生き方改革 起源軸

昨年の高知での約1ヶ月の体験は、BESOにとって大きなものになりつつある。

Back to the nature.

自然に還るという意味でも、本来の自分の在り方を見つめ直すという意味でも。

働き方改革

政府が主導する改革の一つに働き改革がある。

  • 長時間労働の改善
  • 非正規雇用の改善
  • 女性・障がい者・高齢者の雇用

これらが大きな柱として進められている、日本の働き手を残す改革。

 

取り組みとして大切な事であり、実際問題として起きている現象への解決や改善に繋がると思う。実際、この改革から派生されたムーブメントも起きている。

 

しかし、本来の根底にある、一番大切に考えなければならない事が抜け落ちている。もしくは含みきれておらず、伝わっていない。

 

一番はどう「生きる」か、ではないのだろうか?「生きる」為に働くのであり、働く為に「生きて」いるのではない。世の中には、働かなくても生きている人がいる。しかし、生きずして働いている人はいない。休職している間は生きていない、という人もいない。

 

つまり、一番大事な生き方をしっかり見つめなおさなければ、どれだけ働き方を改革しても本当の問題の解決にはたどり着かないのではないかと思う。

 

生き方改革

働き方は十人十色。様々な職業があり、現代の日本ではほとんど自由に仕事を選ぶ事が出来る。一方、生き方は千差万別。同じ仕事をしている人でも生き方はもちろん違う。

生き方を考える上ではBESOの中に、インドでの体験も大きく影響している。

インド・ネパールを1週間ほど周遊しただけだったが、世界観や生き方にこれほど今まで思っていたものと違いがあるのかと感じさせられた。当たり前かもしれないが、アメリカに1年留学した時とはまた違う感覚だった。

一言でまとめてしまえば、「生き方とは死に方」と言えるかもしれない。生まれた時点で決まっている事は死ぬ事だけ。どのように生き、どのように死ぬか。それが、生き方や生き様なのだと感じた。

 

旅の期間中に、不真面目ながら真面目に働く若者のインド人に「そんな遊びながら働いてて大丈夫なのか?」と問うと、「大丈夫だよ。一回しかない人生だよ、楽しまなきゃ損でしょ。明日死ぬかもしれないんだし」とさも平然と返答が返ってきた。

 

まさにその通りだと痛感した。日本という社会はこんな事を口にすれば、そんな働き方をすれば、はじき出されてしまう社会。社会という形・環境が日本とインドでは大きく違うのは大前提としても、こうも大きく違うのか、と。

 

その中で、日本という社会の中で、いかにこういった楽しむ考え方を持ちながら「生きる」かをここ2・3年考えてきた。様々な出会いやきっかけを経て、ここで一つの形が見え始めた。

 

社会を変えるのではなく、一人一人の生き方を見直そうと。その始まりはもちろん自分の生き方から。どう生きて、どう死ぬのか・・・。そして見つかった答えはシンプルだった。

なぜならどうせ全員死ぬのだから。生にしがみつくのではなく、生をあきらめるのではなく、生を活かす為に。

 

生き方の一つ一つ

生き方と言ってもテーマが大き過ぎるので、少し噛み砕いていきたいと思う。

  1. 食べる、飲む
  2. 話す、黙る
  3. 歩く、動く
  4. 働く
  5. 眠る、休む

1.食べる、飲む

究極は食べなくても生きていける。という話は置いておいて、人間は食べ物を食べて生きる。では、どう生きるかは何を食べるか、何を飲むかで変わってくる。

BESOが面白いと思うのはマクロビ。もちろん他にもいろんな考え方もあれば、マクロビに対してもいろんな意見がある。その中でも、一物全体・陰陽調和・身土不二の3柱の考え方に全ては集約されていると思う。

2.話す、黙る

生活をする上で、話すという行為は必ずある。2週間原則喋らない修行をするビパサナというところもあるが、そういうところへ行かない限りは基本的に何かを話す。

では、何を話すか、逆に話さない黙っている時間をどう過ごすかで、生き方も変わってくる。言わずもがな、愚痴ばかり、不満不平ばかり、不安や心配ばかり話していては・・・。

3.歩く、動く

そして、歩く、動く。生活する上で必ずする動作。これに関しては、BESOが習っているBBStyleのレッスンに全てが詰まっている。人生においても、道を歩く、進む、その歩み方が普段の歩き方から影響するところもある。

とにかく、基本的な歩き方・動き方は誰も教えてくれない。自分で掴みにいかなければならないのかもしれない。

4.働く

働き方改革が政府主導で進められている。こういう枠組みや順番で見てみると、それがあくまでも一部分でしかないという事が見えてくる。

もちろん、働き方は大切で、ストレスもあり、うまくいかない事もある。しかし、その根底に大切な事とは、「なぜその仕事をしたいのか?」という目的だと思う。そこがあれば大抵の辛い事や壁も乗り越えられる。

しかし、現状のように、環境や体制を整えようとするばかりに目が行ってては、根本的な解決にはもちろん繋がらない。

5.眠る、休む

そして活動が終われば、眠る。そして合間を見つけて休む。この時間も生きている。もし、死んでいれば目覚めない。という事は寝ている間も休んでいる間も生き方としていろいろ見直す事は多い。

BESOは都会から少し田舎へ引っ越した。これは自分の生き方として大きなポイントだと思う。休まるし、ゆっくり寝られる。喧騒から離れ、1日をリフレッシュ出来る。そこからさらに体を癒す、心を癒す方法や体験を積み重ねていく。

 

少し長くなったが、こういう風に生き方というのを細かく見てみるとおもしろい。そして、こういった一つ一つをどう「考える」かもポイントになってくる。考える上で大事になってくるのが、考え方の軸。その軸を教えてくれる軸が間もなく大阪で始まる。

 

それが「起源軸」。自分の中に軸を作り、柱を立て、自分自身が輝く生活を送る。美しさとは、エネルギーや気力が満ち溢れている生活からにじみ出る。その生き方を教われるいい機会だと思う。

 

日時:5/16(水) 19:30〜21:30

場所:NLPインスパイア 大阪市北区曽根崎新地2-6-12小学館ビル7F

費用:事前振込 5,000円

当日支払 6,000円

興味がある方はこちらのリンクからどうぞ

起源軸 大阪プレ開講ダイジェスト版

BESOも起源軸で来月から講師として話す予定をしております。

詳細は、また別記事でもご紹介します。

「ブッダ」 手塚治虫

長らくのお休みを頂いた、ブログ更新。

久しぶりのテーマもこれまたちょっと重めのテーマ。

 

「ブッダ」 手塚治虫


 

 

ご想像の通り、仏教の開祖であるブッダが主人公。

 

どちらかと言うと、神道が好きなBESO。これといって信仰してる宗教はなく、満遍なくいろいろな宗派を見たいという欲張りな性格。

 

のなかで、たまたま仏教にフォーカスした作品をこのタイミングで読んだので記事に。

 

あらすじも、ブッダの伝記という感じで、生まれたから死ぬまでが描かれている。もちろん様々な伝記がある為、ここが違う、そこが違う、という意見なんかもあると思う。

 

今回記事として言いたかったのは、「ゴール」。

 

BESO自身が悩んでいる事でもある、最終地点。作家を目指し、講師をして、今は塾の設立を目指して動いている。

 

その「ゴール」に向かうという事が、作中で何度もテーマとして取り上げられている。

 

そして、読んだ感想として思うのは、BESOがいろいろな作品や人物に影響を受ける内容が、結局は同じゴールに向かっているという話。

 

もちろん登り方もアプローチの仕方も、考え方もそれぞれ全く違う。

 

そのそれぞれが目指す先。それは皆同じで、「幸せ」がゴールだと思う。

 

苦行と言われる、死ぬよりも辛いと言われる修行をした結果ブッダが出した答えは、苦行では幸せになれない、という内容。それよりも、全宇宙、地球、社会の中で、自分だけに与えられた役割を全力で生きる事が幸せなのだ、と。

(ちなみに、この1コマに出てくる右の少女の名前はスジャータ。フレッシュで有名なスジャータはここから取られている。)

言い方を変えると、自分にしかできない事、自分だからこそできる事。

それは何も特別な事でなくても、毎日会社に勤め、家族と何気ない生活を送る。という事ももちろん含まれている。

 

逆に言うと、BESOはそっちの方が苦手でもある笑

そしてBESOのまわりの人も苦手な人が多い。ゆえに、そういう事が出来る人がいるからこそ、自分が存在できていると思える。

 

全てを許し、全てを愛する。そして、自分にしかない、自分だけの役割をありがたく勤める。

 

今の仕事が苦行と感じているならば、その先には幸せはやってこないのだと思う。自分がすべき役割だと思うからやっていると思える内容だと、胸を張って言えるようになりたいものだと。

気付きと教え方

教え方がうまいと言ってくれる事が最近よくある。

その理由はこれまでのBESOのライフストーリーを見れば見えてくる部分がある。あまり語らないが、少しだけご紹介しようと思う。


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2017.05.26 BBFW前夜祭 〜番外編〜

実はフィールドワーク前日に岡山でこっそり前夜祭があった。と言っても二人でしっぽりと。

学生時代に仲の良かった後輩と久しぶりの再会。一大決心をして地元を離れ一人岡山へ向かったUに会いに行った。学生時代には予想もしていなかったほど考え方も生き方も変わった。それと共に周りの人の対応ももちろん変わっていった。そんな中、珍しくBESOの話に耳を傾けてくれる変な奴の一人。

Uは社会人2年目が終わる頃に大手企業を退職し、給料も社会的なランク(?)も下がる今の仕事をする事になった。理由は「自分がしたいと思う仕事をしたい」というのが大きかったと思う。先輩として役に立てかはわからないが、当時相談を受けた。もちろん返した言葉は「やりたい方に行った方が後悔は少ないじゃないか」と。

BESOの言葉が後押しとなったのか、自分の元からの思いかはわからないし、そもそもそんな相談をした事さえ覚えてないかもしれないが結局その仕事を5年ほど続けている。今となっては来て良かったという一言を聞けて嬉しかった。

他愛もない会話が少し続き、最近興味のある事は何か?という話題に。まさかそんな言葉が出てくるとはと思った一言が「マインドフルネス」だった。BESOの周りの人からすればもちろんそんな単語は日常のように飛び交っているので、驚く事は何もない。しかし、学生時代からの友達がいきなりそんな事を言ってきたのでなぜか、思わず慌ててしまった。笑

有名な雑誌を見ていた時に出てきて、それ以来気になって機会があればセミナーなんか行きたいと思っているけれどあいにく岡山ではそんな機会が少なく、まだ詳しくはわからないとUは言っていた。2010年代から日本のメディアでも取り上げられだしているので、Uが知っていても何も驚く事ではない 。が、そんな事に興味があった事に驚いた。

「マインドフルネス」についての会話が少し続いた後、セミナーの話に。BESO塾はどんな内容なのか?どんな人が来ているのか?あーでもないこーでもないと話した後、「セミナー難民」というフレーズが頭をよぎった。

最近の流行りなのか何でも難民を付けると単語が出来上がる。「セミナー難民」はある意味的を得た言葉に感じた。セミナーに行く事が目的にようになってしまい、結局また次のセミナーもしくは別のセミナーに行くのが続いていく。(かくいうBESOも次の日にフィールドワークに行くのでセミナーに行くようなものだった笑)

そして、大事な事を再確認させてもらった。それは、依存から自立し自分自身の軸をしっかり立てるという事だった。セミナー難民は結局のところ、教えてもらわなければ出来ない人の総称かもしれない。そもそもそんな名前が生まれる事自体がおかしな話だが。

何か気になる事がある → 調べてみる → 詳しい人がいるという情報が入る → 教えてもらう → 自分に落とし込んで実践する

ここで完結するのがセミナーなのではないだろうか?

その費用が1,000円なのか30,000円なのか100,000円なのかよりも、最後の自分に落とし込んで実践できるかどうかが重要なのだと思う。

マインドフルネスを例にとって見てみると、一般的には「マインド」つまり精神を「フル」活用して日々の生活を充実させるというものだと言われている。精神を研ぎ澄ませ集中力を高めて仕事をする事で能率が上がる。また、精神力が強くなり体も相乗効果として健康になっていく。

その為の具体的な方法として、禅やヨガの考え方から瞑想が取り入れられていたりもする。その方法や効果をセミナーで説明しながら自身で取り組んでいく。もちろん最初は詳しい人やベテランに教えてもらうのが最適だと思う。しかし、いつまでもこのセミナーに行っていては進歩が無いのではないかと思う。教えてもらう側から独立し、自分でものにしていかなければ意味がないように思う。ややもすると教えてもらうということに依存してしまうことになる。そうなるとマインドフルネスもくそも無くなってしまう。

 

自分でマインドフルネスな状態を作れるようになる事がセミナーの目的であり、そうなればもうセミナーに行く必要はないはずである。次にする事はセミナーを受けるのではなく、セミナーを開く方にならなければならない。(教えたくないという想いがあれば別だが)

そのあたりの思考の根本を旧友としゃべる事で再確認させてもらった。自分が大切にしなければいけないもの、そして自分の講座で喋るべき内容。そこから目指すべき方向が見え始めた気がした。

そして、BESOの自作の小説は?という話題にもなった。どうやらthe coinを気にってくれたらしく次も期待していると言ってくれた。次回作はもちろん構想中。だが構想自体が自分の中ででかすぎて作品に落とし込めない現状。まだまだ力不足。「構想だけでも聞きたい」ということで、少し先にネタバレ。話してる内に自分でもなんだか楽しくなってきた。というのもまだ、あまり他の人にこの構想を話したことがなかったからというのがあるかもしれない。

結果的に、自分の進んでいく方向性や具体的な自作の本の内容も決まっていって充実したご飯の時間になった。そのお店も活気があって楽しかった。ということで、前夜祭が実は無事に楽しく終わっていた。というおまけ。

ここからは余談だが、そのUには半年になる赤ちゃんが生まれていた。ご飯も食べ、早々と家に帰ると奥さんと赤ちゃんが迎えいれてくれた。といっても赤ちゃんはスヤスヤとお眠り中だったが笑。半年の赤ちゃんがいるのに泊めてくれて本当にご迷惑をおかけしました。(とあんまり思ってないけど感謝してます。)

お祝いにと、竹布のストールをプレゼントした。これが赤ちゃんに大人気でBESOは出産祝いによく使わせてもらっている。良かったらみなさんもぜひ。

TAKEFU

たまたま竹布の創始者の方と話す機会があり、そこに込められた想いや愛情に優しさを感じた。そしてそれが製品として形になっているという尊敬もあった。その人の人生が自分としては素敵な人生に思えていい影響をいただいて以来お世話になっている。

2017.05.28 BBFW2日目 〜京都編〜


 1日目の 〜岡山・鳥取編〜 はこちら

翌朝、朝からまた目的地に向けてバスが走りだす。続いてこの日も天気に恵まれた。この天気を狙ってこの旅が設定されたかと思うほど両日とも過ごしやすい気候でありがたかった。

 

比沼麻奈爲神社

難しい名前。「ひぬまないじんじゃ」と読む。神話の時代に豊受大神(トヨウケビメ)がここにいて、天照大御神が豊穣の神である彼女を呼び寄せたので元に住んでいた所にたてられたのがこの神社。神話時代の地名がそのまま神社の名前になっている。

 

古来より伝わる伝統の術式による結界が張られている。小さな石で敷き詰められた境内を毎日のように宮司さんと巫女さんが祈りを込めながら正式なやりかたで掃いている。

少しみえにくいが先にある盛られた砂山。ここにエネルギーが溜まっているらしい。

さらに中に入ると本殿は右に構えられている。結界の道で穢れ(けがれ)を落とし曲がる事でそれらから切り離すという意味があって曲がっている。

 

奥に入ると立派な本殿があり、なんとこの日は丁度タイミングを合わしてくれたかのように宮司さんと巫女さんの舞を披露してくれた。「いつもなら早朝7時にするのだけれど、今日は地元の田植え祭に行ってたもんだから今時分にする事になったんです。」と俗世の匂いを遥か昔に消し去ったような宮司さんがありがたく歓迎してくれた。

本物の舞とはこれの事なのだと見せていただいた。神を身に宿し、流れるがごとく体を動かす。ダンスとも違う、祈りの作法のように思えた。ちなみに、奥の本殿は写真撮影禁止。

想定外の本物の舞を見せて頂き(その前に社務所で丁寧すぎるほどお招きいただき、お祓いもしてもらった)感激するも、予定を大幅に遅れて第二スポットの天の橋立へ。

元伊勢籠神社

三重県の伊勢に神様のTOPである天照大御神がおられる、と言われている。その前に立ち寄った場所を元伊勢と呼ぶ。元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)もその一つで、ここも重要なポイントのひとつ。

数ある元伊勢は単に立ち寄ったのではなく、0磁場(ぜろじば)のポイントとして大切な場所を祀るために天照が訪れた。それらを統べるために最終的に伊勢に行かれた。

勝手にメインだと思っていたここは意外にさっくりお参り。笑

実はその次の眞名井神社に行きたかった模様。いそいそとついていく。

 

眞名井神社

元伊勢籠神社から歩いて10分ほどにある眞名井神社(まないじんじゃ)。天の橋立の観光地とは思えないほど急に厳かな雰囲気が出始める。少し山の中にあり、木々も生い茂っている。

水の神を祀っていて、入り口にはお清めのありがたい湧き水がある。そして珍しい狛犬ならぬ狛龍が鳥居の前で神社を守っている。

と、ここまで順調だった旅も暗雲が立ち込める。旅にトラブルは付き物。中に入ると様子がおかしい。まさかの、本殿工事中。本殿が目的ではなく、その奥のスポットに連れて行きたかったリーダーはショックの表情。いつも落ち着いているリーダーの落ち込んだ顔など見たことが無かったのに、「せっかく来てもらったのに申し訳ない。。。」と相当へこんでいた。

が、くよくよしていてもしょうがない。こうなるからその分宮司さんと巫女さんの舞を見させてもらったんだ、とポジティブにすぐ切り替える。この場所は来年の秋まで行けないのでその時にまた行きましょうと、再訪を誓う。

まさかのメインが空振りに終わるという落とし穴がありつつも、いよいよ終盤にさしかかる、残すはあと2スポット。

 

元伊勢内宮

外宮(げぐう)にてあいさつをして内宮(ないぐう)へとお参りする。本当は元伊勢外宮にも行く予定だったが、同じ神様である豊受大神がまつられている比沼であれだけしていただいたので、急遽飛ばすことに。

こちらも例によって山間にあり、厳かな空気。中に入ると広い境内に周りをぐるっと囲む小さな社?がたくさん。

その一つ一つに伊勢神宮とつながりのある大きな神社の(日本にあるほぼ全ての神社がそうだけど)名前が刻まれている。ここで、各神社との連携を取る中継ポイントのようになっているらしい。

 

そして本殿の横にバカでかい一本の杉が。樹齢約2000年と推定される。龍灯の杉と呼ばれ、この木と会話することで自分自身の流れを整えることができるそう。ということでメンバーも順々に触って会話する。

ふと、少し離れてこの杉を見ると残念ながら上の方は枯れ始めている。それでも悠然と立ち誇る姿は堂々たる姿。そしてその先端の全てがとがっていた。龍の先端は基本的にとがっているらしく、まさしく龍灯の杉と言わしめると。

 

天岩屋戸神社

神話の中で、太陽と天の神様である天照大御神は一度自分をふさぎ込んだことがある。自暴自棄になり、岩屋戸(岩でできた小屋のようなもの)に隠れた。世界が真っ暗になり、他の神々や人々は困り果てた。なんとかかんとかみんなが協力して天照は無事に出てきてくれました。というエピソードになった場所であるこの天岩屋戸神社(あまのいわやどじんじゃ)。

日本各地にこの伝説の地があるため、はっきりとどこなのかはわからないが、この元伊勢の近くにある場所はなかなか由緒ある地であることは間違いない。

とその間の山道に、一願成就の遥拝所がいきなり現れます。ポツンと。

向こう側に見える山の山頂と小さな鳥居と石碑を一直線に見るようにし、そこに自分自身の中心の立たせる。そして一つの思いを願うのではなく、宣誓する。願い事は叶えるのではなく、自分でそう生きていくんだと誓うものであると。

その後、岩屋戸へ到着。渓谷の中にあり、かなりゴツゴツした岩間に出る。鎖を手に社まで10m弱ほど登り、祈る。

戻って来れば、その前には綺麗な水の流れる川と池がある。その岩肌が産み出した神秘的な龍岩窟と呼ばれる岩を見ながら最後のお祈り。

 

中身のものすごく濃い2日間。日本の神話を巡る旅で自分自身のエネルギーを調整する。過去・現在・未来の自分を作り出すのは全て今の自分。未来の願い事を現実にするのも自分。辛い過去を受け入れるのも自分。それらを生かすも殺すも今の自分次第。

自分の中心と向き合う2日間でまた一つ自分の軸を再確認できた気がしました。そしてこれから激変するであろう社会と周りに翻弄されず進むべき道を守られながら切り開いていける世界が本当にほんのりと見えた気もしました。

2017.05.27 BBFW1日目 〜岡山・鳥取編〜

久しぶりの旅記事。

内容の濃い巡りをぎっしり詰め込んだ今回の2日間。初心に帰って伝えていきます。では早速1日目から。

 

 

晴れの国 岡山の名の通り気持ちのいい晴れに恵まれ、集合場所に引き寄せられた面々。東は横浜から西は山口までそれぞれが一つの場所に集まった。順調な滑り出しで第1スポットへ。

 

𪮷〓𪮷𪮇神社奥宮(サムハラじんじゃおくのみや)

 

大阪の西区にあるサムハラ神社が元々あった跡地。メディアなどで取り上げられ専らパワースポット女子のメッカとなった大阪とは違い、あまり人も来ず厳格な空気を保っている。

お参りした戦時中の兵士や戦国時代の秀吉の兵士たちがことごとく無事帰還したという伝説が語り継がれている「守りの神さま」がいらっしゃるとの事。

逆にこの神さまを怒らせてしまった為に起きた悲劇、八つ墓村のモデルにもなった虐殺の事件が起きた場所でもある。それぐらいパワーの強い土地。

ちなみに、天下泰平ブログにも少し前の記事があったので興味のある方は是非。

邪気を祓い(はらい)自身を守ってくれるエネルギーが満ち溢れている。というのをBESOはまだまだはっきりとは感じられずわかりやすい言葉では伝えられない。。。

しかし、何も建物の無いかつて社が建てられていた跡地にて、しばし自分の負のエネルギーを取り去る為のグラウンディングをしていた時、最近悩まされていた頭のモヤモヤが不思議とスッキリした。

こればっかりは説明の仕様もなく、曇り空に強風が吹いて快晴に一転した。というような表現しかできない。

ちなみにここでの写真撮影はエネルギーも高い為、祝福のサインがよく出るらしくBESOも記念撮影。

 

 

残念ながら至って普通の記念撮影。笑
そういうセンスは皆無。という事が分かった旅でもあった。笑

 

ただ、自分の中心と地球の中心をつなぎ合わせしっかりと地に足をつけるグラウンディングをこの地でできた事に言葉にはできない意味を感じた。
意味や本質は頭でわかるものではなく心で感じる事なのだと改めて教わった気がした。どれだけ勉強をして頭に詰め込んでも、心で感じていなければ本質にはたどり着けないという意味にも聞こえた。もしくは実際に体を動かして体で感じなければならないと。

さらに、天からのエネルギー・太陽のエネルギーも受け丹田で天地のエネルギーをつなぎ合わせて珠(たま)にする。難しい工程。下手くそながらも出来たような気がする。それはこの地のエネルギーのおかけがかもしれない。

龍を象徴する筍が近くに生えていた。筍は別名 龍孫(りゅうそん)。ちょこっと詳しく解説してくれているページを見つけたのでこちらも紹介。

【アイウエオの秘密】「龍孫」

 

山間の木々が生い茂る生命力溢れる聖地にて、第1スポットを無事訪問。心と体は一つその両方でしっかりと本質を捉えるという事を教わっただけでも早速この旅の参加した意味を感じさせられた。一行はいい流れに乗り次の第二スポットへ。

 

不動院岩屋堂

 

鳥取県へとバスを走らせる。のどかな田舎の山間部の小さな村役場の駐車場に到着。愛嬌とおもてなしの気持ちを兼ね備えた看板娘たちがまさかのお出迎え。愛くるしい笑顔のお母さんたちが自分たちを待ち構えてくれていた。

国の重要文化財にも指定されている為、参拝するには自治体の市役所に連絡しなければいけない、という事で連絡してくれていたのだが思わぬ歓迎にメンバーもほっこり。

日本の3大投入堂の一つがこの不動院岩屋堂。投入堂とは大きな岩の中にどうやって作ったのだろうと思うほど立派な建物が建てられている仏堂のこと。残りの二つは大分県の龍岩寺奥院礼堂と同じ鳥取県三朝町の三徳山三仏寺投入堂。

不動院とは文字通り不動明王を祀って(まつって)いる建物。詳しい仏教の解説は別の機会にするとして、ありがたい仏堂という事。かつての日本人がわざわざ作りにくい岩の中にお堂を作ったという謎や神秘を感じずにはいられない場所。

修復・改修が重ねられ今の姿形になっている。それでも堂々とそびえるその姿は圧巻。背には炎を纏い(まとい)、右手に剣左手に綱を持っているとされる不動明王。剣で迷いや邪心を切り裂き、綱でそれらを縛って智慧を与えてくれる。さらに炎で邪を焼き払ってくれるという存在。

動物ではに例えられる、とも言われている不動明王。今回の旅はどうやら「龍」を巡るという道筋が設定されていた。

」とは?というテーマが今回の本題でもあった。

 

そこにたどり着くには「まだまだ修行が足りませんな〜」という声が聞こえてきそう。でも、それをあんな形こんな形で教えてくれる人たちに出会えたのも今回の旅の収穫の一つ。

 

自分自身のエネルギーを調整する「龍」を感じる。というテーマで走り出した1日目のツアーはその後、温泉に浸かり(電車で温泉に行くのがちょっとめんどくさかったBESOは欠席。笑)反省会という名の宴会を開き、無事幕を閉じる。

邪を払い強い力に守られているという事に感謝しながら眠りについた。

続きの2日目はこちら

 

矢印

 

「外に矢印を向けずに、自分に矢印を向けろ!」

 

引用元: 佐々木鈴優さんの書道教室

 

 

昔、恩師に言われた言葉。今となって言葉の意味が理解できて腑に落ちた。
全てはエネルギー。生きるということは生命エネルギーがあり、自然には循環している自然のエネルギーがある。

そのエネルギーはどこへ向かうのか?エネルギーは導かれるがままに、引き寄せられるがままにただただ向かう。雨が降ると水が溜まる。水が溜まると下へ向かう。地下水になり、川になり、海になり、水蒸気になり、雲になり、雨になる。

 

エネルギーが矢印の方向へ向かうと次の状態へと変化していく。

 

目に見えるものはわかりやすい。目の前にあるコップを押すと矢印が向かった方向に倒れる。倒れた衝撃で割れる。割れた破片を片付ける。ゴミ箱に入れる。焼却炉に向かう。燃えてカスとなるか気体になる。また人間はコップが必要なので、コップを作る。

難しいのは目に見えないもの。目に見えないものもエネルギーが矢印の向く方へどんどん向かっていくのだと思う。

 

恩師の言葉の真意は、その矢印の元のエネルギーである意識の話。

 

それはサッカーの中での考え方や意識であった。サッカーは手ではなく足でやるスポーツ。ミスが前提のスポーツ。野球では手でやるためミスをするとスコアボードにエラーの文字が出る。サッカーでミスをエラーといちいち書いていると、スコアボードは大変なことになるだろう。

そして、何かしらのミスが起きた時の意識について。サッカーは11人でやる競技。ボールは一つ。相手も入れると22人。一人のミスに対して残りの21人がどういう対応をするかで、状況がめまぐるしく変わる。

 

例えば、試合中に敵にボールを奪われたとしよう。ボールを奪われた人の心理として矢印が2つある。

 

「お前があっちに走ってくれたらいいタイミングでパスが出せたのに、逆に走ったからパスが出せなくて取られたじゃないか!」

と矢印が自分ではなく人に向く発想。

 

「お前があっちに走ったからパスは出せない。だから違う仲間にパスをすればよかったのに、お前にパスをするとこだわった俺の判断ミスだ。」

と矢印が人ではなく自分に向く発想。

 

エネルギーは向かった先へ行く。人に矢印が向く場合、どんなエネルギーなのかというのもポイントになる。

このサッカーのミスの場合は「怒り」のエネルギーが相手(味方)に届く。するとそのエネルギーが届いた相手はそのエネルギーに対してまた矢印を探す。多くの場合はまた、外へ向けて、「怒り」のエネルギーを矢印にして届けてしまう。

「おれのせいじゃないよ!取られてのはお前がヘタクソだからだ!」

と。

 

エネルギーが自分へ向く際は、いいもわるいもなく解決へ向かうことが多い。

 

失敗してしまったミスをただただ冷静に眺め、

「あ、こういう判断ミスをしたから取られたのだな。上手い選手なら別の味方にパスして、もしくは敵をこういうふうにかわせばよかったんだ。」

と。

 

それを見た仲間はきっと、

「おれもあの時は逆の方向に走ればお前からいいパスが出るタイミングだったんだなと思うよ。取られたミスの半分はおれのせいかもしれないな。」

 

と。

 

この味方の言葉は相手を思いやる、気遣いも含まれている。相手を思いやる暖かい気持ちがエネルギーなって相手に届く。矢印を相手に向ける場合は暖かい気持ちで向けてあげるのが大切だと思う。

ミスが前提のスポーツ。人生も生きている限り失敗の連続。失敗やミスとの付き合い方というのが大切なのかもしれない。

 

何かを変える時、何かが生まれる時、必ず痛みが伴う。

 

出産、改革、成長痛。その痛みとどう付き合っていくか。

 

その「痛み」を「怒り」のように外へ矢印を向けて、ネガティブなエネルギーを何かにぶつけるのか、それとも「痛み」も「怒り」も有難いものだと自分の中で次のステージへの糧とすることができるか。

 

「怒り」や「痛み」の先を少し覗いてみよう。その先に笑顔や豊かさ、もしくは解決があるなら矢印の向き先としていいのかもしれない。

 

だが、多くの場合はネガティブなエネルギーがグルグル矢印の向きを変えて雪だるま式に増えるだけなのでは無いかと思う。そしてそれはおそらくサイクルの最後として自分に返ってくると思う。天に吐いたつばのように。

逆に言うと、ポジティブな暖かい気持ちのエネルギーを相手に矢印を向けて送ってあげるとそれが雪だるまになって自分に返ってくる。

 

最近は何かが起きた時、まず外ではなく自分に矢印を向けてみることを意識している。すると相手に暖かい矢印を向けられるような人になっていくのだと思う。

 

その時怒っている事なんて、10年後20年後は笑い話になっていることが多い。ということは結局どっちだっていい話な事が多い。だったらそんな怒ることよりも自分と相手の成長のために起きた未来の笑い話だと思えば「怒り」も起きなくなる。

 

もちろん、人をものすごく傷付けるような許されない事が身近に起きるかもしれない。しかし、その怒りの先にみんなの笑顔や豊かさや解決があるかどうかを考えよう。

 

そして、「怒り」ではなく解決やレベルアップの矢印を探して次につなげる事が大切なのではないかと思う。

 

過酷な経験をしてきた「怒り」の矢印に関しての人類の師匠

マハトマ・ガンジー の考え方

ガンジーの言葉の窓

 

どの道を進むのも自由で、方向は無限にある。しかし、生きている限り矢印は続く。矢印の向け方を学ぶと自ずと道が見えてくるのではないかと思う。

宇宙と愛

そうなんです。こんな記事を書きたかったし、話したかった。

もちろん今までの記事も書きたい記事だから書いてきたし、

話したいから話してきた。

 

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大人の社会科 夜お茶会

「大人の社会科」毎週木曜日開催が決定しました!

場所 : 天満橋MAYUネイル
時間 : 19:00~20:30

費用 : 1000円

(コーヒー・お菓子付き、飲みたい方はお酒持参可)

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