欲望と本能 −ファスティングの後に−

気になっていたファスティング。

実際に自分の身をもって体感することで分かること。
最近の思考や意識とのタイミングも相まって自分にとってはなかなか有意義な時間と体験になった。

 

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欲求と本能

 

何が欲求で、何が本能なのか?
誰の声に従い、どこへ向かえばいいのか?

ひとまず、「3日間物を食べない」という経過を辿りながら見ていく。

朝起きて、朝食を食べる。習慣化されたありふれた日常。食べたい、という欲求がある無しに関わらずいつも食べているから食べている人も多いかもしれない。

ここで、朝食について。最近のテーマとして声が大きくなっているのが、「朝食を抜く」というライフスタイル。食べ物の消化には多くの酵素、体力、エネルギ―を使う。朝から消化にエネルギーを使ってしまうのではなく、胃に優しい暖かい飲み物を頂こう、と。

しかしながらBESOは喫茶店でモーニングを注文し、パンとコーヒーを楽しみながら作業をするのが日課。ファスティングで朝食抜きとなると、無性にパンが食べたくなる。

このパンの食べたさは、明らかに欲求だと感じた。そして、断食中には苦しい欲求だった。

毎日あるものが欲しくなるのは当たり前の現象。依存とも呼ばれる。タバコ、お酒、コーヒー、薬、甘いもの・・・。それらが体が本当に求めているものではないと気付けた気がする。

気付けば欲しいもの、というのはほとんどが体ではなく頭が欲しがっているものではないだろうか?

頭が欲しいものというのが欲求で、体が求めるものが本能。

これが一番今回のファスティングで得た収穫かもしれない。

タバコはニコチンが、コーヒーはカフェインが、体に不足して欲しくなると言われている。しかし、これらを止めることができる人が大勢居る。

そして究極食べ物を食べる事を止める人まで現れ始めている。(昔からいてるが、多く現れ始めている)

その後、昼食、夕食、2日目、3日目とファスティングが続いていくと、食べたい感覚が変わってくる。もちろん頭では無く、お腹が食べたいという意思を体が発し始める。そうなってくると欲求から本能へと変わり始めたと思う。

おそらく、本能とは自分の身を守るためにある。防衛本能や野生のカンというのが分かりやすい。

そして欲求と本能とは全くの別物

いろいろな話を統合して1つの結論というか答えが見えた気がする。
それが本能の声を聞くという生き方。

 

本能こそが人生において一番大切なもの

生きとし生きるもの全ては性質が違う。しかし、全てが目指すゴールは幸せ。その幸せに向かう道標こそが本能ではないだろうか?

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この本能という言葉がいろいろな言葉に置き換えられている。

インスピレーション、直感、無意識、真我、無我、ハイヤーセルフ、インナーチャイルド、高次の存在、宇宙意識、神性、など。

これらはニュアンスの違いはもちろんある。

でも、全ては幸せという究極のゴールに向かう為の道標で、表現方法が違うだけだと思う。

人生の岐路に立った時、究極の選択を迫られた時、最終的に選ぶのは自分。その判断にはいろいろな要素がある。

金銭面・人間関係・将来性・現状の環境・家族構成・まわりの人からのアドバイス・・・。しかし、最終的に下す決断は直感が大きく影響を与えていると思う。

BESOはいろいろな仕事をして、いろいろな職場を見てきた。自分が経験するためにその仕事を自分の直感や本能が選んだという事を改めて思う。

引き寄せの法則なんかもこういう事を言ってる言葉なんだと思う。

ファスティングによって、全ての選択は本能によって選んでいるのだと気付かされた。

それは何を食べるという選択も、どんな仕事をするという選択も同じ一括りとしての選択。

コンビニで何かを買う、服を買う、誰と遊ぶ、どこへいく、誰と恋愛し、どんな人生を送るのか?それらも選択の一つ。

周りが決めるのでは無く、自分の頭が決めるのでも無く、本来は自分の本能が決めれば幸せに近づけるのではないだろうか?

しかし、本能の判断は時に損に感じる。なぜなら幸せは目には見えず、形のあるものでは無く、感じようとして感じれるものではないからだろう。損得というのは頭で考えた、人間が楽に生きるためだけの計算でしかない。

この計算が欲望の正体のようにも思う。より、おいしい物、快感を得られるもの、お金、見た目、ステータス。

太陽が得で月が損、なんて聞いた事ないし、地球が得で火星が得とも聞いた事がない。人間が関与しなければ得も損もない。

なんの制約も無く、条件もなく、ただただ満たされる状況。それこそが幸せな状況。人間が苦しむ損得からの解放かもしれない。

転職や選択の際、少しでも儲かる仕事。楽な仕事。に進みたいと思う。将来安定で、周りや家族に少しでも楽に生きて欲しい。そのための条件には確かに重要かもしれない。

しかし、お金が本当に家族の楽になるのだろうか?

本能がやりたいと言っている事を自分の体で実現する事が一番快感感じるはずだ。

やりたい事が出来た喜びというのは何物にも代え難い。
ビジネスなら予算達成。
子育てなら子供が立派な大人に。
スポーツなら優勝や記録の達成。

それらは本当に自分の無意識や本能が成し遂げたかった事だろうか?欲望に囚われていないだろうか?

予算は勝手に会社が決めたただの数字ではないだろうか?
名門大学やエリート企業はただのステータスではないだろうか?
優勝や記録はただの周りが決めた結果ではないだろうか?

その中身が本当に自分が心から望む願いや得たかったものかどうか今一度考え直せ!

そんな事をファスティングを通じて感じさせられた気がした。

毎日何の疑問も無く食べる食べ物。
目の前に食べ物が現れる過程が大切に感じる。
美味しく食べられるように調理してくれる人。
その食材を運んでくれる人。
植物、魚、動物を収穫してくれる人。
それらを大切に育ててくれている人。
そして食べる自分を含む全てを育んでくれる大地。
大地がうまく循環する地球。
地球が存在し続けるように包み込む宇宙。

これは大げさでもなんでもなく一つ一つを細かく見ていった真理。

食べ物が食べたいという欲求。
そして体が求める本能。
その本能は全ての幸せのためのプログラム。

本能の声に耳を傾け、人生というキャンパスに体という筆で幸せを描く。意識のパレットで人間関係という鮮やかな色を混ぜ合わせる。

暗い絵にする事も明るい絵にするも自由。
どんな絵に仕上げるもあなた次第で意識と体次第。

パプリカ食堂 ヴィーガン ブログ

ありがたい縁からパプリカ食堂のブログを書くことになりました。

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お店の情報はもちろんですが、野菜について、食べ物について、いろいろな食事法なども記事にしていきます。

最近のこのブログの主流は政治・歴史・社会が大きなテーマとなっていました。ですが、本来は生活が大切という大事な部分を書けない期間が続いてしまいました。

これからは少し切り離して、そういった、食べ物・医療・食事法・ライフスタイル等はパプリカ食堂のブログで書いていきますので、ご愛読いただければ幸いです。

パプリカ食堂は 「食べて 飲んで きれいになる」 をモットーに、完全菜食レストランを進めています。ヴィーガンもヴィーガンでない人も楽しめるように味付けやメニューを工夫しています。

マクロビ・ローフードを中心に、肉・魚・乳製品・GMO・白砂糖・化学調味料・農薬・過剰な添加物を使わない体が喜ぶ食事を実践しています。

是非、一度ご来店下さい。
↓↓↓
パプリカ食堂 ヴィーガン ブログ

Gary Yourofsky ゲイリー・ヨーロフスキー

ゲイリー・ヨーロフスキー

13回逮捕され、5カ国から追放された凶悪国際テロリスト。

1997年カナダのミンク(イタチ科のファーなどの皮製品のために飼育されている)の毛皮農場から1000匹を超えるミンクを脱走させようとし、半数を逃したところであえなく逮捕。

強姦、殺人、強盗などの罪で収容されている人々がいるカナダ最高レベルのセキュリティを誇る刑務所に投獄される。

収容から間もなく、所内の談話室のテレビでは「『国際テロリスト』ゲイリー・ヨーロフスキー逮捕」の報道。その刑務所の囚人の中のボスはその映像を見ていた。ふと後ろを振り返るとまさにその『国際テロリスト』がそこに座っていた。

ボスは彼を二度見し、思わず問いかけた。

「お前が国際テロリストか?」

「いかにも」

「ミンクを逃してここにパクられたのか?」

「いかにも」

「ところでミンクってなんだ?」

「フェレットみたいなげっ歯類の動物だ。」

「そのミンク何匹か逃しただけで俺たちと同じ刑務所に入れられているのか?」

「正確に言うと違う。逃した罪よりもミンクファームに210万ドルの損害を与えた罪で(殺人や強盗などで捕まっている君達と同じように)ここにいる。」

どうやら今の世の中は殺人や強盗などと経済活動の妨害は同様の扱いらしい。むしろそれよりもひどい扱いも受ける場合もある。

収容後保釈を受けるために弁護士が申し立てる。しかしその申し立ては断られる。ミンク脱走犯の犯人がアメリカのミシガンに帰ってしまう恐れがあるため保釈できないと考えたようだ。その審査は10日もかかった。

その保釈を断った女性裁判長が3週間前にミシガン出身の性犯罪者には1000ドルの保釈金を与えていることを弁護士は知った。その事実を10日目の法廷で女性裁判長に問い詰めると、

「その話は今回の件と関係ないでしょ?関係のない話はしないで!」

弁護士は苦しみながら反撃の一手を考えていた。

「裁判長、いやはや関係ありですよ。私の依頼人(ゲイリー)は残酷なことをやめさせようとしました。たとえ刑務所に入れられてもいい覚悟で、無情にも殺される動物たちの為にメッセージを宣言しようとしました。
裁判長は先日一人の女性を襲った性犯罪者には保釈金を与えたのに、私の依頼人に与えず10日間も審理がないのはおかしくないですか?」

痛いところを突かれ、どうしようにもなかった裁判長はしぶしぶ、

「では、保釈金は1万ドルとします」

と言い放った。

ーーー

今の世の中に一石を投じその波紋の中心にいる人物。もちろん様々な分野で彼のように自分の道徳や倫理に従って活動している。

何を信じ、何を自分の軸として生きるかは人それぞれ。

経済活動が悪でもなく、動物愛護が善という話では無い。その微妙なニュアンスや主義主張をこの動画を見てもらえれば伝わるのではないだろうか?(長いので、質疑応答だけでも伝わるかもしれない)

保身を求めず、見返りを求めず、自分の信念に向かって突き進む。傲慢と利他の関係性ジレンマと戦う彼の生き様から少なくとも何か考えさせられる事はあるのではないだろうか?

大人の社会科

昨日大人の社会科という枠で、食べ物や生活の考え方についてプチセミナーを開いてもらった。

教育実習、個別指導、家庭教師と子供に勉強を教えた事はあったが、大人にレッスンとして教えるというのは初めて。

きっかけは自分が聞きに行ったセミナーから。ご縁からアロマのセミナーに参加させてもらった。その先生は素敵な先生で、スピリチュアルな感性も豊かな女性の方。

物事がうまくいく術を知っているかのようにレッスンをしてくれた。アロマの話をメインに、ヨガ的なチャクラ・プラーナの話。生きて行く上で信じるべき流れや起きている事を捉える感覚など凛々しい女性らしい印象が強かった。

そしてレッスンが中休みに入って2時間程休憩。BESOは午後の本格アロマのレッスンは受けていなかったため帰るつもりだったが、ふと世間話に。

男性が自分一人なのが当然なのか、逆に不自然なのかそのセミナーに来ていたのは自分以外は女性の4人。意外にも会話は弾み、漫画の話や食べ物の話など詳細は少し忘れてしまったがたわいの無い会話でちょっとした裏話的な話に。

そして午後の2部目のレッスンが始まるという事でBESOは一人だけ退室。すると夜にその会場だったサロンのオーナーから、今度は自分にセミナーをやってほしいとの依頼。

突然の事に驚きながら快諾。早速何をテーマにするかや時間・料金など打ち合わせる。

ひょんな事から急な展開で今回のセミナーが開かれた。内容はオーガニックの食べ物、アレルギー、ベジタリアン食、ライフスタイルに対しての自分の心のあり方など。お子さんがいらっしゃるお母様方だったので子供の食べ物についても話は多くあった。

オーガニック穀物コーヒーとほうじ茶、白砂糖・牛乳を使わないサブレやクッキーも持参。

それが無事終わり、少しホッとした。そして嬉しさの余韻がまだ残っている。

というのも、小説「COIN」に書いた事は少なからず自分の願望や将来設計の様な部分が含まれている。

ネパールには行った事なかったが、ストーリーに少し出したから実際に足を運ぶ事になった(感謝しているおもしろい出会いもあった)。

そしてメインの舞台として小説には塾が登場する。昔教師を目指していたが教育の現場の現状に幻滅し、私塾を設立して子供に教えたいという願望というか野望がある。

それのファーストステップとなるような今回のセミナーが無事終了し、おそらくは満足して帰って頂けた。自分のやりたい事が少しずつ前に進んでいる、という実感と初めましての方とこういう形で触れ合えたという嬉しさが相まった。

もちろんもっともっと内容も磨いていき、喋り方や全体の流れなど見直しとスキルアップは必要と感じた。しかし思い描いていたプランに大きな支障がなく、伝えたい事の多くは伝わったかと思う。

ただ、90分という時間ではもっともっと深くの部分まで掘り込めないのでそこは回数とテーマを絞るというのも必要になってくるかもしれない。

ひとまずは報告と来て頂いた方への感謝をここに記しておきます。

To teach is to learn.という言葉。何かを教えるという事は教える側にとって学びになるという意味。今回は非常に多くを学ばさせていただきました。ありがとうございます。大きなテーマとして「ゴール」を設定する。という事を話しましたが、自分のゴールである、作家兼農家に向かって改めて邁進しなければと背筋を正されました。

「大人の社会科レッスン」ご依頼頂けましたらいつでも出張させていただきます。

菜食主義

>>>「菜食主義」はベジタリアニズムの日本での訳語で、それを実践する者をベジタリアン(菜食主義者)と呼ぶ。菜食という語感から「野菜のみを食べる」と誤解されがちだが、実際にはその種別は多岐にわたる。動物性食品を全く摂らない狭義のベジタリアンから、乳製品を摂取するラクト・ベジタリアン、卵を食べるオボ・ベジタリアンなどを含む。<<<
<Wikipediaより引用>

meditationからの続きで自分の体の事を考えてみる。
人種、体型、趣味、好み・・・
その中で今回は食べ物について。

何かを食べる事は当然毎日する事。
本当にそうなのか?
他の生き物で考えてみよう。
植物は食べない。水と光と二酸化炭素で光合成する。
これは葉緑体があるから。人間には無い。
魚はプランクトンを食べる。
動物は草食と肉食に分かれる。
何で分かれるかと言うとその動物の体に適した食べ物で分かれる。
口や歯の形、口から内蔵の形、血液の成分。

人間には様々な人がいる。

水しか飲まずに生きてる人もいる。
プララド・ジャニという人は6才から不食し、65年も生きているという。
http://x51.org/x/05/01/1506.php

人間は食べないといけないというのはどうやら固定概念でみんながそう思ってるだけみたい。
でもこんなに日常に当たり前の事を今更変えられへんし変えたく無い。
もちろん習慣は大事で変わるといろんなところに変化が出る。

次は人間の内蔵から考えてみる。
胃、小腸、大腸が主な通り道であるが人間が適しているのはどっちだろうか?
肉食動物の腸の長さは体の長さの約4〜5倍と言われている。
草食動物はウマで約10倍ヒツジでなんと25倍。
人間の腸は成人で6〜8m。個人差はあるにしても10倍未満。
っていう事は腸は肉食に近い雑食。
植物だけで栄養を賄うのは難しいためウシやヒツジなどは反芻して吸収率を高め
長い腸でさらに吸収を深める。
人間には胃は一個だけ。

てことはやっぱり人間は肉食型雑食なんじゃないかと言える

じゃー何を食べて行けば良いのかを考える。

のは長いから菜食主義その2に続く。

菜食主義 その2 食べ物の裏側

肉食と草食。草食系男子や肉食系女子とか言われ出してる最近。
それは性格的な表現であるが、あながちあなどれない時代を鋭く表してる言葉かもしれない。

それはさておき、食べ物としての動物と植物。その生命についてみて見る。
動物は、言葉通り動く生き物。歩いたり飛んだり泳いだりして食べるためや生殖活動のために動く。
動物を大きく分けると、ほ乳類・魚類・鳥類・爬虫類などに分けられる。

植物は逆に動かずに、生命の種を様々な方法で残して行く生き物である。

その大きな使命は地球という壮大なフィールドでの種の繁栄や継続の為の生存活動である。
その為にそれぞれに適した環境を探し求め、時には共存しようと他の生き物と助け合う事もある。
なので、大きくいうと生き残る為に活動している。

ここで一つ疑問が生まれる。
果たして生き残るために生きている動物を食べるのは理にかなっているのだろうか?
もちろん動物は栄養価が高くエネルギッシュに生きる為に食べるべきであると言われている。
本当にそうだろうか?

実際にこんな事をした人がいる。

映画「Super Size Me」
>>>モーガン・スパーロック自身が1日に3回、30日間、マクドナルドのファストフードだけを食べ続けたらどうなるかを記録したものである。この間、健康のための運動はやめ、彼の身におこる身体的・精神的な影響について記録している。さらに、スパーロックはファストフード業界の社会的な影響を調査し、この業界が利益のために栄養を犠牲にしていることを明らかにした。
スパーロックは当時33歳、身長188センチメートル、体重84キログラム、体脂肪率11%、体格指数23.7(正常値はアメリカでは19~25である)と、健康体であった。30日後、体重は11キロ増え、体脂肪率は18%になり、体格指数も27(アメリカ基準では「標準以上」)、躁うつ、性欲減退、かなり深刻な肝臓の炎症を起こした[1]。
スパーロックの実験の動機は、米国の保健福祉省長官も「蔓延している」と宣言するほどの米国社会の急速な肥満の増加にあり、これに呼応する形でマクドナルド社に対して起こされた訴訟にあった[2]。この訴訟自体は因果関係が認められないとして裁判所に却下され、マクドナルド側の勝利に終わるものの、スパーロックはタバコ会社に対するのと同様の非難がファストフード業界にもあてはまるのではないかと指摘した。
映画はアメリカで2004年5月7日に公開され、全米興業収益のトップ10に2週間載るなど、ドキュメンタリー映画としては大変な成功を収めた[3]、またアカデミー賞の優秀ドキュメンタリー映画部門にもノミネートされた。<<<
<Wikipediaより引用>

これはハンバーガーを例にした動物を食べる例であり、その添加物の影響を訴えた物であるが動物愛護的な観点からも影響を受けている。

生き物を食べるという事は確実に動物を殺すという作業がある。
この事を屠殺というが、やっている行動は飼っている動物を殺す事に変わりはない。
ここで出て来るのが波動である。
人が何かを殺すのはポジティブないい影響を与えるだろうか?
人は人を殺していけない。これは国を問わず法律で禁じられているだろう。
じゃー動物は殺していいのだろうか?法律上問題無い。実際にいっぱい殺されている。
しかし動物は生き残る為に生きているのである。しかもその真横で一緒に育って来た友達が目の前で人間に殺されているのである。
これが愛犬や、もしくは自分に置き換えてはどうだろうか?
もし、次が自分の屠殺の番であれば恐怖で体は硬直し精神は崩壊してしまうかもしれない。
そんな状況で屠殺された動物の肉が現在我々が口にしている「肉」である。

ベジタリアンの人々は肉は死体を食べているのと一緒だと言う。
その通りである。

逆に植物はどうだろうか?
植物は被食と言われる食べられることによって種を遠くに運んでもらったり
フンとして地中に含まれるようにする。
つまり食べられる事を前提として生きている。
もしくは果実が木から落ちそこから種が芽を出すように果実に栄養を貯めている。
挿し木でもわかるように、植物は切っても死なないのである。
つまり、植物を食べる事は死んだ草を食べているのではなく生きたフレッシュな物を体に取り入れているのである。

どっちがいいか何を食べるのかは人それぞれです。
ただ問題は、その食べ物のためにどれだけの物事が裏で動いているかも気にして欲しいです。

>>>ミネソタ大学環境研究所(IonE)の新たな研究によると、世界全体でみると、農地作物(農業)が生産するカロリーの36%が家畜に与えられている。家畜に与える穀物を半分に減らすことで、新たに20億の人を養うことができる。<<<
肉食とバイオ燃料をやめれば新たに40億人を養える ミネソタ大学の新研究

世界人口は今70億と言われています。その中で飢餓に苦しむ発展途上国の人々は10億人で、4秒に一人が飢餓のせいで死んで行ってると言う。

自分一人が美味しい物を食べたいが為に4秒に一人飢餓の人が死んで行く。それだけじゃなくてウシやブタ・トリも死んで行く。
毎日の生活が必死な原始人が狩りで仕留めた肉なら分かりますが・・・

スジャータ 波動の研究

 波動の研究をしている一般企業もある。その代表的なのがめいらくグループ。有名な商品がスジャータと呼ばれるコーヒーフレッシュ。

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もともとめいらくとは名古屋製酪株式会社の名と酪からめいらくと取られてる。スジャータの由来は仏教の話に出てくるスジャータ。お釈迦様は悟りを開く前はシッダールタという名前の修行僧だった。5年にも及ぶ苦行でやせ細り衰弱していたシッダールタはこの苦行では悟りを開けないと苦行を辞める。そして死にそうになりながらたどり着いた町の長の娘スジャータに乳粥(ヨーグルト?)を食べさせてもらった。その仏教の経典に出てくる女性スジャータの名前が由来とされてる。

 仏教の由来があるように会社としても仏教系と言われてる。というより天理教の会社とまで言われている。日比孝吉社長は天理教の信仰者であると公言している。会社としても研修として社員に天理教の修養科に入らせるということをしている。もちろん信仰の自由などから非難の声や偏見もある。内情はわからないが、かなり天理教寄りの会社になっていると思う。それがどうした。ていう話しやけどこれが波動にもつながってくる。天理教は天の理を追求する教え。その天の理を追求していくとこの波動がひとつのポイントになってくる。そこで体にいい物、いい影響を与えるものを考えていくと波動の高いものなる。そこから波動測定器の発送になるのもわかる。

 何の波動の研究をしてるかというと、波動測定器というものがある。値段的には安くもないこの装置を企業として大掛かりに導入してる。何百万、何千万とする装置をいくつもそろえ研究員も今では50人以上もそろえていると。その研究員はもともと別の部署の社員の中から感性の豊かなメンバーを集めていったらしい。そんなに人件費や費用もかけて行う波動の測定とは?

 全ての物や存在には波動がある。目に見える物から目に見えない音や空気まで。その波動を数値化してくれる装置がある。最近ではオーラ測定器というのまで出てるらしい。人間の感じることの出来る5感では感じることの出来ない感覚、波動。わざわざ数値化するのもどうかと思うけど。でもまー数字として確実に出るものとしてやっと信頼を集め出してきている。その装置であらゆる物の波動を調べる。すると単に野菜を計るだけよりもおいしくなるようにちょうりされたものの方が数値が高くなったり、電子レンジなどで調理すると数値が低くなったりする。自分の体にも当然波動がある。体調がいい時はいい波動が出てる。逆に病気や体調が悪いときは悪い波動が出ている。それが食べ物や環境に左右されることは道理であり誰が考えても納得できることだと思う。

 めいらくでは商品のパッケージにも波動測定をしているらしい。スジャータでは中身であるミルクはもちろん、入れ物の容器も何色がいいのか、素材は何がいいのかを波動測定を参考にしている。そういった部分で体にいいものが愛されて売れているという部分につながってるんかもしれへん。

 何の宗教を信仰していようとも別にかまわないと思う。そこに愛があれば。でもその裏にお金儲けや支配というネガティブな感情があればいわゆる宗教の悪い部分が出てくる。人生を愛であふれた幸せなものにする。ちおう考え方である宗教の本質はすばらしいと思う。ただその裏側まで考慮して判断しなければならない。このスジャータのように人の体にいいものを作りたいという気持ちから波動を研究してものづくりに励んでいる人たちもいる。こういういい連鎖が多く出てくればもっともっといい世の中になると思う。売れるもの儲かるものだけを作る企業じゃなく。。。

 

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