この世の全ては虚構でできている。

なんともまぁ大胆な一言。受け入れるには大きすぎる言葉。

誰が言ったかと言うと、いろんな人が言ってる。それぞれが違う言葉や表現方法で。わかりやすいのが映画マトリックス。日常だと思っている現実が実は全てプログラミングされたイメージの虚構であるというストーリーの映画。

映画はフィクションで現実とは違う!と主張したい人もいると思う。が、今様々な分野の人がこれと同じことを言っている。

イーロンマスクや違う観点で言うとニーチェもこれに近いことを言っている。

虚構とは英語でまさしくフィクション(fiction)もしくはファブリケーション(fabrication)。作り上げられたもので、実体はなく、存在しないもの。虚構を口にすると嘘という言葉になる。

その正体が虚構であればそれを説明すると全て嘘になる。

この世が虚構であるという一言に反論を唱える人が多いが、果たして本当にこの世は虚構ではなく、嘘ではないと言えるのであろうか?もちろん一言で表すと誤解もあるため、その真意に迫ろうと思う。

これに関しておもしろい事を言っているのが、ユヴァル・ノア・ハラリ。イスラエル人の歴史学者。最近の著書が人気爆発中でBESOも流行りに乗って読んでいる。なかなかおもしろい。その主題となるのが、人類の爆発的発展を支えたのは虚構を信じたところだと。

虚構を信じるまでは他の動物たちと同じような生活を営んでいた。それが、虚構を信じる(言い換えると盲信とも言えるかもしれない)事で、他の動物では考えられない数の人が協力する事が可能になった。

一般的な動物はDNAに記憶された情報と親の行動を元に誰が敵で、誰が味方かを判断する。かつて人類もそうだった。そして基本的には自分より強い相手、大きい相手には挑まない。ゾウやライオンを見ると逃げ出していた。
しかし、多くの人で協力すると倒せるという事がわかりだした。人間だけでなく、他の動物も群れで生活を送る。安全に生きる為に、強い敵に相対するために。そして動物学者はその群れの集まる個体の数の最大値は150ぐらいという事が分かった。それ以上同じ種の個体が集まると内部分裂するという。

人間社会でもこれは当てはまる。身近で150人以上の組織や団体を見て欲しい。内部分裂していないだろうか?

しかし、それでも成り立っている集団がある。それも150なんて数ではないぐらいに。虚構についてのわかりやすい例にプジョーをあげている。

もともと、フランス人のプジョーさんが立ち上げた小さな会社。それが大きくなり、車のロゴだけで全世界中の人がプジョーだと認識する。仮に、プジョーさんが急死したとしても会社であるプジョーは生きている。逆に、プジョーが訴えられて倒産に追い込まれてもプジョーさんは生きている。車自体は誰がどの国で買っても高値で取引される。そこには、プジョーさんから離れたプジョーという存在が確立されている。それを現代では法律上、法人という。どこかで乗っているプジョーが故障し爆発して死人が出てもプジョーさんに責任があるわけではなく、法人としてのプジョーに責任がある。

プジョーには世界で考えれば150人なんてはるかに越す何万単位の人が同じロゴであるプジョーのために車を作ったり販売したりしている。しかも、長い間秩序が保たれている。これこそが人類が地球上に一番多く繁栄できた哺乳類の理由だと考察している。

そして、気をつけなければならないのが、法人のプジョーは虚構だということである。名前も知らず、見たこともない同じ会社の人間。しかし、一度会い自己紹介した瞬間に仲間になり同士になり家族のようになる。

このプジョーに似ているのが国や宗教である。その成り立ちの根底になっているのは信仰である。国の場合は勝手に人間が決めた国境という線と、自分たちの生活様式を誇りに思う文化を信じている。宗教の場合は、もちろん教祖・開祖を信じている。

構造からすると、問題を起こしたオウム真理教もキリスト教も日本もアメリカもプジョーと同じだという話。それは一言で虚構を信じていると。

この世の中にあるものはほぼ全てが人間がそうだと、信じ込んでいるだけのものがほとんどである。その信じている何かを100人が100人そうだと言えばそれは真実になる。虚構だとしても。

その辺の人を捕まえて、100人に「これは誰ですか?」と総理大臣の写真を見せたらほぼ100人が「総理大臣」と答えるだろう。しかし、それは聞く100人を変えると見事に変わる。一家に一台テレビの無いアフリカに行けば、「中国人ですか?」という答えが100人から返ってくるかもしれない。

つまり、総理大臣という虚構を日本人が信じているから真実になる。信じていない人からすると総理大臣という名前は皆目役に立たない役職になる。

それを踏まえた上で2017年の日本の上半期を振り返ってみようと思う。

上半期の日本をお騒がせしている総理大臣。彼が言うことは嘘ばかりだと人々は言う。メディアが流す情報は嘘だと言う。それ(総理大臣の発言やメディアの報道が嘘ばかりということなど)が真実なのであれば、それこそがこの世の真理なのではないかと思う。そもそもその存在自体が虚構なのだから。

何も、今の総理大臣だけが嘘を言っているのでもなく、今のメディアだけが嘘を言っているのでは無いと思う。過去の総理大臣も、海外の総理大臣も、他のメディアも嘘を言っていると思う。そして、人は生きている限り少なからず嘘をついていると思う。自分の胸に問いただしてもらいたい。

もちろんついていい嘘やついてはいけない嘘などの議論は絶えない。し、嘘をついてはいけない、というのが大前提だと思う。だが、嘘と間違いの判別はどうつけるのだろう?国会議員お得意の「記憶にございません」。飲みすぎた次の日に友人に怒られた時、自分も言っているのではないだろうか?

何が言いたいかというと、今目の前にある様々な問題や出来事は虚構から成り立っているという事を自覚するということと、その虚構の上に今の自分があるということである。自分が信じたものが真実になり、嘘だと思うものが非現実になる。

歴史を振り返る限り、虚構を利用して何かをするのが人間の専売特許なのだ。そうして今まで人類は繁栄してきた。今更それをおかしい!と言う方がおかしい。地球が回っているのか太陽が回っているのか?時代によってそれは変わった。信じる人が真実を決めているのだ。

とは言うものの難しい問題がある。自分だけでなくその他大勢が一度真実だと思ってしまったものを覆すにはそれを上回る信仰をすげ替えなければならない。総理大臣を違う総理大臣にするには選挙をしなければならない。自分が違う総理大臣を信じていても。ここが人類の社会の複雑なところでもある。自分の信じる虚構と人の信じる虚構は違い、それによって真実も変わっている。

とにかく、今の日本は何か狂ったように感じる。おそらく今までも狂っていたのだろうが、自分自分が落ち着いたことで周りが狂っているように見え出したのかもしれない。ひっきりなしに総理大臣の問題を指摘する。その構造を批判する。

もう一歩、もう一回り大きく見ることはできないだろうか?

その構造を作っているのは何なのか?その構造とは日本という国、政治というシステム、法律というルール。それらは全て虚構なのだ。その虚構に従っているのだからその上で起きていることにいくら文句を投げかけてもその投げかけさえも虚構になってしまう。

ではなく、自分が何を信じているのかを見直すことをまず最初にするべきだ。どんな人間を目指し、どんな人生を送り、どんな社会を築いていきたいか。そこに向かうための障害は総理大臣ではなく自分たちが作り上げてきた虚構なのだと。虚構を生み出す方法は信仰だ。このあたりから堂々巡りするので一旦終わることにしよう。

つまり、視野を広げて今の1世代だけを見るのではなく、人類の幅として何が起きているのかを見てみようと。日本人として、大事にすることもあるだろう。現代人として大切にすることもあるだろう。でももっと大事で大切なことが人間としてあるのではないかと思う。

それは一人一人本来違うはずである。が、それを同じにする為に虚構を信じさせられている。結局この世は虚構であり、それを口にすると嘘なのではないかと思う。