「真理」の追求

激動の2018年を皆さん如何お過ごしでしょうか?

BESOはこれでもか、というぐらい揺れ動いております。笑

個人的には、人生の目的・使命を明確にする為のさまざまな試練が訪れました。

環境や社会という面から見ると、特に関西では大雨・地震・台風と荒れに荒れました。

汚職や不正も洗い出されました。

大きなこの流れの中、BESOが出会って、手放す様々をご紹介したいと思います。

禅タロット

少し前の記事でも触れた禅タロット。
この説明をするには、まずOSHOのストーリーから。

OSHO バグワン・シュリ・ラジニーシ

色々な世界でもあるように、戒名となっていて、ラジニーシが名前であり。
バグワンもシュリも、大僧侶という意味の位を示す。

晩年は「私の事は和尚と呼びなさい」と言うようになり、世界的に活動をしていた為英語表記のOSHOとなった。

インド出身でありながら、日本に強い関心を示し、日本の和尚のような存在が理想である、と言っていたといわれている

メインテーマは「禅」であり、全ての宗教・科学を包括し得るものは「禅」であると結論づけた。

講和集は650冊以上にものぼり50ヶ国語以上に翻訳されている

とてもこのページでは語りきれない、人物で存在。

その人生をかけて伝えてきた、東洋生まれの彼が語る「真理」を、西洋の伝統的な占いのタロットと融合させたのが、「OSHO禅タロット」。

未来を占うのではなく、「今」を映し出す鏡、としてカードの位置付けが特徴的でもある。

これに出会ったBESOは、まさしく自分が探し求めていたツールだという直感が走った。

「真理」を語り伝え、「今」をどう生きるか。それをカードがわかりやすく導いてくれる。

その為には禅の概念を学ばなければいけない。そして、なぜOSHOが日本に関心を抱いていたか、その源流にも触れなければならない。

アナスタシア

程なくして、別の角度から「真理」を語る存在に出会った。

それが「アナスタシア」。

ディズニーにも同じタイトルの作品があるらしいがそれにも色々意味を感じる。

自然豊かな針葉樹林が広がるシベリアのタイガ。アナスタシアはその先住民で、1970年代に生まれながら現代文明とはかけ離れた生活をしていた。

電子機器とは無縁。車や道具とも無縁で、もはや、家すらも無い。

大自然そのものの草原が家であり、池が庭でクマも友達である。

ウラジーミルという貿易業を経営する実業家が奇妙な縁で3日間、そのタイガの中で3日間過ごすこととなった。

まさに、青天の霹靂。

常識は全て崩れ去り、ウラジーミルはアナスタシアを「現代の魔女」と呼ぶ。

おそらく、ウラジーミルでなくとも、現代の文明を少しでも見聞きし手にしたことのある者なら誰でも同じ意見だろうと思う。

その3日間では、瞬間移動、テレパシー、気功、現代科学の疑問の答え、ありとあらゆる物事の想像を超える出来事がウラジーミルに起きた。

そしてアナスタシアは「真理」をウラジーミルに伝えた。さらに、それを本にし、世界中の人に伝えるのがあなたの使命だと言う。

本など書いたことも無い実業家の俺
がそんな事は絶対にしないと、タイガを後にするが、後日出版する。

そして、現在その本はシリーズ6冊目も発売され、世界60ヶ国語以上に翻訳されている。

もちろん日本語もある。

「真理」に興味がある方にはどちらもおススメする。

多文明の迎合

と、ここでBESOの流れに少し立ち戻る。

アメリカ留学を経て、「真理」に興味が出始めて、帰国後まず興味を持ったのが歴史。日本の系譜や神話を掘り始めた。

そして、精神性という意味で、各宗教やヨガなどのを調べ始めた

少しでも伝えたい、という思いから、自費出版で「The Coin」を発売した。

それが2015年。それをこの3年一冊ずつ手売りするという日々が2018年まで続く。そこまでの道筋と、今話した2つのOSHOとアナスタシアが見事に繋がった。

ヨガ・仏教の精神性を学ぼうとインド・ネパールにも訪れた。そしてOSHOの存在は知っていた。

偶然知り合った人物が昔OSHOの元で師事し、その教えを体現している。現在ではBESOの導師として様々な事を教えてもらっている。

そして、OSHOが伝えるその「真理」の意味がやっと分かる段階に来た
とは言え、分かると体現するは雲泥の差があり、まだまだ道のりは遠い。

だが、「真理」が見え隠れし始めた。

そして、また別の角度からの「真理」にも触れ合う。それがアナスタシアの語る「真理」。

アナスタシアの魔女たる由縁は、プログラミング能力にある。

最近では引き寄せの法則とか、願いが叶う、と言った考え方が流行している。

その原理を見事に言葉にしている「真理」。これも先ほどと同じように、分かると体現するには差がある。

その中で、アナスタシアのプログラミングにBESOが巻き込まれていた事実に気付いた。

ウラジーミルが1冊目を出版すると、それに呼応するように、多くの本や詩、絵画が生まれるとプログラミングしていた。

「The Coin」がまさしくそれだった。
自分の作品との関連性を無視できない作品に出逢うという幸せがあった。

それぞれを説明する事は、ブログという記事では不可能に近いので、BESOの話会に来てもらえればと思う。

そして、OSHOにしろアナスタシアにしろ、詐欺や詐称の問題はある。そもそも作り話だという話もある。

それは表面上の問題でどうでもいい話である。

一番大事なのは、自分で見聞きした物事の中で、何が真実だ、と感じるかだと思う。

テレビをずっと見ている人はいつしか、テレビで見ている事が真実なのだと思うようにそれこそプログラミングされている。

テレビはもともとそういうものだ。
映画、ドラマもそうだ。

本もそう言える。

自分の真実をしっかり見つめ、それを元に「今」を生きる。

それがどうやら「真理」のひとかけらのようだ。

東洋の文明、西洋の文明、のそれぞれが違った角度から「真理」を伝える。

さらにここで駄目押しのように、もう一つの計り知れない「真理」の元がBESOにやってきた。

それが「カタカムナ」。

カタカムナ

これはブログの記事にしようか悩んだ。なぜなら、諸刃のつるぎだからである。

「真理」故に封印されて来たカタカムナ。

つるぎの扱い方を誤る現代人がこれを知れば、当然真理とは逆の方向へ向かってしまう。

だが、封印を解いた人たちの思いや真理を鑑みると、もう大丈夫、という声が聞こえてくる。

OSHOとアナスタシアの2つとBESOとのつながりの延長に現れた究極の存在カタカムナ。

全く角度の違う、それぞれが奇妙にも同じ内容の「真理」を伝えている。

現代人にとっては果てしなく難しく感じる。なぜならそれだけ現代という狭い檻に入れられているから。

危険を顧みず、それを出る勇気のある者にしかそれは理解できない。出逢うことすらできない。

人には出逢うべくして出逢うものがあり、起きるべくして起きる出来事がある。

それは特別という意味ではなく、それこそそれぞれの使命によるところが大きい。

それを教えてくれ、感じたこの2018年という世界の変革期だった。

というのが、この記事のメインテーマだった。

カタカタナには終わりがない。

ので、時々アップデートするように記事を更新するが、まずは現段階での入り口の入り口を記事にしようと思う。

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