地に足をつける

先日記事のインタビューをしていて相手の方の半生を振り返った時に改めて教えらた「地に足をつける」という事。

 

その真意と具体的な意味を考えて見る。

 

 

 

今回インタビューさせて頂いた方は日本の離島として有名な隠岐の島。島根の日本海に浮かぶ不思議な島。

 

大学卒業後島根本島の小学校で非常勤講師として働き、いよいよ正式に小学校教諭として赴任先が発表される。告げられた先は、隠岐の島だった。

 

まだまだ遊び盛りの20代前半。自分がまさか海を渡り、離島に行くなんて考えもしていなかった。と言っても島根も別段都会というわけではない。しかし、本土から海を見ても見えない距離にある島に移り住むという事はまさしく島流しに当時思えた。

 

多くの罪人(特に地位や権力のあった人)が島流しとして隠岐に来ていたという歴史もある。自分の中では「3年の我慢。3年経てば本土に帰れる」と耐える思いで、本土を後にする。

 

しかし教えられた事はあまりにも大きかった。3年の我慢と思っていたのが、結婚し子供を産み、20年以上住む事になる。自然の豊かさ、人の温かさ、現代の便利な世の中に忘れ去られた何かを思い出させてくれた。

 

隠岐への赴任が決まった時、母親に報告すると「隠岐に行くのはいいタイミングになる。しっかり地に足をつけて生きて行けるように頑張ってきなさい。」と励まされた。今振り返れば、まさしく母親の言った通りになった。

 

隠岐へ移住する人が近年増えてきているそうで、活気が戻りつつある。シャッター通りとなってしまった商店街をリノベーションする若い人たち。暖かく受け入れる住民の人たち。最初は島に行くのが外国に行くことかのように思っていたが、県や国を分ける線とは人間が勝手に決めたもの。海も山も川も大自然は人間のそんな都合など無視して全てを受け入れると言わんばかりに雄大だと。

 

そして、BESOの今年のテーマとして「地に足をつける」という言葉が付け加えられた。

 

昨年末、衝撃を受けた人物との出会いがあった。一目その人を見た瞬間に「この人地面に根っこ生えてるちゃうかな?」と思うほどその立っているだけの姿にパワーが溢れていた。大地のパワーを受け、人としてしっかり両の足で立っている。声は響き渡り、かといって威圧的でない優しさもある。

 

その人物の生い立ちや経験してきたことを聞かせてもらい、全てが線となった。姿勢に全てが詰まっていると教わった。それは物理的な自分の姿勢はもちろん、何かに取り組む精神的な姿勢も含めて。以来、姿勢を気にするようになった。

 

しかし、その人物はあえて、その真意を前面に出さない。あくまでもさりげなく、何気なく、なるようになる感じでその大切さを伝える。押し付けず、ただただそこにある真理を体で体感してもらうように。

 

 

 

そして、「地に足をつける」という事を体で身につける考え方が始まった。英語では同じような意味を見事に一言にしてくれている。「グラウンディング」。大地という意味のグラウンドからきている。

 

どうすれば地に足がつくのか?あれこれ考え、あーでもないこーでもないとバタバタしていたが、答えは日々の生活にあった。大自然に生まれた生き物は全て地に足をつけて生まれる。それを思い出すだけなのだと知った。

 

しかし、生きている限り、便利な世の中になればなるほど様々な誘惑や方向性が生まれる。もちろん進歩の恩恵はありがたく受ける。その中で、何を大切にし、何を表現し、どこへ向かうのか?その一つ一つはあくまでも日々の日常にある。

 

自分の人生を振り返ると、どうやら風の性質が強いらしい。特徴として、多くの事に興味がありフットワークが軽くどこにでも行く。次から次へと考えが風のように気ままに動く。ゆえに腰を据えて何か一つをどっしりとやるという事はあまりない。

 

まさしくその通りだと自分で感じる。もともとの自分の属性を大事にし、特徴を知りながら生きる事は大切だと思う。適材適所という言葉もある。その中で自然に生きる者として全員に大切なグラウンディング。

 

風のように気ままに動きながら地に足をつけて生きるという一見矛盾した在り方を追い求めたい。もしかしたら発想が間違っているかもしれない。がやってみなと分からない。し、間違いを覆す結果が出るかもしれない。

 

という事で、風と大地が融合したパワーを受ける人間を今年は意識する。と宣言したかったので記事に。そして今年は隠岐に行こうと思います。

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