大正天皇

いろいろな憶測や噂が飛び交う明治天皇。すり替え説やすり替えの為に孝明天皇を暗殺したなど。そして後の皇室に問題を残すしきたりを生んだ。それが女官問題である。

女官とは簡単に言うと、天皇家を存続させる為の妾(めかけ)である。もちろん身分が明らかになっている女中(皇室の世話をする女性)の中でもより上位の者に限られていたが。

明治天皇は孝明天皇の正妻ではなく、この女官との間の子供である。そして次の天皇である大正天皇も明治天皇と女官との間の子供である。必ずしも健康な男子を産む事が出来るかどうかは分からない。天皇の血筋を守る為に女官は必要だと考えられても不思議ではなく、事実世界中の多くの王族は一夫多妻が当たり前であった。

しかし、これにつきまとう問題が女中の権力的台頭である。天皇に仕える1女中だった存在がいきなり時期天皇の母親になる。その時点で周りへの発言力は高まり始め、正式に息子が皇位を継承すると天皇の母親としてさらに存在感を際立たせる。

ここに政治の怖さがある。資金や軍事力がどれだけあっても、生まれながらの身分というものは変えられない壁があった。しかし、女官を狙い、無理矢理身分の高い存在を自分の手駒とすることで、その壁を乗り越えようとする者が現れる。

実際に明治天皇の正妻ではなく女官だった柳原愛子(やなぎわらなるこ)は、後に大正天皇となる嘉仁(よしひと)親王を産むと発言力を高めた。しかし、またここで疑惑が浮かび上がる。嘉仁親王の父親が明治天皇ではなく、大隈重信であるという噂が浮上する。

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(柳原家の家紋。この家紋の象徴は現代の日本の裏の実態を語る上で外せない鶴丸。ぜひ頭の片隅に置いておいて欲しい。)

つまり、明治天皇の血を分けた子供でなく、当時の実力者大隈重信の子供が、女官だった柳原愛子の子供ということで大正天皇として即位したと。信ぴょう性については確信があるわけではないが、有力な筋として見られている。

 

大正天皇は幼い頃、母親は明治天皇の正妻・昭憲皇太后だと思っていた。しかし8歳頃に実は女官の柳原愛子と知り、衝撃を受けた。小さい子にはつらい事実だったと思う。そして、兄兄弟らが若くして死んでしまったこともあり、天皇に即位する。

体が弱かった大正天皇は若くして結婚する。21歳で、当時15歳だった節子と結婚し、子を授かった。以後子宝に恵まれ4人の男子が後継として生まれ、血族としては安心されていた。そういった理由からか、大正天皇は女官制度を廃止した。皇室典範までは変えなかったが、事実上女官(つまり妾)を必要とせず、正妻の節子と子供と過ごす家庭的な生活を送ったようだ。人々とも割に距離が近く,人物として良き父親で良き天皇だったと。

しかし、大正天皇は知恵遅れではないかと揶揄されてきた。幼い頃から病弱で、脳にも病気の後遺症が残っているためではないかと(原因は水銀とされていて、当時から水銀が脳にダメージを与えると上流階級は知っていた。にもかかわらず現代のワクチンには水銀が入っている)。第一次大戦時も軍部のいいなりとなっていたとされ、政治的介入はあまりなかった。そのため「君臨すれども統治せず」という大正デモクラシーの動きが強くなった要因ともされている。

その裏では、大正天皇も自分が明治天皇の子ではないと悟っていたのかもしれない。父親が大隈重信で皇族ではない自分が天皇として君臨している異常な状態に心理的に異変が起きていたのかもしれない。

ここまでくると天皇の血筋というものがいよいよ怪しくなってくる。《あまてらす》から代々血を継いだ天皇。では無いということが見え隠れする。しかもこれはほんの100年ほど最近の話。これが何千年と昔からの話となればはたはた疑問符も浮かんでくる。

しかし、血筋よりも大事なことがある。思想や哲学や魂の部分。それが大和魂であり、大和撫子である。

残すは昭和天皇と今上天皇。昭和天皇も逸話が多く語るに力のいる天皇。今の日本に直接的に影響を与えた天皇として現代の日本人は今一度知る必要がある。

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