。有名な人物として、大伴家持、坂上田村麻呂、源頼朝、足利尊氏、徳川家康などがいる。皆歴史の時間に聞いたような名前である。天皇の息子である親王(という敬称で名前ではない)も征夷大将軍に任命されている事も多くあった。

 

武に関する全ての権力が一人に集中し、絶大な権力者となる。そのため、日本の絶対的存在の天皇の地位さえも奪おうという事件もあったが、現在まで天皇制は続いてきた。その武の力を元に武家制度が日本では長く繁栄し、幕府という政治体系が続いた。

 

摂政・関白や太政大臣なども強大な権力となるが、武の威光も持ち合わせる征夷大将軍はやはり一味違うポジションとなる。現代風に言うと、全軍隊総司令官のようなポジション。一言で全戦力を動かせるような権力。

 

絶対王の天皇を中心とする日本を治める組織が「朝廷」。その「朝廷」(天皇)から使命を受け征夷大将軍として実権を持ち、日本の統治を実際に行う「幕府」。つまり

天皇=「朝廷」 〉 将軍=「幕府」

という構図が続いていた。その根底には、前に出てきた記紀(古事記と日本書紀)を日本の伝統とする考え方がしっかりとあったからでは無いかと考察する。フランス革命やロシア革命では実際に権力者が王族を撃破し、国を治める王が血筋ごと変わっているが、日本は《あまてらす》から受け継がれた天皇が現代も君臨している。

 

しかし、征夷大将軍もその長い歴史に幕を降ろす事となった。日本史に名を残したのは、徳川慶喜(よしのぶ)。生まれた時代が悪かったのか、動乱極まる幕末の将軍として、征夷大将軍の幕を下ろした。

 

征夷大将軍をめぐる権力争いはさまざまな争いを生んだ。が、それゆえにまた平定も生まれた。織田信長が征夷大将軍になれたけどならなかった、という説や、豊臣秀吉は農民出身だったからなれなかったとか、徳川家康は家系図を無理やりいじって征夷大将軍になった、とか。

 

その争いの一つの観点として、また日本の歴史を見る中で面白い2大政党が存在する。それが源氏と平氏。これもまた学校の社会で聞いた事のある話。次回はそれをゆっくり見ていこうと思う。ちなみに、これは今も続いていて、前にちらった出てきた、皇居に楠木正成の銅像につながる。南北朝時代にも大きな影響を与えている話となる。

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