サルバドール・ダリ

Salvador Dali(サルバドール ダリ 1904ー1989)

スペインが生んだアートの巨匠。

「天才を演じきると天才になれる。」
自らを天才と称し、実際に名声と栄光をつかんだ画家。

後世は絵画だけに留まらず、舞台セットの製作やアクセサリー、衣装のスケッチ、小説の刊行など幅広く活躍した。

スペインのカタルーニャ地方の港町に生まれ、小さい頃は地元の美しい風景画を描いていた。

絵画の才能を自他共に認識。絵画の道を順調に進む。

アートにおいて言われる様々な時代の◯◯リズム。当時のダリを取り巻いていたのは、日本語で超現実主義と言われるシュールレアリスム。

現実離れした夢の中のような不思議さ、というような意味で、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが提唱し始めたのが始まりと言われている。

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作品を見てもわかるように、現実的な写実よりも、異空間な空気漂うイメージの世界観の絵が特徴的だと言われている。

シュールレアリスムは精神分析の父、フロイトの影響を強く受けていると言われている。ダリ自身も例外ではなく、フロイトの影響を受けている。

 

 

夢の中のような無意識。

その中に現実のさまざまな人物や物を溶け込ませ、新たな世界観を創作する。

という印象がBESOがダリ展を見に行った率直な感想。

 

その中でもやはり有名なのが「時計」

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時計は時間の象徴。その時計がゆがんでいる絵がダリの代名詞にもなっている。そこから受ける印象はやはり、異空間や時空間の超越。さらにその周りを描かれている物や生き物もその影響を受けているような瞬間がそこにはある。

 

 

 

そして晩年の作品はそこからさらに「原子」や「宇宙」に思想が映る。

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夢でみた原子のイメージを絵に描き始め目に見ることのできない原子を表現した。

それはキューブや球体で描かれることが多い。

 

 

 

 

 

またダブルイメージと言われるだまし絵も好んで描いていた。

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一つの絵に二つの存在が混在している描写。見る物を楽しませ、また物事は多面的で視野を広く持てと言わんばかりの絵は、教訓さながらな気がする。

 

 

 

 

アートに興味をもたせてくれたBESOにとっての巨匠の一人。先日の京都での展示会を開催してくれた各団体の皆様に感謝。

暦と中秋の名月 ~太陰暦と太陽暦~

厳しい暑さが和らぎ、涼しげな秋が訪れる。

「秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と(自分の着想ノートに)書いてある。
夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。

耳を澄まして注意していると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気を配ってみていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉(とんぼ)だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。

秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼(するどく光る眼光の意味)の詩人になると、それを見破ることができる。家の者、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う、。もう秋が夏と一緒に忍び込んできているのに。秋は、根強い曲者である。」

『ア、秋』の一部
芥川龍之介

読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋。誰が言い始めたのか、秋は行動力が高まる時期のように感じる。

季節を考えた時に節目が一年に4つある。太陽が出ている時間が丁度12時間である春分秋分。太陽が出ている時間が一年で一番長い夏至、一番短い冬至。そして間もなく秋分の日、9月22日を迎える。

この4つの節目の日にちは、あらかじめ決まっているわけではない。毎年計算して、今年は何日と決められる。なぜなら暦にはズレが出てしまうから。毎日が24時間で同じように太陽が出て、同じように月が出れば暦にズレはなく、一年も同じになる。でもそれでは地球はここまで生命力溢れる緑の星にはなれなかった。

現在の1年365日、4年に一回閏年(うるうどし)を設け366日にして一年を読む暦を、「太陽暦」という。またグレゴリオ暦とも言う。

日本では明治6年12月3日から採用され、新たに1月1日から太陽暦がスタートした。元々の始まりは1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が制定した暦。これが世界に普及して一般的な暦として定着し、日本にも300年程の時を経てやってきた。

これによって世界共通の日付という認識ができた。その恩恵は計り知れないかもしれない。だが、落とし穴もある。

暦があまりにも当たり前になりすぎ、人間が自然を見なくなってしまった。また、触れ合わなくなった。暦は時計にもつながり、時間が決められ、一分一秒を管理される世の中。太陽暦が採用される前の日本は、太陰暦が採用されていた。太陰暦は月の満ち欠けで1ヶ月を決める。新月が1ヶ月の始まりで満月が15日、また新月がやってきて次の月。これを繰り返す。すると1年とする12か月が354日で終わってしまう。そのかわり3年に一回閏月(うるうづき)を設けて調整していた。

日常を送る便利さで言えば太陽暦の方が、やはり、はるかに分かりやすいかもしれない。だが、太陰暦の場合、月と共に日々を送る生活だったに違いない。今では「お月見」というのは過去の名残のようなイメージだが、太陰暦においては毎日のことだったのではないかと思う。

それだけ、毎日月を見ていれば、自然に天候や他の生き物、自然界全体に目が行き心も豊かだったのではないかと感じる。

先の、大正の文豪芥川龍之介。彼は俳句で有名な正岡子規とも親睦が深く、漢文や歌で互いを天才と呼び高め合っていた。太陽暦が浸透するにつれ、彼らの根底にあったであろう感性や情緒という、日本人の全ての人にあったであろう大切なモノが失われていったのではないかとも感じる(時代的には太陽暦に生きた人たちだが)。暦とはあくまでも日付という一つの認識。日本のような四季が厳しくも鮮やかに巡る国では、頭で理解するカレンダーではなく、体で感じる暦が大切なのかもしれない。

9月22日、秋分の日。いろいろな角度から考えて、大切な日になっている。一夜だけでも日常を離れ、「お月見」をしてみれば、少しは太陰暦に生きた昔の日本人の情緒がそこにはあると知れるだろうか。

『月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月』
(よみ人知らず)

〜解釈〜
この「月」はもちろん、①空に浮かぶ「月」と、②暦の「月」の意味がある。

①月を見る②月は多くあるけれど、こんなに綺麗な①月を見る②月は今月(8月)に限るよね。

という現代語訳。

なぜ今月が8月になるかと言うと、歌に月が8個(月々は月月で2個)出てくるから(旧暦=太陰暦の8月は、新暦=太陽暦の9月にあたる)。そういう言葉遊びを常にしていた日本人の情緒とユーモアを受け継いで行きたいと強く思う。

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