矢印

 

「外に矢印を向けずに、自分に矢印を向けろ!」

 

引用元: 佐々木鈴優さんの書道教室

 

 

昔、恩師に言われた言葉。今となって言葉の意味が理解できて腑に落ちた。
全てはエネルギー。生きるということは生命エネルギーがあり、自然には循環している自然のエネルギーがある。

そのエネルギーはどこへ向かうのか?エネルギーは導かれるがままに、引き寄せられるがままにただただ向かう。雨が降ると水が溜まる。水が溜まると下へ向かう。地下水になり、川になり、海になり、水蒸気になり、雲になり、雨になる。

 

エネルギーが矢印の方向へ向かうと次の状態へと変化していく。

 

目に見えるものはわかりやすい。目の前にあるコップを押すと矢印が向かった方向に倒れる。倒れた衝撃で割れる。割れた破片を片付ける。ゴミ箱に入れる。焼却炉に向かう。燃えてカスとなるか気体になる。また人間はコップが必要なので、コップを作る。

難しいのは目に見えないもの。目に見えないものもエネルギーが矢印の向く方へどんどん向かっていくのだと思う。

 

恩師の言葉の真意は、その矢印の元のエネルギーである意識の話。

 

それはサッカーの中での考え方や意識であった。サッカーは手ではなく足でやるスポーツ。ミスが前提のスポーツ。野球では手でやるためミスをするとスコアボードにエラーの文字が出る。サッカーでミスをエラーといちいち書いていると、スコアボードは大変なことになるだろう。

そして、何かしらのミスが起きた時の意識について。サッカーは11人でやる競技。ボールは一つ。相手も入れると22人。一人のミスに対して残りの21人がどういう対応をするかで、状況がめまぐるしく変わる。

 

例えば、試合中に敵にボールを奪われたとしよう。ボールを奪われた人の心理として矢印が2つある。

 

「お前があっちに走ってくれたらいいタイミングでパスが出せたのに、逆に走ったからパスが出せなくて取られたじゃないか!」

と矢印が自分ではなく人に向く発想。

 

「お前があっちに走ったからパスは出せない。だから違う仲間にパスをすればよかったのに、お前にパスをするとこだわった俺の判断ミスだ。」

と矢印が人ではなく自分に向く発想。

 

エネルギーは向かった先へ行く。人に矢印が向く場合、どんなエネルギーなのかというのもポイントになる。

このサッカーのミスの場合は「怒り」のエネルギーが相手(味方)に届く。するとそのエネルギーが届いた相手はそのエネルギーに対してまた矢印を探す。多くの場合はまた、外へ向けて、「怒り」のエネルギーを矢印にして届けてしまう。

「おれのせいじゃないよ!取られてのはお前がヘタクソだからだ!」

と。

 

エネルギーが自分へ向く際は、いいもわるいもなく解決へ向かうことが多い。

 

失敗してしまったミスをただただ冷静に眺め、

「あ、こういう判断ミスをしたから取られたのだな。上手い選手なら別の味方にパスして、もしくは敵をこういうふうにかわせばよかったんだ。」

と。

 

それを見た仲間はきっと、

「おれもあの時は逆の方向に走ればお前からいいパスが出るタイミングだったんだなと思うよ。取られたミスの半分はおれのせいかもしれないな。」

 

と。

 

この味方の言葉は相手を思いやる、気遣いも含まれている。相手を思いやる暖かい気持ちがエネルギーなって相手に届く。矢印を相手に向ける場合は暖かい気持ちで向けてあげるのが大切だと思う。

ミスが前提のスポーツ。人生も生きている限り失敗の連続。失敗やミスとの付き合い方というのが大切なのかもしれない。

 

何かを変える時、何かが生まれる時、必ず痛みが伴う。

 

出産、改革、成長痛。その痛みとどう付き合っていくか。

 

その「痛み」を「怒り」のように外へ矢印を向けて、ネガティブなエネルギーを何かにぶつけるのか、それとも「痛み」も「怒り」も有難いものだと自分の中で次のステージへの糧とすることができるか。

 

「怒り」や「痛み」の先を少し覗いてみよう。その先に笑顔や豊かさ、もしくは解決があるなら矢印の向き先としていいのかもしれない。

 

だが、多くの場合はネガティブなエネルギーがグルグル矢印の向きを変えて雪だるま式に増えるだけなのでは無いかと思う。そしてそれはおそらくサイクルの最後として自分に返ってくると思う。天に吐いたつばのように。

逆に言うと、ポジティブな暖かい気持ちのエネルギーを相手に矢印を向けて送ってあげるとそれが雪だるまになって自分に返ってくる。

 

最近は何かが起きた時、まず外ではなく自分に矢印を向けてみることを意識している。すると相手に暖かい矢印を向けられるような人になっていくのだと思う。

 

その時怒っている事なんて、10年後20年後は笑い話になっていることが多い。ということは結局どっちだっていい話な事が多い。だったらそんな怒ることよりも自分と相手の成長のために起きた未来の笑い話だと思えば「怒り」も起きなくなる。

 

もちろん、人をものすごく傷付けるような許されない事が身近に起きるかもしれない。しかし、その怒りの先にみんなの笑顔や豊かさや解決があるかどうかを考えよう。

 

そして、「怒り」ではなく解決やレベルアップの矢印を探して次につなげる事が大切なのではないかと思う。

 

過酷な経験をしてきた「怒り」の矢印に関しての人類の師匠

マハトマ・ガンジー の考え方

ガンジーの言葉の窓

 

どの道を進むのも自由で、方向は無限にある。しかし、生きている限り矢印は続く。矢印の向け方を学ぶと自ずと道が見えてくるのではないかと思う。

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