Journey / REO MATSUMOTO

Journey  ー 名詞(イギリス英語として、アメリカ英語はtrip)

  1. ひとつの場所から違う場所へ旅行する。特に長い距離の場合を指す
  2. 人や物事が変化や発展するために、大きく何度にも渡る難しい過程

REO MATSUMOTO ー アーティスト(日本人、生息地地球)

  1. HUMAN BEAT BOXER
  2. HAND PAN PLAYER
  3. BEAT(TRACK) MAKER
  4. SPACE CREATOR
  5. LOVE AND PEACE PROVIDER

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【10/22追記】「Matsumoto Zoku Ⅱ」 -Matsumoto Zoku-

10/24現在、予想以上の反響のおかげで、残りわずか2枚となりました。

このままのペースだと、月内には一度在庫が無くなりそうです。

ご興味のある方はお早めにお買い求めください。
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「Matsumoto Zoku Ⅱ」 -Matsumoto Zoku-

松本族(Matsumoto Zoku) の2rdアルバム販売開始

世界で活躍する松本族のCDを限定で販売することとなりました。

縁の不思議でつながった松本族のCDを特別にネットページで販売します。

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Not afraid  ー Guardian Angel

ふと、何気なく喋っていた中で Guardian angel の話題に。
その中で思い出したのが eminem の「You’er Never Over」

 

 

 

 

そして、遡ること約3年半前。
ある事件が起き、一つの記事を書いた。

 

おもちゃブログ「You’er Never Over」

 

 

 

改めて、思うことが多くあった。
年齢を重ねるごとに人の死が身近になってくる。
関係や距離の遠い人から近い人まで。
親族・友人・仕事関係の人達。
世界中で今日も人が死に、生まれる。

 

この3年半で大きく変わったのは自分の意識と考え方。
もちろん仕事や社会も大きく変わっているが、その中に存在する「自分」の在り方が変化してきた。
前に書いた記事を通してどのような変化が起き、何が違うのか少し垣間見えたように思えたので、少し。過去を振り返る為に書くのではなく、今を生きる為に3年半前の今を見る。

 

 

存在すると生きるの違い 〜deference of being and living

 

人生とは、「今まさにこの時に存在する」であるという事の連続だという事を最近思う。
being」とは、存在するという表現に使われる。
知っている人が死ぬと、その人は生きていない。
しかし、存在していないわけではない。

 

言葉や表現は正確にはできないが、幽霊として存在する、守護霊として存在する、というイメージに近いかもしれない。

 

「死ねば終わり」というのは、あくまでも生きる事が終わり
その死んだ日から、物を食べる事もお金を稼ぐ事も家族としゃべる事も何もできない。
物質世界においては。
死ぬというのはあくまでも物質世界においての話。

 

しかし、精神世界においては在り続ける
そしてそれに気付き始めた時点から時間という概念を超え始める
例えば、目の前にあるりんご。
食べた瞬間に目の前から無くなる。
「りんごは死んだのだろうか?」
体の中で消化され限りなく小さな栄養素や食べかすとなる。
体の中に在るのではないだろうか?
10年後も20年後も・・・。
形を変え、関わり続け、在り続けるのでないだろうか?

 

そしてそれは人間にも同じ事が言えるのではないだろうか?

 

「You’er Never Over」に出てくるお気に入りの verse。

 

Not many are lucky enough to have a guardian angel like you

 

「お前みたいな guardian angel を持つ事が出来た幸運なやつはそうそういないぜ。」
という意味のリリック。

 

親友として共に生きて行く事はもうこれ以上ない。
しかし、守護霊として共に在り続けてくれる。

 

 

恐れを手放す 〜not afraid〜

 

 

 

何を恐れて生きるのか
死ぬ事、怪我や病気をする事、破産する事、家族を失う事・・・

恐れは生きている限りつきまとう。
その中で多くの教えの元、感じたり思うこと。

 

 

 

恐れを手放す事

 

恐れとは基本的に未来に対する感情。
未来を作るのは「」。
」その恐れを手放せば自ずと未来の「」にその恐れは起きない。

 

これから先に死なない、病気をしない、という意味ではない。
その未来に対する恐れに向かって「」を生きるのを止めるという事。

 

eminem の「not afraid」には非常に勇気付けられる。

 

大筋のラップの意味は、
今までラップの才能によって成功してきた。
でも、前作のアルバムは自分でも微妙だと思うよ。
それは自分のラップの才能があだになったんだろうな。
あれこれ考えたりお抱えのスポンサーとかのしがらみもあったせいだと思うよ。

でも安心してくれ。
俺は生まれ変わったよ。
もう二度とこんなクソみたいなしょうもねー事は起きないよ。

俺をどうこうしようとするやつに恐れずに、
自分がやりたいようにやるからさ。
だから、ドラッグもやめたよ。
自分をクリーンにするために。
もしくは聞いてくれているみんなのためかもしれない。

とにかく、俺はもう何も恐ずに立ち向かっていくよ。
だから手を取り合ってみんなも共に立ち上がろうぜ。

 

 

という内容。

 

おそらくは、現代の資本主義社会やグローバル企業、シオニスト、世界の裏の支配者に対しての反逆のメッセージだろうと思う。

 

産業の一つや洗脳の道具としてラッパーの才能が買われたのに気付きながらゲームをしていた事から離れて、俺は俺らしくラップしていくよ!と。

 

恐れがあると、それにつきまとう全てはネガティブに力が働いてしまう。
ではなく、ただただ「今」自分が存在している、在る、という事にフォーカスして生きて行く事が大切だと思う。

 

その問題はいつ問題なのか?
それが今でないのならその問題は考える必要はない。
なぜなら本当に生きるという事は今存在しているという事が大切だから。

 

そして恐れを完全になくした時、対立は無くなる。
戦う理由がなくなるから。
しかし、何かを失う事やプライドを失う事を恐れる為にそれはできないという悪循環が待っている。

 

いつ、恐れを手放すのか?

 

それが可能なのは「」でしかない。

Bobby Mcferrin

まずはこれを見て、聞いて欲しい。

 

Bobby Mcferrin と MozART のスペシャルセッション。

政治だったり陰謀だったりと何かと批判的になってしまいがちなこのブログ。でも1番大切な事はやっぱりワクワクする事やドキドキする事。

古くからBESOを知ってくれている人はもしかしたら知っているかもしれない「おもちゃブログ」。アメリカ留学時代に書いていたブログ。その名の通り、子供がオモチャで遊ぶように大人が楽しみながらやっているドキドキするようなものを紹介していた。

それを思い出させてくれたこの動画。こう考えると改めてYouTube などのネットサービスは本当に有難い。(もちろん色んな裏の黒さはあるけどそんな事は最近あまり気にならなくなってきた。)

見ての通り本人たちの楽しそうな顔。自然に巻き起こる観衆の声や笑い声。日本のバラエティのようなやらせの声ではなく。

音というものを少し見てみよう。空気の振動が起きて、その振動を鼓膜がキャッチして音として脳が受け取る。その振動は波で表され、周波数や音波として解明された。

臨死体験という言葉を聞いた事があるだろうか?瀕死状態になった時の体験の事で、まさしく死の淵。さらにそれは2種類に別けられるらしく、「死にかけ」の世界と「死んだ」後の世界に別れる。

よく聞く、三途の川や綺麗な花畑というのは「死にかけ」の世界らしく、実際に「死んだ」世界に行った事のある人の経験はさらに奥深い経験をしている。

3回死んだ男として有名な 木内 鶴彦 さん。

実際に心臓が止まって30分。医師も死亡診断書を書いた後に、ガブッと生き返った。というのが3回。その世界で見た事を今多くの人に伝えている。

その話を伝えている中でおもしろい内容が、音について。臨死体験で肉体はないので、体験は全て感覚のみによって感じる。目で見る光。鼻で感じる匂い。耳で感じる音。

そして宇宙にももちろん飛行する。時間時空を超えて。その体験で見えた世界に、未来の地球というものがある。パラレルワールドとして、荒廃しきった生命体のいない荒々しい地球と、青々と緑溢れる地球。今、人類を含めた地球上の生物はその岐路に立たされていると。もちろんどちらに行くかの大部分は人間の活動にかかっている。

そして感覚で体験したそれらを現代社会に落とし込むのに、一番分かりやすいのが音が分かりやすいとたどり着いた。そしてその音を聞かせた水を今販売している。奇跡の水として。

それによって病気が治ったりするという。それが嘘か本当か?はBESO的にはどちらでもいい。本来の病気とは?を考えた時に一番大事な事はなんでその病気になったか。で、あって、そこから自分をどう改めるかだから、その治し方は水を使おうが自然療法を使おうがファスティングであろうが、なんでもいい。

それよりもおもしろいのが、音で伝えているという事。宇宙では空気が無いため、振動によって起きる音は無い。なのに、その体験を音で表している。おそらく宇宙には宇宙原理の音が流れているんだろうなと思う。今の人間には退化してしまった感覚器で聴こえる音が。

で、もとに戻るけど Bobby Mcferrin 達はそういう音がチラチラと聞こえてるんではないかと思う。

それは耳では聞こえ無いから感じるもの。それを音に変えて現代の人にも聞こえるように変換してくれている気がする。だから聞くだけで自然に楽しくなってしまうんではないかと思う。

「奴ら」と闘う マイケル・ジャクソン

「King of pop」

人々がいつしか彼をそう呼ぶようになった。歌の専門家が歌を聴き絶賛しダンスの専門家がダンスに魅了される。

天は二物を与えないと言うけど、二つを持っていたKING。

王が命を賭けて闘った相手。それはCDの売り上げでもなくグラミー賞でもない。

「奴ら」との戦い。

「奴ら」とは誰か???

これを見て欲しい。

全部見たら長っがいから要約。の、前にモーセとファラオについて少し。

MJは現代のモーセであると衣装やステージでの振る舞いで表現してる。モーセは前回に軽く出てきたユダヤ教の予言者。厳密に言うとユダヤだけではなくキリストイスラム教にも深く関係している。

モーセは幼少の頃エジプト王ファラオに殺されかけたが、周りの救いもあり命からがら救われた。しかもそのファラオの嫁に拾われその元で過ごす。しかし同胞であるヘブライ人がエジプト人の迫害を受けている事からファラオにエジプトからヘブライ人の退却を懇願する。

それに反対したファラオだがそれを機に災害に見舞われたエジプトを考えファラオはそれを許す。しかしその後、モーセ率いるヘブライ人を始末するべく追いかけさせた。追いかけた一行はとうとう紅海でヘブライ人を追いつめる。しかしそこでモーセが奇跡を起こし神より授かった杖で海を切り開く映画でも有名なシーンである。

エジプト人の追随を振り切ったヘブライ人はモーセに導かれ約束の地(現在のパレスチナ)を目指す。

つまりファラオは王であり自分に危険な存在や気に入らない物を排除しようとする。そしてその構図をそっくりそのまま現代に移し替えているのがMJ。

ファラオは現代の世界を裏で支配す一握りの超富裕層。対して、神からの教えを守り人々のため幸せを追い求めそれらの支配から逃れようとするモーセがMJ。

そして最終的に迎えたのがMJの暗殺。これには様々な検視結果の疑惑や、調書の食い違いが言われており、結論としての投薬事故死では無いと言われている。

その死はMJのライブ「THIS IS IT」の直前で、彼はこのライブで衝撃事実を発表する事を計画していた。もちろんそれによって自分の命が危ない事も知っていた。そのため、リハーサルを入念にテープに収めていた。それが映画となったTHIS IS ITである。しかしそれはほんの2時間程度。実際は100時間程取られていた中、その支配層が許可した2時間だけとなり、MJが本当に伝えたかった事は全て言えなかった。

何が言いたかったのかは是非映像を見て欲しいが、一言で言うと、超富裕層の支配に一人一人が起き上がり闘おうという事。その強烈なメッセージがあったため人々は彼の声やダンスや立ち振る舞いに魅了されたのではないかと思う。

6/25日はMJの命日である。KINGである彼がどんなメッセージを我々に発しようとしていたのか感じて欲しい。

TBH The Blue Herb 「NEW YEAR'S DAY」

年の瀬。年末。師走。

忙しさが自分よりも先を走る。

忘年会で今年の垢を落とし、新年に向け新たな準備をする。
寒さの中で席を囲み、酒を酌み交わす。

今年あった嫌な事を忘れるのと同じ様に、昨年の今頃自分が言っていた事を忘れてしまっている自分に気付く。

来年こそは。次こそは。反省と共に希望や願望に呼びかける。

そのヴィジョンを今年はどれだけ持ち続け、走り続けられただろう?
そんな一年を振り返る事ができればそれこそ「来年こそは」という言の葉の中に実が実る。

ひそかにBESOが追い続けるアーティストを紹介する。
何かと批判的に周りをみてしまう癖がついた中、無条件に賞賛してしまう数少ない人物の一人。

ILL BOSSTINO

自分自身の ILL B 哲学 をリリックという刀身に込める。切れ味鋭く他を寄せ付けない雰囲気を放つ妖刀を武器に、日本の真似事HIPHOP界や日本そのものを正面から斬りかかる。

アメリカの真似をしてただただ金や女の歌を歌ったゲイみたいなJapanese Hiphopではなく、自分の生き方や哲学で勝負するのが本物のHIPHHOPだろうと言い放つ。

確かに万人に受ける音楽じゃないだろう。祝いの席で聞く音楽ではないだろう。

だが自分の心の奥に燻る炎を押さえ込んでいられない、溢れる感情や想念から繰り出される一つ一つの言葉の重さがひしひしと伝わる。

いつの時代もアイドルグループは後が絶えない。もちろん良い悪いではない。それをもし決めるとするならば聞く人が決める事。

しかし同じ「音楽」というジャンルで話をするならその奥の深さと重さを実感してほしい。
何を思い、何を考え、どこへ向かい、どう走っているのか、その生き様を。

そのアーティストが好きな理由はなんだろうか?
流行りを追い求め、見た目の派手さにただただ憧れているだけの自分がそこにはいるんじゃないだろうか?
言葉で説明する必要はないだろう。ファンである理由はただ好きだから。で十分だろう。

表現者であるアーティスト。その作品であるショーやCDを見て聞いて、自分の心の動きの振れ幅を感じさせられる。

自分の心の動きは自分にしかわからない。人が感動するものが必ずしも自分の心を動かすとは限らない。
影響力の大きい偉大な表現者はやはり多くの人の心を大きく揺り動かす事ができるだろう。
昨年の今頃、リリースされた般若とのタッグ「NEW YEAR’S DAY」

これを聞きながら今年一年を振り返り、できなかった事を来年につなげる。自分の中での橋渡しをするためにも改めて自問自答する。