千日回峰

千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)という日本の中で1、2位を争う行(ぎょう)がある。その名の通り千日間高くそびえる峰々を歩き回る。平安時代に相応という僧侶が始めた史上最大の荒業。達成すれば生きながらに不動明王になると言われている。不動明王とは仏様が人々を救うために現れた現世での姿と言われている。つまり、人々を救い幸せに導いてくれる存在になったと認められる。

最近、奈良の大峯山の千日回峰を達成した大阿闍梨 塩沼亮潤 住職に注目が集められている。1300年ぶりに達成者が現れたと言われており、まさに偉業を成し遂げた人物。この千日回峰行の発祥は滋賀県と京都府の境にある比叡山の千日回峰行。さらに偉業を成し遂げた人物もいる。

比叡山では50人の達成者がいるとされており、戦後はたった13人しかいない。そのうち、この荒業を人生で2度達成した 酒井雄哉 住職は二千千日回峰行者として大きな存在となった。その酒井住職も2013年に亡くなられ、現在生きている人の中で二千千日の達成者はいない。

どれだけ辛い修行なのかは聞くだけでも意識が飛びそうな毎日である。生半可な気持ちでの入行を禁止する意味でも、自分で続行できないと判断したならばその場で切腹という厳重な掟まである。実際に自分で短刀を作り、首を吊る死出縄を持ち行に入る。

 

その体験をTEDにて講演している模様がこちらgazou02

 

1000日山を歩くが、連続1000日というわけではない。雪が積もりと登れなくなるので比叡山では7年、大峯山では9年に分け山に雪のない3、4ヶ月間に山を歩く。大峯山の場合の1日のスケジュールはおおまかにこのようなスタイル。

夜中の23時半に起床。

おにぎり2つと水筒を持ち0時に出発。

8時過ぎ標高1719メートルの山頂に到着。

ご飯を食べ下山。

15時半に帰堂。

自ら掃除洗濯・翌日の準備。

19時就寝。

これをひたすら繰り返す。あまりの厳しさにこの行では3度死ぬ思いをすると言われている。塩沼住職の話では

「1回目が熊に遭遇した時、2回目が落石で持っていた杖が折れた時、3回目が500日達成前の10日間で11kgやせてしまう体調不良。いずれも死を覚悟したが、3度目の危機には実際に力尽き山中に倒れた。このまま死んでしまうのだと思ったが辛さや苦しさは全くなく、何かに包まれているような感覚だった。すると走馬灯のように幼い頃からの記憶がよみがえり、今までお世話になった事を思い出し、こんなところで倒れてはいけない!と強く想いまた力強く歩を進める事ができた」

その後、自分の中でも心境の変化というものがあったそうだ。やはり生死をさまよう経験で人生観が変わるという事が起きる。再び塩沼住職563日目の手記より

「人間は皆平等であると思います。この地球に生まれ、空気も水も光も平等に与えられている事を感謝しなければならないと思います。夜空の星の数は人間が一生かかっても数え切れないといいます。

それを考えたならば、もっと心豊かに生きていかなければならないと思いました。自分の胸に手をやれば心臓が動いています。

しかし永遠に動いていることはないと思えば、人生という与えられし限られた時間を大切に生きられるはずです。自分を大切にするように、人をも尊重するということも忘れてはいけないと思います。

思いやりの心が私たちに幸せをもたらす道です。朝起きる、歩く、食べる、寝る。人間生活の原点に返り、たった一人お山にいるとこんなことを考えてしまいます。」

この極限の世界を通じて人間として大切なものは何か?ということに気付き、それは大きく3つの気持ちであると強く思ったと。

3つとは「感謝」「反省」「敬意(思いやり)」。生きるか死ぬかの極限ではこういったことが本当に大切なのだと心の奥底から実感できた。

この話を聞いて思うことは、基本に立ち返るという事。「感謝」「反省」「敬意(思いやり)」を大切にし、日々シンプルに生きる事。その中で生きる楽しみを感じ、生きられる喜びを噛み締め、生かされている愛を感じる。これこそが「生きる」そして「人生」なのではないかと。

これはあくまでもひとつの体験談。もちろん壮絶な経験で誰しもにできる事では無い貴重な体験。でもこの誰しもが出来ない偉業を成し遂げた人が気付いた大切な3つ。

「日々の生活にや身の回りのすべてに感謝する」

「自分の過ちや迷惑をかけた事を反省し素直に謝る」

「心から相手を思いやり尊重する」

これらは今生きる誰しもが今すぐにできる行動の一つ一つ。

「千日回峰が終われば修行が終わりというわけではありません。生きている限り修行でありさらに精進せねばなりません。」と語る塩沼住職。

人それぞれ役割は違い、その為に行う行動や活動もさまざま。しかしそのゴールはあらゆる他の存在との調和と平和に向かっているのではないかと思う。

この行を終えた人が、気付いたという気持ち。その教えをそのままありがたく頂き日々精進せねばと背を正された気がした。

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