「真理」の追求

激動の2018年を皆さん如何お過ごしでしょうか?

BESOはこれでもか、というぐらい揺れ動いております。笑

個人的には、人生の目的・使命を明確にする為のさまざまな試練が訪れました。

環境や社会という面から見ると、特に関西では大雨・地震・台風と荒れに荒れました。

汚職や不正も洗い出されました。

大きなこの流れの中、BESOが出会って、手放す様々をご紹介したいと思います。

“「真理」の追求” の続きを読む

GHOST IN THE SHELL

PCが普及し、スマートフォンが一般的となった今、その本質に迫るこの作品がどうしても頭から離れない。

初めて見始めたのは確か2年ほど前。原作はヤングマガジン海賊版から1989年に出された。その後、ストーリー展開し続編が出され、アニメ化、映画化、つい最近はハリウッド版としてリメイクされた世界的アニメ。

一般的な人気作とは好まれている視聴者層が少し違う。テーマが分かりにくかったり、理解する為の前提知識が必要だったりと、一般大衆向け作品では無いのが大きな理由かもしれ無い。しかし、だからこそ、ぜひ見て欲しい作品でもある。

何がそんなに人をひきつけるのか?結局何が言いたいのか?そもそもどうゆう話なのか?ネタバレしながら少し掘り下げたいと思う。

 

攻殻機動隊とは?

そもそもこのタイトルの意味がわかりにくい。攻殻と言えば、カニやエビなどの甲殻類をイメージしてしまう。機動隊は武装集団や特殊部隊の様な響きである。

原作者である士郎正宗は、当初「GHOST IN THE SHELL」という題での発表を考えていた。しかし、雑誌編集者からこっちのタイトルで行こう、と変更を余儀なくされた。

「GHOST IN THE SHELL」はアーサー・ケストラー著の『The Ghost in the Machine(機械の中の幽霊)』から取られている。作品のモチーフや思想もそれに習っている。

ここに出てくる【GHOST】は幽霊という意味よりも、魂や精神性という表現として使われている。つまり、一番言いたいのは、殻の中(機械)に宿る魂や精神性というものが主題である。

主人公の草薙素子は全身義体化したサイボーグ。脳だけが生身の自分自身という存在である。もちろん、時代設定も未来であり、1989年にも、2017年でもあり得無い話。そんな中で、言いたいのが、この魂や精神性についてである。

警察内の公安9課に所属するが、公安9課は表向き存在せず、政府や警察が秘密裏に解決したい重大な問題を解決する為の秘密部隊である。

草薙素子を中心にあらゆる政治問題や武装問題などを解決していくストーリーが攻殻機動隊と言える。

 

政府・自衛隊・諸外国・大企業、そして一般市民

アニメシリーズとして二つが制作された。一つ目は小さな問題を乗り越えていく単発のものの作品で徐々に攻殻機動隊の世界観を紹介していく。そして、最後には「笑い男」という天才ハッカーとの対決に挑む。

二つ目は、その前提を元に、公安9課のメンバーの生い立ちにも少し触れ、特殊部隊が結成された背景や部隊員の心理などにも深く迫る。そして最終的には「難民」「核戦争」という大きな事件への解決へと向かっていく。

その問題に出てくるテーマこそが、BESOがぜひ見て欲しいと思うポイント。

政府の思惑、自衛隊(作中では自衛軍)の存在意義、外交関係がいかに行われているのか、大企業とはどういう存在なのか、そしてそれを考え無い一般人。

一番見るべきは一般人である我々である。計り知れない速度で発展する人工知能AI。利益に走る一般企業。国民・一般人を支配しようとする政府。防衛という名の侵略を目論む自衛軍。

まずは、何が起きているのか知ることがスタートラインなのだと思う。

インターネットがここまで普及する前の1989年にこの主題で作品を書き始めた士郎さんの先見の明は驚愕に値する。しかし、この作品で随所にちりばめられている軸となる要素は、多くが古くからの哲学文書から引用されている。

つまり、現代の問題であるAIの問題や政治問題と古来から哲学者が悩んできた内容はやはり重なるところがあり、時代が変わっても、使う道具や環境が変わっても、人間の本質の問題は変わらない、ということなのかもしれない。

そして、最終的に「笑い男」も難民を指導していた「クゼ」も革命を起こす為に、非合法な活動を繰り広げていた。

それを受けて、この政治が乱れ、国民の生き方が問われる現代において考えさせられる事が多分にあるのがこの作品だと思った。

STAND ALONE COMPLEX

作中に出てくる用語として、STAND ALONE CONPLEX という言葉がある。

個人として(STAND ALONE)活動しているのに、無意識のうちに団体行動をとってしまう(COMPLEXとは複合する)という状態をさす言葉。

これは、一人一人がPCやスマートフォンを持っているのに、知らず識らずに同じ情報や同じ思想を植えつけられている状態に近いと思う。

一昔前で言う、テレビ・新聞・雑誌・ラジオなどのメディアであり、一言で言うと洗脳とも言える。

それに疑問を持ち、真っ向から対立した「笑い男」と「クゼ」が大きな敵(政府や大企業)に立ち向かい、主人公である全身義体の草薙素子の脳(GHOST)が揺れ動かされる。

何が正義で、何が正しいのか?

答えはなく、ただただ自分がどんな行動をとるのか。

そこにはどんな信念があり、どんな理念のもとに形成されているのか。

そんな事を深々と考えさせられる作品。

比較対象には全くならないが、ハリウッド版「GOHST IN THE SHELL」と同時期に爆発的人気になった「君の名は」とは反比例のような結果になった。

ほぼ無名だった映画が大ヒットし、昔からコアなファンに見守られてきた大作が不発に終わる。

いささか残念な気もするがこれが現状なのだと思う。

問題は、それを受けて個人がどのように生きていくかだと思う。

嘘と虚構

この世の全ては虚構でできている。

なんともまぁ大胆な一言。受け入れるには大きすぎる言葉。

誰が言ったかと言うと、いろんな人が言ってる。それぞれが違う言葉や表現方法で。わかりやすいのが映画マトリックス。日常だと思っている現実が実は全てプログラミングされたイメージの虚構であるというストーリーの映画。

映画はフィクションで現実とは違う!と主張したい人もいると思う。が、今様々な分野の人がこれと同じことを言っている。

イーロンマスクや違う観点で言うとニーチェもこれに近いことを言っている。

虚構とは英語でまさしくフィクション(fiction)もしくはファブリケーション(fabrication)。作り上げられたもので、実体はなく、存在しないもの。虚構を口にすると嘘という言葉になる。

その正体が虚構であればそれを説明すると全て嘘になる。

この世が虚構であるという一言に反論を唱える人が多いが、果たして本当にこの世は虚構ではなく、嘘ではないと言えるのであろうか?もちろん一言で表すと誤解もあるため、その真意に迫ろうと思う。

これに関しておもしろい事を言っているのが、ユヴァル・ノア・ハラリ。イスラエル人の歴史学者。最近の著書が人気爆発中でBESOも流行りに乗って読んでいる。なかなかおもしろい。その主題となるのが、人類の爆発的発展を支えたのは虚構を信じたところだと。

虚構を信じるまでは他の動物たちと同じような生活を営んでいた。それが、虚構を信じる(言い換えると盲信とも言えるかもしれない)事で、他の動物では考えられない数の人が協力する事が可能になった。

一般的な動物はDNAに記憶された情報と親の行動を元に誰が敵で、誰が味方かを判断する。かつて人類もそうだった。そして基本的には自分より強い相手、大きい相手には挑まない。ゾウやライオンを見ると逃げ出していた。
しかし、多くの人で協力すると倒せるという事がわかりだした。人間だけでなく、他の動物も群れで生活を送る。安全に生きる為に、強い敵に相対するために。そして動物学者はその群れの集まる個体の数の最大値は150ぐらいという事が分かった。それ以上同じ種の個体が集まると内部分裂するという。

人間社会でもこれは当てはまる。身近で150人以上の組織や団体を見て欲しい。内部分裂していないだろうか?

しかし、それでも成り立っている集団がある。それも150なんて数ではないぐらいに。虚構についてのわかりやすい例にプジョーをあげている。

もともと、フランス人のプジョーさんが立ち上げた小さな会社。それが大きくなり、車のロゴだけで全世界中の人がプジョーだと認識する。仮に、プジョーさんが急死したとしても会社であるプジョーは生きている。逆に、プジョーが訴えられて倒産に追い込まれてもプジョーさんは生きている。車自体は誰がどの国で買っても高値で取引される。そこには、プジョーさんから離れたプジョーという存在が確立されている。それを現代では法律上、法人という。どこかで乗っているプジョーが故障し爆発して死人が出てもプジョーさんに責任があるわけではなく、法人としてのプジョーに責任がある。

プジョーには世界で考えれば150人なんてはるかに越す何万単位の人が同じロゴであるプジョーのために車を作ったり販売したりしている。しかも、長い間秩序が保たれている。これこそが人類が地球上に一番多く繁栄できた哺乳類の理由だと考察している。

そして、気をつけなければならないのが、法人のプジョーは虚構だということである。名前も知らず、見たこともない同じ会社の人間。しかし、一度会い自己紹介した瞬間に仲間になり同士になり家族のようになる。

このプジョーに似ているのが国や宗教である。その成り立ちの根底になっているのは信仰である。国の場合は勝手に人間が決めた国境という線と、自分たちの生活様式を誇りに思う文化を信じている。宗教の場合は、もちろん教祖・開祖を信じている。

構造からすると、問題を起こしたオウム真理教もキリスト教も日本もアメリカもプジョーと同じだという話。それは一言で虚構を信じていると。

この世の中にあるものはほぼ全てが人間がそうだと、信じ込んでいるだけのものがほとんどである。その信じている何かを100人が100人そうだと言えばそれは真実になる。虚構だとしても。

その辺の人を捕まえて、100人に「これは誰ですか?」と総理大臣の写真を見せたらほぼ100人が「総理大臣」と答えるだろう。しかし、それは聞く100人を変えると見事に変わる。一家に一台テレビの無いアフリカに行けば、「中国人ですか?」という答えが100人から返ってくるかもしれない。

つまり、総理大臣という虚構を日本人が信じているから真実になる。信じていない人からすると総理大臣という名前は皆目役に立たない役職になる。

それを踏まえた上で2017年の日本の上半期を振り返ってみようと思う。

上半期の日本をお騒がせしている総理大臣。彼が言うことは嘘ばかりだと人々は言う。メディアが流す情報は嘘だと言う。それ(総理大臣の発言やメディアの報道が嘘ばかりということなど)が真実なのであれば、それこそがこの世の真理なのではないかと思う。そもそもその存在自体が虚構なのだから。

何も、今の総理大臣だけが嘘を言っているのでもなく、今のメディアだけが嘘を言っているのでは無いと思う。過去の総理大臣も、海外の総理大臣も、他のメディアも嘘を言っていると思う。そして、人は生きている限り少なからず嘘をついていると思う。自分の胸に問いただしてもらいたい。

もちろんついていい嘘やついてはいけない嘘などの議論は絶えない。し、嘘をついてはいけない、というのが大前提だと思う。だが、嘘と間違いの判別はどうつけるのだろう?国会議員お得意の「記憶にございません」。飲みすぎた次の日に友人に怒られた時、自分も言っているのではないだろうか?

何が言いたいかというと、今目の前にある様々な問題や出来事は虚構から成り立っているという事を自覚するということと、その虚構の上に今の自分があるということである。自分が信じたものが真実になり、嘘だと思うものが非現実になる。

歴史を振り返る限り、虚構を利用して何かをするのが人間の専売特許なのだ。そうして今まで人類は繁栄してきた。今更それをおかしい!と言う方がおかしい。地球が回っているのか太陽が回っているのか?時代によってそれは変わった。信じる人が真実を決めているのだ。

とは言うものの難しい問題がある。自分だけでなくその他大勢が一度真実だと思ってしまったものを覆すにはそれを上回る信仰をすげ替えなければならない。総理大臣を違う総理大臣にするには選挙をしなければならない。自分が違う総理大臣を信じていても。ここが人類の社会の複雑なところでもある。自分の信じる虚構と人の信じる虚構は違い、それによって真実も変わっている。

とにかく、今の日本は何か狂ったように感じる。おそらく今までも狂っていたのだろうが、自分自分が落ち着いたことで周りが狂っているように見え出したのかもしれない。ひっきりなしに総理大臣の問題を指摘する。その構造を批判する。

もう一歩、もう一回り大きく見ることはできないだろうか?

その構造を作っているのは何なのか?その構造とは日本という国、政治というシステム、法律というルール。それらは全て虚構なのだ。その虚構に従っているのだからその上で起きていることにいくら文句を投げかけてもその投げかけさえも虚構になってしまう。

ではなく、自分が何を信じているのかを見直すことをまず最初にするべきだ。どんな人間を目指し、どんな人生を送り、どんな社会を築いていきたいか。そこに向かうための障害は総理大臣ではなく自分たちが作り上げてきた虚構なのだと。虚構を生み出す方法は信仰だ。このあたりから堂々巡りするので一旦終わることにしよう。

つまり、視野を広げて今の1世代だけを見るのではなく、人類の幅として何が起きているのかを見てみようと。日本人として、大事にすることもあるだろう。現代人として大切にすることもあるだろう。でももっと大事で大切なことが人間としてあるのではないかと思う。

それは一人一人本来違うはずである。が、それを同じにする為に虚構を信じさせられている。結局この世は虚構であり、それを口にすると嘘なのではないかと思う。

矢印

 

「外に矢印を向けずに、自分に矢印を向けろ!」

 

引用元: 佐々木鈴優さんの書道教室

 

 

昔、恩師に言われた言葉。今となって言葉の意味が理解できて腑に落ちた。
全てはエネルギー。生きるということは生命エネルギーがあり、自然には循環している自然のエネルギーがある。

そのエネルギーはどこへ向かうのか?エネルギーは導かれるがままに、引き寄せられるがままにただただ向かう。雨が降ると水が溜まる。水が溜まると下へ向かう。地下水になり、川になり、海になり、水蒸気になり、雲になり、雨になる。

 

エネルギーが矢印の方向へ向かうと次の状態へと変化していく。

 

目に見えるものはわかりやすい。目の前にあるコップを押すと矢印が向かった方向に倒れる。倒れた衝撃で割れる。割れた破片を片付ける。ゴミ箱に入れる。焼却炉に向かう。燃えてカスとなるか気体になる。また人間はコップが必要なので、コップを作る。

難しいのは目に見えないもの。目に見えないものもエネルギーが矢印の向く方へどんどん向かっていくのだと思う。

 

恩師の言葉の真意は、その矢印の元のエネルギーである意識の話。

 

それはサッカーの中での考え方や意識であった。サッカーは手ではなく足でやるスポーツ。ミスが前提のスポーツ。野球では手でやるためミスをするとスコアボードにエラーの文字が出る。サッカーでミスをエラーといちいち書いていると、スコアボードは大変なことになるだろう。

そして、何かしらのミスが起きた時の意識について。サッカーは11人でやる競技。ボールは一つ。相手も入れると22人。一人のミスに対して残りの21人がどういう対応をするかで、状況がめまぐるしく変わる。

 

例えば、試合中に敵にボールを奪われたとしよう。ボールを奪われた人の心理として矢印が2つある。

 

「お前があっちに走ってくれたらいいタイミングでパスが出せたのに、逆に走ったからパスが出せなくて取られたじゃないか!」

と矢印が自分ではなく人に向く発想。

 

「お前があっちに走ったからパスは出せない。だから違う仲間にパスをすればよかったのに、お前にパスをするとこだわった俺の判断ミスだ。」

と矢印が人ではなく自分に向く発想。

 

エネルギーは向かった先へ行く。人に矢印が向く場合、どんなエネルギーなのかというのもポイントになる。

このサッカーのミスの場合は「怒り」のエネルギーが相手(味方)に届く。するとそのエネルギーが届いた相手はそのエネルギーに対してまた矢印を探す。多くの場合はまた、外へ向けて、「怒り」のエネルギーを矢印にして届けてしまう。

「おれのせいじゃないよ!取られてのはお前がヘタクソだからだ!」

と。

 

エネルギーが自分へ向く際は、いいもわるいもなく解決へ向かうことが多い。

 

失敗してしまったミスをただただ冷静に眺め、

「あ、こういう判断ミスをしたから取られたのだな。上手い選手なら別の味方にパスして、もしくは敵をこういうふうにかわせばよかったんだ。」

と。

 

それを見た仲間はきっと、

「おれもあの時は逆の方向に走ればお前からいいパスが出るタイミングだったんだなと思うよ。取られたミスの半分はおれのせいかもしれないな。」

 

と。

 

この味方の言葉は相手を思いやる、気遣いも含まれている。相手を思いやる暖かい気持ちがエネルギーなって相手に届く。矢印を相手に向ける場合は暖かい気持ちで向けてあげるのが大切だと思う。

ミスが前提のスポーツ。人生も生きている限り失敗の連続。失敗やミスとの付き合い方というのが大切なのかもしれない。

 

何かを変える時、何かが生まれる時、必ず痛みが伴う。

 

出産、改革、成長痛。その痛みとどう付き合っていくか。

 

その「痛み」を「怒り」のように外へ矢印を向けて、ネガティブなエネルギーを何かにぶつけるのか、それとも「痛み」も「怒り」も有難いものだと自分の中で次のステージへの糧とすることができるか。

 

「怒り」や「痛み」の先を少し覗いてみよう。その先に笑顔や豊かさ、もしくは解決があるなら矢印の向き先としていいのかもしれない。

 

だが、多くの場合はネガティブなエネルギーがグルグル矢印の向きを変えて雪だるま式に増えるだけなのでは無いかと思う。そしてそれはおそらくサイクルの最後として自分に返ってくると思う。天に吐いたつばのように。

逆に言うと、ポジティブな暖かい気持ちのエネルギーを相手に矢印を向けて送ってあげるとそれが雪だるまになって自分に返ってくる。

 

最近は何かが起きた時、まず外ではなく自分に矢印を向けてみることを意識している。すると相手に暖かい矢印を向けられるような人になっていくのだと思う。

 

その時怒っている事なんて、10年後20年後は笑い話になっていることが多い。ということは結局どっちだっていい話な事が多い。だったらそんな怒ることよりも自分と相手の成長のために起きた未来の笑い話だと思えば「怒り」も起きなくなる。

 

もちろん、人をものすごく傷付けるような許されない事が身近に起きるかもしれない。しかし、その怒りの先にみんなの笑顔や豊かさや解決があるかどうかを考えよう。

 

そして、「怒り」ではなく解決やレベルアップの矢印を探して次につなげる事が大切なのではないかと思う。

 

過酷な経験をしてきた「怒り」の矢印に関しての人類の師匠

マハトマ・ガンジー の考え方

ガンジーの言葉の窓

 

どの道を進むのも自由で、方向は無限にある。しかし、生きている限り矢印は続く。矢印の向け方を学ぶと自ずと道が見えてくるのではないかと思う。

地に足をつける

先日記事のインタビューをしていて相手の方の半生を振り返った時に改めて教えらた「地に足をつける」という事。

 

その真意と具体的な意味を考えて見る。

 

 

 

今回インタビューさせて頂いた方は日本の離島として有名な隠岐の島。島根の日本海に浮かぶ不思議な島。

 

大学卒業後島根本島の小学校で非常勤講師として働き、いよいよ正式に小学校教諭として赴任先が発表される。告げられた先は、隠岐の島だった。

 

まだまだ遊び盛りの20代前半。自分がまさか海を渡り、離島に行くなんて考えもしていなかった。と言っても島根も別段都会というわけではない。しかし、本土から海を見ても見えない距離にある島に移り住むという事はまさしく島流しに当時思えた。

 

多くの罪人(特に地位や権力のあった人)が島流しとして隠岐に来ていたという歴史もある。自分の中では「3年の我慢。3年経てば本土に帰れる」と耐える思いで、本土を後にする。

 

しかし教えられた事はあまりにも大きかった。3年の我慢と思っていたのが、結婚し子供を産み、20年以上住む事になる。自然の豊かさ、人の温かさ、現代の便利な世の中に忘れ去られた何かを思い出させてくれた。

 

隠岐への赴任が決まった時、母親に報告すると「隠岐に行くのはいいタイミングになる。しっかり地に足をつけて生きて行けるように頑張ってきなさい。」と励まされた。今振り返れば、まさしく母親の言った通りになった。

 

隠岐へ移住する人が近年増えてきているそうで、活気が戻りつつある。シャッター通りとなってしまった商店街をリノベーションする若い人たち。暖かく受け入れる住民の人たち。最初は島に行くのが外国に行くことかのように思っていたが、県や国を分ける線とは人間が勝手に決めたもの。海も山も川も大自然は人間のそんな都合など無視して全てを受け入れると言わんばかりに雄大だと。

 

そして、BESOの今年のテーマとして「地に足をつける」という言葉が付け加えられた。

 

昨年末、衝撃を受けた人物との出会いがあった。一目その人を見た瞬間に「この人地面に根っこ生えてるちゃうかな?」と思うほどその立っているだけの姿にパワーが溢れていた。大地のパワーを受け、人としてしっかり両の足で立っている。声は響き渡り、かといって威圧的でない優しさもある。

 

その人物の生い立ちや経験してきたことを聞かせてもらい、全てが線となった。姿勢に全てが詰まっていると教わった。それは物理的な自分の姿勢はもちろん、何かに取り組む精神的な姿勢も含めて。以来、姿勢を気にするようになった。

 

しかし、その人物はあえて、その真意を前面に出さない。あくまでもさりげなく、何気なく、なるようになる感じでその大切さを伝える。押し付けず、ただただそこにある真理を体で体感してもらうように。

 

 

 

そして、「地に足をつける」という事を体で身につける考え方が始まった。英語では同じような意味を見事に一言にしてくれている。「グラウンディング」。大地という意味のグラウンドからきている。

 

どうすれば地に足がつくのか?あれこれ考え、あーでもないこーでもないとバタバタしていたが、答えは日々の生活にあった。大自然に生まれた生き物は全て地に足をつけて生まれる。それを思い出すだけなのだと知った。

 

しかし、生きている限り、便利な世の中になればなるほど様々な誘惑や方向性が生まれる。もちろん進歩の恩恵はありがたく受ける。その中で、何を大切にし、何を表現し、どこへ向かうのか?その一つ一つはあくまでも日々の日常にある。

 

自分の人生を振り返ると、どうやら風の性質が強いらしい。特徴として、多くの事に興味がありフットワークが軽くどこにでも行く。次から次へと考えが風のように気ままに動く。ゆえに腰を据えて何か一つをどっしりとやるという事はあまりない。

 

まさしくその通りだと自分で感じる。もともとの自分の属性を大事にし、特徴を知りながら生きる事は大切だと思う。適材適所という言葉もある。その中で自然に生きる者として全員に大切なグラウンディング。

 

風のように気ままに動きながら地に足をつけて生きるという一見矛盾した在り方を追い求めたい。もしかしたら発想が間違っているかもしれない。がやってみなと分からない。し、間違いを覆す結果が出るかもしれない。

 

という事で、風と大地が融合したパワーを受ける人間を今年は意識する。と宣言したかったので記事に。そして今年は隠岐に行こうと思います。

欲望と本能 −ファスティングの後に−

気になっていたファスティング。

実際に自分の身をもって体感することで分かること。
最近の思考や意識とのタイミングも相まって自分にとってはなかなか有意義な時間と体験になった。

 

8063_R

 

 

欲求と本能

 

何が欲求で、何が本能なのか?
誰の声に従い、どこへ向かえばいいのか?

ひとまず、「3日間物を食べない」という経過を辿りながら見ていく。

朝起きて、朝食を食べる。習慣化されたありふれた日常。食べたい、という欲求がある無しに関わらずいつも食べているから食べている人も多いかもしれない。

ここで、朝食について。最近のテーマとして声が大きくなっているのが、「朝食を抜く」というライフスタイル。食べ物の消化には多くの酵素、体力、エネルギ―を使う。朝から消化にエネルギーを使ってしまうのではなく、胃に優しい暖かい飲み物を頂こう、と。

しかしながらBESOは喫茶店でモーニングを注文し、パンとコーヒーを楽しみながら作業をするのが日課。ファスティングで朝食抜きとなると、無性にパンが食べたくなる。

このパンの食べたさは、明らかに欲求だと感じた。そして、断食中には苦しい欲求だった。

毎日あるものが欲しくなるのは当たり前の現象。依存とも呼ばれる。タバコ、お酒、コーヒー、薬、甘いもの・・・。それらが体が本当に求めているものではないと気付けた気がする。

気付けば欲しいもの、というのはほとんどが体ではなく頭が欲しがっているものではないだろうか?

頭が欲しいものというのが欲求で、体が求めるものが本能。

これが一番今回のファスティングで得た収穫かもしれない。

タバコはニコチンが、コーヒーはカフェインが、体に不足して欲しくなると言われている。しかし、これらを止めることができる人が大勢居る。

そして究極食べ物を食べる事を止める人まで現れ始めている。(昔からいてるが、多く現れ始めている)

その後、昼食、夕食、2日目、3日目とファスティングが続いていくと、食べたい感覚が変わってくる。もちろん頭では無く、お腹が食べたいという意思を体が発し始める。そうなってくると欲求から本能へと変わり始めたと思う。

おそらく、本能とは自分の身を守るためにある。防衛本能や野生のカンというのが分かりやすい。

そして欲求と本能とは全くの別物

いろいろな話を統合して1つの結論というか答えが見えた気がする。
それが本能の声を聞くという生き方。

 

本能こそが人生において一番大切なもの

生きとし生きるもの全ては性質が違う。しかし、全てが目指すゴールは幸せ。その幸せに向かう道標こそが本能ではないだろうか?

original

 

この本能という言葉がいろいろな言葉に置き換えられている。

インスピレーション、直感、無意識、真我、無我、ハイヤーセルフ、インナーチャイルド、高次の存在、宇宙意識、神性、など。

これらはニュアンスの違いはもちろんある。

でも、全ては幸せという究極のゴールに向かう為の道標で、表現方法が違うだけだと思う。

人生の岐路に立った時、究極の選択を迫られた時、最終的に選ぶのは自分。その判断にはいろいろな要素がある。

金銭面・人間関係・将来性・現状の環境・家族構成・まわりの人からのアドバイス・・・。しかし、最終的に下す決断は直感が大きく影響を与えていると思う。

BESOはいろいろな仕事をして、いろいろな職場を見てきた。自分が経験するためにその仕事を自分の直感や本能が選んだという事を改めて思う。

引き寄せの法則なんかもこういう事を言ってる言葉なんだと思う。

ファスティングによって、全ての選択は本能によって選んでいるのだと気付かされた。

それは何を食べるという選択も、どんな仕事をするという選択も同じ一括りとしての選択。

コンビニで何かを買う、服を買う、誰と遊ぶ、どこへいく、誰と恋愛し、どんな人生を送るのか?それらも選択の一つ。

周りが決めるのでは無く、自分の頭が決めるのでも無く、本来は自分の本能が決めれば幸せに近づけるのではないだろうか?

しかし、本能の判断は時に損に感じる。なぜなら幸せは目には見えず、形のあるものでは無く、感じようとして感じれるものではないからだろう。損得というのは頭で考えた、人間が楽に生きるためだけの計算でしかない。

この計算が欲望の正体のようにも思う。より、おいしい物、快感を得られるもの、お金、見た目、ステータス。

太陽が得で月が損、なんて聞いた事ないし、地球が得で火星が得とも聞いた事がない。人間が関与しなければ得も損もない。

なんの制約も無く、条件もなく、ただただ満たされる状況。それこそが幸せな状況。人間が苦しむ損得からの解放かもしれない。

転職や選択の際、少しでも儲かる仕事。楽な仕事。に進みたいと思う。将来安定で、周りや家族に少しでも楽に生きて欲しい。そのための条件には確かに重要かもしれない。

しかし、お金が本当に家族の楽になるのだろうか?

本能がやりたいと言っている事を自分の体で実現する事が一番快感感じるはずだ。

やりたい事が出来た喜びというのは何物にも代え難い。
ビジネスなら予算達成。
子育てなら子供が立派な大人に。
スポーツなら優勝や記録の達成。

それらは本当に自分の無意識や本能が成し遂げたかった事だろうか?欲望に囚われていないだろうか?

予算は勝手に会社が決めたただの数字ではないだろうか?
名門大学やエリート企業はただのステータスではないだろうか?
優勝や記録はただの周りが決めた結果ではないだろうか?

その中身が本当に自分が心から望む願いや得たかったものかどうか今一度考え直せ!

そんな事をファスティングを通じて感じさせられた気がした。

毎日何の疑問も無く食べる食べ物。
目の前に食べ物が現れる過程が大切に感じる。
美味しく食べられるように調理してくれる人。
その食材を運んでくれる人。
植物、魚、動物を収穫してくれる人。
それらを大切に育ててくれている人。
そして食べる自分を含む全てを育んでくれる大地。
大地がうまく循環する地球。
地球が存在し続けるように包み込む宇宙。

これは大げさでもなんでもなく一つ一つを細かく見ていった真理。

食べ物が食べたいという欲求。
そして体が求める本能。
その本能は全ての幸せのためのプログラム。

本能の声に耳を傾け、人生というキャンパスに体という筆で幸せを描く。意識のパレットで人間関係という鮮やかな色を混ぜ合わせる。

暗い絵にする事も明るい絵にするも自由。
どんな絵に仕上げるもあなた次第で意識と体次第。

Bobby Mcferrin

まずはこれを見て、聞いて欲しい。

 

Bobby Mcferrin と MozART のスペシャルセッション。

政治だったり陰謀だったりと何かと批判的になってしまいがちなこのブログ。でも1番大切な事はやっぱりワクワクする事やドキドキする事。

古くからBESOを知ってくれている人はもしかしたら知っているかもしれない「おもちゃブログ」。アメリカ留学時代に書いていたブログ。その名の通り、子供がオモチャで遊ぶように大人が楽しみながらやっているドキドキするようなものを紹介していた。

それを思い出させてくれたこの動画。こう考えると改めてYouTube などのネットサービスは本当に有難い。(もちろん色んな裏の黒さはあるけどそんな事は最近あまり気にならなくなってきた。)

見ての通り本人たちの楽しそうな顔。自然に巻き起こる観衆の声や笑い声。日本のバラエティのようなやらせの声ではなく。

音というものを少し見てみよう。空気の振動が起きて、その振動を鼓膜がキャッチして音として脳が受け取る。その振動は波で表され、周波数や音波として解明された。

臨死体験という言葉を聞いた事があるだろうか?瀕死状態になった時の体験の事で、まさしく死の淵。さらにそれは2種類に別けられるらしく、「死にかけ」の世界と「死んだ」後の世界に別れる。

よく聞く、三途の川や綺麗な花畑というのは「死にかけ」の世界らしく、実際に「死んだ」世界に行った事のある人の経験はさらに奥深い経験をしている。

3回死んだ男として有名な 木内 鶴彦 さん。

実際に心臓が止まって30分。医師も死亡診断書を書いた後に、ガブッと生き返った。というのが3回。その世界で見た事を今多くの人に伝えている。

その話を伝えている中でおもしろい内容が、音について。臨死体験で肉体はないので、体験は全て感覚のみによって感じる。目で見る光。鼻で感じる匂い。耳で感じる音。

そして宇宙にももちろん飛行する。時間時空を超えて。その体験で見えた世界に、未来の地球というものがある。パラレルワールドとして、荒廃しきった生命体のいない荒々しい地球と、青々と緑溢れる地球。今、人類を含めた地球上の生物はその岐路に立たされていると。もちろんどちらに行くかの大部分は人間の活動にかかっている。

そして感覚で体験したそれらを現代社会に落とし込むのに、一番分かりやすいのが音が分かりやすいとたどり着いた。そしてその音を聞かせた水を今販売している。奇跡の水として。

それによって病気が治ったりするという。それが嘘か本当か?はBESO的にはどちらでもいい。本来の病気とは?を考えた時に一番大事な事はなんでその病気になったか。で、あって、そこから自分をどう改めるかだから、その治し方は水を使おうが自然療法を使おうがファスティングであろうが、なんでもいい。

それよりもおもしろいのが、音で伝えているという事。宇宙では空気が無いため、振動によって起きる音は無い。なのに、その体験を音で表している。おそらく宇宙には宇宙原理の音が流れているんだろうなと思う。今の人間には退化してしまった感覚器で聴こえる音が。

で、もとに戻るけど Bobby Mcferrin 達はそういう音がチラチラと聞こえてるんではないかと思う。

それは耳では聞こえ無いから感じるもの。それを音に変えて現代の人にも聞こえるように変換してくれている気がする。だから聞くだけで自然に楽しくなってしまうんではないかと思う。

TPP強行採決 その先に

11/4(金)衆議院TPP特別委員会で採決された、TPP(環太平洋経済連携協定)批准。

 

とにかく何が起こっているのか分からない現状という人も多くいると思う。流れを見ながら思う事をつらつらと書いていこうと思う。

6fd704c3

 

TPP(環太平洋経済連携協定)とは太平洋を取り巻く国々の経済を一つなぎにして、国々の様々な問題に協定国みんなで取り組もうという条約。

 

始まりはチリ、ブルネイ、シンガポール、ニュージーランドの4カ国。p-4と呼ばれる4カ国での貿易に関する協定が結ばれた。自由貿易によって関税を下げて、国と国とが手を取り合って経済を発展させようと。

 

そこに、俺も俺も、と声をあげたのがアメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルーの4カ国。いきなり入るのはおかしくなるから、まずは入れるかどうか加入交渉が始まった。次いでマレーシアも加わって5カ国が加入交渉国として会議が開かれ9カ国での経済協定が話し始められた。さらにメキシコ、カナダが加入交渉国に参入。そこに日本が最後に交渉国として加入し、全12カ国での貿易の形を取り決めた協定がTPP協定、ということになる。

 

つまり、最初に決まった4カ国以外がこれに加わるかどうか今審議中というのが現状。ちなみに他の国は加入しないという意思を表示している。

 

images-7

 

内容は、全ての物やサービスの関税(輸入・輸出する際の税金)をほぼ無しにしたり、企業が国策によって損失を受けた場合は国家に対して訴訟できるようにする、などなど。つまり今のままでは企業がいい物を作っても海外に向けて売ろうとすると関税などで儲けることができない。そんなの不自由で不平等だからそんな関税なんてなくそうぜ!それが自由だろう?という企業を守っていく協定と言った方が分かりやすいかもしれない。

 

 

企業が儲かって、給料が上がって、生活が安定する。それでいいじゃないか!と安直に考えてはいけないのがこのTPPの本質。企業が儲かる=大企業以外が苦しむ、という方程式が成り立つ。

 

 

そもそも企業が儲かって、社員に給料が反映され国民が豊かになる。という構図自体にどれだけの信憑性があるのだろう?パナマ文書は?政治献金は?王子製紙は?

 

つまり企業が儲かったとしてもそれが国民に行き渡るわけが無い。もちろん、社員の為にギリギリまで還元している会社や代表の人も多くいる。その人たちはリスペクト。結婚したら5万円給料アップ。子供一人に付き5万円さらにアップ。という企業の代表が実際にいる。「国や社会がやらないから少なくとも俺の会社で出来る範囲の事をやっている。」と素晴らしい社長もいるもんだと思った。

 

そして企業が儲かると、企業以外の存在が苦しい。農家、漁師などの一次産業、大工や内装など個人の二次産業の人たちが蝕まれる。すると企業にしか働き口がなくなる。企業に入ると搾取に合う。結果全員を搾取する為の政策。この流れこそがTPPの全て、と言ってもいいかもしれない。

(もちろん他にも、遺伝子組み換え作物や農薬、戦争参加、不当逮捕などなど多岐にわたる怖い基準や条約が盛りだくさん)

だがそれも本当かはわからない。なぜなら国家間の貿易協定という重要度が極めて高い話。その内容は元々英語で書かれている。A4にして約6000ページと言われている。各国はそれぞれそれを自国語に訳して成文化し、国独自の政治性と照らし合せてTPPに加入するべきか否かを判断している。

 

日本の場合は、そもそもその英語の約6000ページはそのまま英語のまま。日本語の成文は無し。しかもTOPシークレットという理由で8割以上が黒塗りで読めない。そのほぼ何が書いてあるか分からない資料を基にTPP特別委員会で会議され、多数決を取り、可決。

 

そんなバカな話が西暦2016年に起きたという事実。もちろん、誰も反対しなかったわけでは無い。野党である民進党の議員たちをはじめ、殴り合いになるかというぐらい抗議した。国会の周りにはTPP反対というデモ隊が多く取り囲んだ。ニュージーランドからオークランド大学のケルシー教授も反対運動の為に来日していた。

 

そんな抗議があったとテレビも新聞もほぼ報道しない中、勝手に決まったと言っていいこの可決。そもそもの始まりから言うと、安倍政権はTPP反対、ブレない、というポスターを貼って選挙活動をしていた。おふざけも過ぎてしまっている。言う事なす事何もかもがむちゃくちゃ。

 

と、政治に興味のある人は反応を見せている。もちろんBESOも同意見。いよいよ国外への移住の計画を持ち始め行くならドイツかなーと考え始めている。

 

images-6

 

ここからが本題。最近の記事、対立と意識レベルの内容。その対立の先にある本質を見よう。安倍政権反対。大企業が儲かるTPP反対。安保法案反対。マイナンバー反対。もちろん全て反対だ。じゃー反対した先にどんなビジョンを自分達がもっているかという話。

 

その先に豊かな生活が明確に、具体的に見えていなければ結局はその場しのぎの安倍政権となんら変わりが無い。変わりが無いと言えば言い過ぎだが、こんなにあからさまで下手くそな安倍政権を止められなかった自分たち。もし、安倍政権を倒したとしても、次はもっと巧みな話術や政策を持ったパフォーマーが現れれば、もっともっとひどい状況になるのは目に見えている。

 

結局は国民一人一人が何をして何を選ぶかに尽きると思う。そんな事を言うと、

「偉そうな事を言ってじゃーお前は何ができるんだよ?」

と言われるかもしれない。そしたらこう答えたい。

「それを考えるのが生きるという事ではないのか?」

それを知っている人は世の中にいない。だから間違えるしケンカもする。そして間違えて、ケンカをするからそうならないように、平和で豊かな生活を目指す事が出来ると思う。

 

日本人はもう十分すぎるほど間違えて、傷付くところが残っていないほどケンカをした。必死で稼いで払った税金は政治家の飲み代に消え、将来の為の年金はアメリカへの上納金に消えた。こんなに傷ついているのに、失敗を繰り返しているのに、失敗だとも傷付いているとも思えない98パーセントの日本人。

 

安倍総理はその98パーセントをいよいよ目覚めさせてしまったように思う。そういう意味で本当に有難い。そのまま穏便に企業が儲かる仕組みや、アメリカへの献上を緩やかに続けていれば、あるいはもっと長く日本人から搾取できていたかもしれない。しかし、こんなに明からさまに手のひらを返せばどんなにアホな、どんなに間抜けな、どんなに洗脳された人間も目がさめる。

 

TPP問題は、これからもう一度山場を迎える。日本の国会のルールでは、時間を稼げたとしてあと1月ほどで批准が決まる。しかし、日本が加入したいと言っているTPP自体がストップする可能性がある。大きな国家間の話なので、GDPと言われる国家の生産力に基準が設けられている。アメリカが加入しないと言えば、TPPは一旦止まる。

 

TPPを裏で発案し、是が非にでも導入したい、世界的大企業。世界を牛耳る大金持ちの子分達に当たる彼ら。その人たちにお座りし、ベロを出し、お手をして、TPPというお土産を日本国民をだまして持って行ったのに、当のご主人が、「ちょっと今タイミングまずいから後で」、とはぐらかされる。

 

一人取り残されたポチの後ろには目覚めた日本人達が、背中を向けてドアを閉めているような気がする。

 

とにかく今何が起きているのかを知ってほしい。特に18歳以上の人は選挙権があるのだ。つまり自分の一票のせいでこの事態を引き起こしているという自覚を持たなければならないのかもしれない。

 

SMAPの解散も、韓国の大統領のスキャンダルも、BIGBANGのライブも、全部大事だ。日ハムが優勝したのも大事だ。ポケモンGOも大事だ。無駄なことなんて無いし、今日もおいしいご飯が食べれた、というのも大事なこと。その大事なことが一瞬にして全て失われる可能性がある。

 

もう一生BIGBANGのライブが不当逮捕で見れなくなる可能性が有る。美味しい日本の米が一生食べられなくなる可能性が有る。野球をしたくても強制兵役があって、高校野球どころじゃなくなる可能性が有る。そんなレベルに来てる今の日本。本気で国民が行動するチャンスが来た。

 

ピンチはチャンスなのだ。TPPを知らないのが恥、とか、今時の若いもんは政治も知らんと、という話ではない。一人一人がしっかりする時代を作ってくれた安倍総理に感謝するタイミングなのだ。やってる事が無茶苦茶で理性で語ると文句しか出てこない相手に感謝する時代なのだと思う。

 

何を言っても日本のTPP批准はほぼ変わらない。(が、最後まで署名運動や国会居座りが無駄とは思わない。)そうであれば、じゃーそんな中自分がどうこの世の中で、何の為に生き、どう豊かさを感じるかという事に焦点を当ててほしい。

 

その為にも、まず一番重要な、衣・食・住をもう一度見直してほしいと思う。

 

対立と意識レベル

意識という言葉にしばらく焦点を当ててみる。結局、意識の話の先に何があるのかを少しまとめたいと思う。

デヴィッド・R・ホーキンズ という精神科医がいる。

img_4051-246x200

わずか3歳で自我の存在に気づいたという精神科医の寵児。神秘体験を重ね、たどり着いたのが意識とは何かということ。

彼は「意識は測定できて、数値化できる。」として科学的に意識レベルを数値化した。段階ごとにその意識がどういった考えや感じ方をするかをまとめた。

まだ読めていないが、「power vs force」

 

images_8

 

は興味深い本。

 

「批判からは何も生まれない」

という言葉をしばしば耳にする。この答えが彼の考え方に凝縮されているのではないかと思う。

 

すべてのものに意識レベルがある まとめnaver

 

人類史において、批判や対立が無い時代は無い。その理由は生きている人類の意識レベルが対立のレベルにいるから。もし、全員がマザーテレサ並みに慈愛の溢れる人々なら戦争は無い。もちろん人は違うから人である。が、彼は全員がマザーテレサ並みの意識レベルになれる可能性を秘めているという。

 

マザーテレサ以外にもガンジーやキング牧師などは決して対立も抵抗もしなかった。その先に何も生まれないと知っていたからである。それは教えられたわけでもなく、勉強したからでもない。ただそう感じて、その直感に従って頂けだけだと思う。

 

 

大事なのは批判や対立のその先にある話。そこで大切になるのが、善と悪とは人間が勝手に決めているという概念。この世にあるのは陰と陽で善と悪ではないという考え方。

 

人間は理性を保つために何かを善とし、何かを悪と決めつけたがる。それを上手く利用した者が成功しているのも事実。そのレベルから全員で脱出するタイミングが地球レベルで近づいてきている気がする。

 

tumblr_m5qbbklbst1qk28tzo1_1280

 

地震が起きて津波で多くの人が亡くなり、原発が爆発した。地震を起こした奴らが悪で、原発を作った東電が悪で、対処しない政府が悪だ!と被害者は言うかもしれない。

 

BESOもかけがえのない友人が津波により亡くなったので、居たたまれない気持ちでいっぱいである。だが、何かが悪なのだとしたら、地震を起こした奴らを止められなかった人たちが悪くて、原発建設を止められなかった人たちも悪くて、政府に対処させられない住人たちも悪である。と海外の人は考えるかもしれない。

 

つまり、悪いか善いかは見る人の立場でものすごく変わる。正義という言葉も同じかもしれない。普遍の意識で見ると、ただ地震が起きて、多くの人が死んで、人間が作った原発が爆発してそれにより二次被害がでているだけ。

 

誰が最初に悪という概念を生み出したかご存知だろうか?他でもない今や世界一の信教者数を誇るキリスト教だと言われている。

 

イエスはユダに銀貨30枚と交換で裏切られ処刑されたと言われている。そのユダを悪だと言い始めそれがキリスト教とユダヤ教の大きな対立につながった。

この辺は昔の記事を見て欲しい。

 

何が言いたいかと言うと、誰々が悪い、何々が悪い、というのは人にそう思って欲しい人が勝手にそう言っているだけ

 

腹の立つ上司の文句を言う。「あの上司は部下の事を何もわかっていない。」

出来の悪い部下の文句を言う。「今どきの悪い奴らは本当にどうしようもない。」

 

両方とも、聞いてもらった人に同意を求めるだけで、誰々が悪いと言って問題をその人に押し付けているにしかすぎない。問題が起きているならその問題の解決に向かわなければならない。

 

その上司も部下も悪いわけではない。ただ、そういう人なのだ。変わる可能性もあるし変わらない可能性もある。どちらにしろ、その問題を解決するために自分が何をするかが重要であると思う。

 

違う仕事を見つけるのか、問題を当人と共有して向き合うのか、もしくはそれが自分の鏡写しだと認識して自分の行動を見直すか。

 

方法はいくらでもある。しかし多くの人が、その人がありもしない悪だと勝手に決めつける。病気も同じ。特に現代は3人に1人がガンで死ぬと言われている。まるでガンが悪いように言われている。

 

誰がガンが悪いと決めつけたか考えたことがあるだろうか?

 

人は何かを悪いと考えると次の行動がわかりやすくなる。だいたいはその幻影の敵を倒そうとする。そのために要るものを買う。人なら武器、ガンなら薬。何にでも言える。もし、自分が武器商人なら敵がいない世の中は全く儲からない。もし薬商人ならガンで死ぬのが幸せと考えられたら薬が売れない。

 

わかりやすい例が9.11の同時多発テロ。テロが起きる。もちろん首謀者が悪い。遺族のためにも国を挙げて報復する。その為には国家レベルの攻撃が必要。そして戦争が始まる。

 

戦争しなければ武器商人は儲からない。戦争を生まなければ。生み続けなければ。

 

全く別物に見える武器と薬。作っている人は同じグループならどうだろう?

 

それは今までみてきた記事を見てもらえればわかると思う。

 

なぜこんな世界中を巻き込む事件が起きたかと考えると、人々の意識が生まれ変わるために起きたからではないかと思う。いつまでも、原発というリスクの高い物を置いておくなという警告かもしれない。

 

全ての出来事には意味があると言われている。事故も、出会いも、成功も、失敗も。

 

そろそろ、悪に向かって対立するのをやめる時がきた。陰と陽がただただあり、どちらも今の世に必要なもの。明日事故で死んだらそれまで。死ぬことが悪いと誰が決めたのだろう?誰も死んだことは無いのに。

 

そういう意味で言う。原発、TPP、農薬、環境破壊、情報統制、人々からの搾取・・・それらが悪いわけでは無い(もちろん善いわけでも無い。善悪じゃ無い)。

 

音楽を愛するアーティストはよくこういう。「全てのジャンルの音楽が好きだ。」