2017.05.26 BBFW前夜祭 〜番外編〜

実はフィールドワーク前日に岡山でこっそり前夜祭があった。と言っても二人でしっぽりと。

学生時代に仲の良かった後輩と久しぶりの再会。一大決心をして地元を離れ一人岡山へ向かったUに会いに行った。学生時代には予想もしていなかったほど考え方も生き方も変わった。それと共に周りの人の対応ももちろん変わっていった。そんな中、珍しくBESOの話に耳を傾けてくれる変な奴の一人。

Uは社会人2年目が終わる頃に大手企業を退職し、給料も社会的なランク(?)も下がる今の仕事をする事になった。理由は「自分がしたいと思う仕事をしたい」というのが大きかったと思う。先輩として役に立てかはわからないが、当時相談を受けた。もちろん返した言葉は「やりたい方に行った方が後悔は少ないじゃないか」と。

BESOの言葉が後押しとなったのか、自分の元からの思いかはわからないし、そもそもそんな相談をした事さえ覚えてないかもしれないが結局その仕事を5年ほど続けている。今となっては来て良かったという一言を聞けて嬉しかった。

他愛もない会話が少し続き、最近興味のある事は何か?という話題に。まさかそんな言葉が出てくるとはと思った一言が「マインドフルネス」だった。BESOの周りの人からすればもちろんそんな単語は日常のように飛び交っているので、驚く事は何もない。しかし、学生時代からの友達がいきなりそんな事を言ってきたのでなぜか、思わず慌ててしまった。笑

有名な雑誌を見ていた時に出てきて、それ以来気になって機会があればセミナーなんか行きたいと思っているけれどあいにく岡山ではそんな機会が少なく、まだ詳しくはわからないとUは言っていた。2010年代から日本のメディアでも取り上げられだしているので、Uが知っていても何も驚く事ではない 。が、そんな事に興味があった事に驚いた。

「マインドフルネス」についての会話が少し続いた後、セミナーの話に。BESO塾はどんな内容なのか?どんな人が来ているのか?あーでもないこーでもないと話した後、「セミナー難民」というフレーズが頭をよぎった。

最近の流行りなのか何でも難民を付けると単語が出来上がる。「セミナー難民」はある意味的を得た言葉に感じた。セミナーに行く事が目的にようになってしまい、結局また次のセミナーもしくは別のセミナーに行くのが続いていく。(かくいうBESOも次の日にフィールドワークに行くのでセミナーに行くようなものだった笑)

そして、大事な事を再確認させてもらった。それは、依存から自立し自分自身の軸をしっかり立てるという事だった。セミナー難民は結局のところ、教えてもらわなければ出来ない人の総称かもしれない。そもそもそんな名前が生まれる事自体がおかしな話だが。

何か気になる事がある → 調べてみる → 詳しい人がいるという情報が入る → 教えてもらう → 自分に落とし込んで実践する

ここで完結するのがセミナーなのではないだろうか?

その費用が1,000円なのか30,000円なのか100,000円なのかよりも、最後の自分に落とし込んで実践できるかどうかが重要なのだと思う。

マインドフルネスを例にとって見てみると、一般的には「マインド」つまり精神を「フル」活用して日々の生活を充実させるというものだと言われている。精神を研ぎ澄ませ集中力を高めて仕事をする事で能率が上がる。また、精神力が強くなり体も相乗効果として健康になっていく。

その為の具体的な方法として、禅やヨガの考え方から瞑想が取り入れられていたりもする。その方法や効果をセミナーで説明しながら自身で取り組んでいく。もちろん最初は詳しい人やベテランに教えてもらうのが最適だと思う。しかし、いつまでもこのセミナーに行っていては進歩が無いのではないかと思う。教えてもらう側から独立し、自分でものにしていかなければ意味がないように思う。ややもすると教えてもらうということに依存してしまうことになる。そうなるとマインドフルネスもくそも無くなってしまう。

 

自分でマインドフルネスな状態を作れるようになる事がセミナーの目的であり、そうなればもうセミナーに行く必要はないはずである。次にする事はセミナーを受けるのではなく、セミナーを開く方にならなければならない。(教えたくないという想いがあれば別だが)

そのあたりの思考の根本を旧友としゃべる事で再確認させてもらった。自分が大切にしなければいけないもの、そして自分の講座で喋るべき内容。そこから目指すべき方向が見え始めた気がした。

そして、BESOの自作の小説は?という話題にもなった。どうやらthe coinを気にってくれたらしく次も期待していると言ってくれた。次回作はもちろん構想中。だが構想自体が自分の中ででかすぎて作品に落とし込めない現状。まだまだ力不足。「構想だけでも聞きたい」ということで、少し先にネタバレ。話してる内に自分でもなんだか楽しくなってきた。というのもまだ、あまり他の人にこの構想を話したことがなかったからというのがあるかもしれない。

結果的に、自分の進んでいく方向性や具体的な自作の本の内容も決まっていって充実したご飯の時間になった。そのお店も活気があって楽しかった。ということで、前夜祭が実は無事に楽しく終わっていた。というおまけ。

ここからは余談だが、そのUには半年になる赤ちゃんが生まれていた。ご飯も食べ、早々と家に帰ると奥さんと赤ちゃんが迎えいれてくれた。といっても赤ちゃんはスヤスヤとお眠り中だったが笑。半年の赤ちゃんがいるのに泊めてくれて本当にご迷惑をおかけしました。(とあんまり思ってないけど感謝してます。)

お祝いにと、竹布のストールをプレゼントした。これが赤ちゃんに大人気でBESOは出産祝いによく使わせてもらっている。良かったらみなさんもぜひ。

TAKEFU

たまたま竹布の創始者の方と話す機会があり、そこに込められた想いや愛情に優しさを感じた。そしてそれが製品として形になっているという尊敬もあった。その人の人生が自分としては素敵な人生に思えていい影響をいただいて以来お世話になっている。

2017.05.28 BBFW2日目 〜京都編〜


 1日目の 〜岡山・鳥取編〜 はこちら

翌朝、朝からまた目的地に向けてバスが走りだす。続いてこの日も天気に恵まれた。この天気を狙ってこの旅が設定されたかと思うほど両日とも過ごしやすい気候でありがたかった。

 

比沼麻奈爲神社

難しい名前。「ひぬまないじんじゃ」と読む。神話の時代に豊受大神(トヨウケビメ)がここにいて、天照大御神が豊穣の神である彼女を呼び寄せたので元に住んでいた所にたてられたのがこの神社。神話時代の地名がそのまま神社の名前になっている。

 

古来より伝わる伝統の術式による結界が張られている。小さな石で敷き詰められた境内を毎日のように宮司さんと巫女さんが祈りを込めながら正式なやりかたで掃いている。

少しみえにくいが先にある盛られた砂山。ここにエネルギーが溜まっているらしい。

さらに中に入ると本殿は右に構えられている。結界の道で穢れ(けがれ)を落とし曲がる事でそれらから切り離すという意味があって曲がっている。

 

奥に入ると立派な本殿があり、なんとこの日は丁度タイミングを合わしてくれたかのように宮司さんと巫女さんの舞を披露してくれた。「いつもなら早朝7時にするのだけれど、今日は地元の田植え祭に行ってたもんだから今時分にする事になったんです。」と俗世の匂いを遥か昔に消し去ったような宮司さんがありがたく歓迎してくれた。

本物の舞とはこれの事なのだと見せていただいた。神を身に宿し、流れるがごとく体を動かす。ダンスとも違う、祈りの作法のように思えた。ちなみに、奥の本殿は写真撮影禁止。

想定外の本物の舞を見せて頂き(その前に社務所で丁寧すぎるほどお招きいただき、お祓いもしてもらった)感激するも、予定を大幅に遅れて第二スポットの天の橋立へ。

元伊勢籠神社

三重県の伊勢に神様のTOPである天照大御神がおられる、と言われている。その前に立ち寄った場所を元伊勢と呼ぶ。元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)もその一つで、ここも重要なポイントのひとつ。

数ある元伊勢は単に立ち寄ったのではなく、0磁場(ぜろじば)のポイントとして大切な場所を祀るために天照が訪れた。それらを統べるために最終的に伊勢に行かれた。

勝手にメインだと思っていたここは意外にさっくりお参り。笑

実はその次の眞名井神社に行きたかった模様。いそいそとついていく。

 

眞名井神社

元伊勢籠神社から歩いて10分ほどにある眞名井神社(まないじんじゃ)。天の橋立の観光地とは思えないほど急に厳かな雰囲気が出始める。少し山の中にあり、木々も生い茂っている。

水の神を祀っていて、入り口にはお清めのありがたい湧き水がある。そして珍しい狛犬ならぬ狛龍が鳥居の前で神社を守っている。

と、ここまで順調だった旅も暗雲が立ち込める。旅にトラブルは付き物。中に入ると様子がおかしい。まさかの、本殿工事中。本殿が目的ではなく、その奥のスポットに連れて行きたかったリーダーはショックの表情。いつも落ち着いているリーダーの落ち込んだ顔など見たことが無かったのに、「せっかく来てもらったのに申し訳ない。。。」と相当へこんでいた。

が、くよくよしていてもしょうがない。こうなるからその分宮司さんと巫女さんの舞を見させてもらったんだ、とポジティブにすぐ切り替える。この場所は来年の秋まで行けないのでその時にまた行きましょうと、再訪を誓う。

まさかのメインが空振りに終わるという落とし穴がありつつも、いよいよ終盤にさしかかる、残すはあと2スポット。

 

元伊勢内宮

外宮(げぐう)にてあいさつをして内宮(ないぐう)へとお参りする。本当は元伊勢外宮にも行く予定だったが、同じ神様である豊受大神がまつられている比沼であれだけしていただいたので、急遽飛ばすことに。

こちらも例によって山間にあり、厳かな空気。中に入ると広い境内に周りをぐるっと囲む小さな社?がたくさん。

その一つ一つに伊勢神宮とつながりのある大きな神社の(日本にあるほぼ全ての神社がそうだけど)名前が刻まれている。ここで、各神社との連携を取る中継ポイントのようになっているらしい。

 

そして本殿の横にバカでかい一本の杉が。樹齢約2000年と推定される。龍灯の杉と呼ばれ、この木と会話することで自分自身の流れを整えることができるそう。ということでメンバーも順々に触って会話する。

ふと、少し離れてこの杉を見ると残念ながら上の方は枯れ始めている。それでも悠然と立ち誇る姿は堂々たる姿。そしてその先端の全てがとがっていた。龍の先端は基本的にとがっているらしく、まさしく龍灯の杉と言わしめると。

 

天岩屋戸神社

神話の中で、太陽と天の神様である天照大御神は一度自分をふさぎ込んだことがある。自暴自棄になり、岩屋戸(岩でできた小屋のようなもの)に隠れた。世界が真っ暗になり、他の神々や人々は困り果てた。なんとかかんとかみんなが協力して天照は無事に出てきてくれました。というエピソードになった場所であるこの天岩屋戸神社(あまのいわやどじんじゃ)。

日本各地にこの伝説の地があるため、はっきりとどこなのかはわからないが、この元伊勢の近くにある場所はなかなか由緒ある地であることは間違いない。

とその間の山道に、一願成就の遥拝所がいきなり現れます。ポツンと。

向こう側に見える山の山頂と小さな鳥居と石碑を一直線に見るようにし、そこに自分自身の中心の立たせる。そして一つの思いを願うのではなく、宣誓する。願い事は叶えるのではなく、自分でそう生きていくんだと誓うものであると。

その後、岩屋戸へ到着。渓谷の中にあり、かなりゴツゴツした岩間に出る。鎖を手に社まで10m弱ほど登り、祈る。

戻って来れば、その前には綺麗な水の流れる川と池がある。その岩肌が産み出した神秘的な龍岩窟と呼ばれる岩を見ながら最後のお祈り。

 

中身のものすごく濃い2日間。日本の神話を巡る旅で自分自身のエネルギーを調整する。過去・現在・未来の自分を作り出すのは全て今の自分。未来の願い事を現実にするのも自分。辛い過去を受け入れるのも自分。それらを生かすも殺すも今の自分次第。

自分の中心と向き合う2日間でまた一つ自分の軸を再確認できた気がしました。そしてこれから激変するであろう社会と周りに翻弄されず進むべき道を守られながら切り開いていける世界が本当にほんのりと見えた気もしました。

2017.05.27 BBFW1日目 〜岡山・鳥取編〜

久しぶりの旅記事。

内容の濃い巡りをぎっしり詰め込んだ今回の2日間。初心に帰って伝えていきます。では早速1日目から。

 

 

晴れの国 岡山の名の通り気持ちのいい晴れに恵まれ、集合場所に引き寄せられた面々。東は横浜から西は山口までそれぞれが一つの場所に集まった。順調な滑り出しで第1スポットへ。

 

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大阪の西区にあるサムハラ神社が元々あった跡地。メディアなどで取り上げられ専らパワースポット女子のメッカとなった大阪とは違い、あまり人も来ず厳格な空気を保っている。

お参りした戦時中の兵士や戦国時代の秀吉の兵士たちがことごとく無事帰還したという伝説が語り継がれている「守りの神さま」がいらっしゃるとの事。

逆にこの神さまを怒らせてしまった為に起きた悲劇、八つ墓村のモデルにもなった虐殺の事件が起きた場所でもある。それぐらいパワーの強い土地。

ちなみに、天下泰平ブログにも少し前の記事があったので興味のある方は是非。

邪気を祓い(はらい)自身を守ってくれるエネルギーが満ち溢れている。というのをBESOはまだまだはっきりとは感じられずわかりやすい言葉では伝えられない。。。

しかし、何も建物の無いかつて社が建てられていた跡地にて、しばし自分の負のエネルギーを取り去る為のグラウンディングをしていた時、最近悩まされていた頭のモヤモヤが不思議とスッキリした。

こればっかりは説明の仕様もなく、曇り空に強風が吹いて快晴に一転した。というような表現しかできない。

ちなみにここでの写真撮影はエネルギーも高い為、祝福のサインがよく出るらしくBESOも記念撮影。

 

 

残念ながら至って普通の記念撮影。笑
そういうセンスは皆無。という事が分かった旅でもあった。笑

 

ただ、自分の中心と地球の中心をつなぎ合わせしっかりと地に足をつけるグラウンディングをこの地でできた事に言葉にはできない意味を感じた。
意味や本質は頭でわかるものではなく心で感じる事なのだと改めて教わった気がした。どれだけ勉強をして頭に詰め込んでも、心で感じていなければ本質にはたどり着けないという意味にも聞こえた。もしくは実際に体を動かして体で感じなければならないと。

さらに、天からのエネルギー・太陽のエネルギーも受け丹田で天地のエネルギーをつなぎ合わせて珠(たま)にする。難しい工程。下手くそながらも出来たような気がする。それはこの地のエネルギーのおかけがかもしれない。

龍を象徴する筍が近くに生えていた。筍は別名 龍孫(りゅうそん)。ちょこっと詳しく解説してくれているページを見つけたのでこちらも紹介。

【アイウエオの秘密】「龍孫」

 

山間の木々が生い茂る生命力溢れる聖地にて、第1スポットを無事訪問。心と体は一つその両方でしっかりと本質を捉えるという事を教わっただけでも早速この旅の参加した意味を感じさせられた。一行はいい流れに乗り次の第二スポットへ。

 

不動院岩屋堂

 

鳥取県へとバスを走らせる。のどかな田舎の山間部の小さな村役場の駐車場に到着。愛嬌とおもてなしの気持ちを兼ね備えた看板娘たちがまさかのお出迎え。愛くるしい笑顔のお母さんたちが自分たちを待ち構えてくれていた。

国の重要文化財にも指定されている為、参拝するには自治体の市役所に連絡しなければいけない、という事で連絡してくれていたのだが思わぬ歓迎にメンバーもほっこり。

日本の3大投入堂の一つがこの不動院岩屋堂。投入堂とは大きな岩の中にどうやって作ったのだろうと思うほど立派な建物が建てられている仏堂のこと。残りの二つは大分県の龍岩寺奥院礼堂と同じ鳥取県三朝町の三徳山三仏寺投入堂。

不動院とは文字通り不動明王を祀って(まつって)いる建物。詳しい仏教の解説は別の機会にするとして、ありがたい仏堂という事。かつての日本人がわざわざ作りにくい岩の中にお堂を作ったという謎や神秘を感じずにはいられない場所。

修復・改修が重ねられ今の姿形になっている。それでも堂々とそびえるその姿は圧巻。背には炎を纏い(まとい)、右手に剣左手に綱を持っているとされる不動明王。剣で迷いや邪心を切り裂き、綱でそれらを縛って智慧を与えてくれる。さらに炎で邪を焼き払ってくれるという存在。

動物ではに例えられる、とも言われている不動明王。今回の旅はどうやら「龍」を巡るという道筋が設定されていた。

」とは?というテーマが今回の本題でもあった。

 

そこにたどり着くには「まだまだ修行が足りませんな〜」という声が聞こえてきそう。でも、それをあんな形こんな形で教えてくれる人たちに出会えたのも今回の旅の収穫の一つ。

 

自分自身のエネルギーを調整する「龍」を感じる。というテーマで走り出した1日目のツアーはその後、温泉に浸かり(電車で温泉に行くのがちょっとめんどくさかったBESOは欠席。笑)反省会という名の宴会を開き、無事幕を閉じる。

邪を払い強い力に守られているという事に感謝しながら眠りについた。

続きの2日目はこちら

 

八百万の神々と自分の意識

この記事の前編は 神在月 神迎祭

神々の国、日本。生まれ育った国の始まりをこの日に見た気がした。

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今年は日本の歴史を知ろう、と思い古事記を勉強した。国之常立神、いざなみ、いざなぎ、天照、スサノオ、月読・・・。

 

難しい名前と格闘しながら神武天皇までなんとか一通り目を通せた。それが引き寄せたのか、今年に出雲に行くことに。おおまかに言う日本最古の社、出雲大社。最初は須賀神社やとかその辺の詳しい事は置いといて。

 

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この弾丸の旅で感じたことは、全ては意識で成り立っている、という事。ふと、昔からぼんやりとは出雲大社に行きたいと思っていた。しかし、行くタイミングはあまり無かった。それが急に今年の神在祭の2週間前に「車で行くけど、一緒に行く?」というお声がかかる偶然。これは、まさしく行くべくして行ったと言えると思う。

 

しかもそのお誘いを頂いた人は、2回しか会ったことの無い人。その人が快く約5時間の車旅に誘ってくれたのは行くタイミングとしか言いようが無いと感じた。

 

晴れの予報の中降り注いだ雨。雨を降らせた雲。古事記を勉強したと言っても全てを覚えられるわけではない。着く頃に会話に出てきた「八雲」。ここで全てがつながりはじめた。

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「八雲立つ 出雲八重垣 妻隠み 八重垣作る その八重垣を」

スサノオの歌を思い出す。なるほど。繁栄と平和を象徴する八雲が今日はいきなり現れたのだと、思った。スサノオが起こしたのか、出雲に集まる神々が起こしたのか、そこに向かう今を生きる人々が呼び起こしたのか。

 

雲間からの太陽の光は全てを祝福しているかのようだった。良いも悪いもなく。全ては神の御霊に。しかし、それを呼び起こしたのが自分たち人間の意識だとするならば、神とは人の意識ではないか、ともふと思う。

 

日も暮れ、稲佐浜へ。

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稲佐浜に天から剣が刺さり、国譲りが執り行われたとされている地。ここで神事が毎年行われ続けている。

 

神を覆う布垣が道路に並ぶ我々の前を通る。ほのかに稲の香りが漂う。気のせいかもしれないが稲の香りを鼻が感じた。こういう風にして土地の名前はつけられてきたのだと歴史を鼻で編んだ。

 

出雲大社(いずもおおやしろ)は大国主が天孫に譲る代わりに、天にも届く大きな社を建ててほしいという交換条件に建てられたと言われている。

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はるか昔の地層からの遺跡を分析すると上の写真のようなものが立っていたのではないかと推測されている。

 

出雲の地に残る説話にも高い社が建っていたという話が多く見られる。

 

旅や出会い。行くべくして行き、出会うべくして出会う。良いも悪いもなく、その人の成長や業の解消の為に、自分の無意識が引き寄せる現実という現象。

 

大切な事はどこへ行くか、誰と会うかよりも、その引き寄せた現象の真意を汲み取る事。そして魂の声に傾け次に待ち受ける道の標べをしっかりと受け止めることなのかもしれない。

神在月 神迎祭

神無月(かんなづき)と言われる旧暦(太陰暦)の10月。西暦(太陽歴)ではだいたい10月から11月にかかる。八百万(やおよろず)の神が皆一箇所に集まる為、神が居なくなる月。という意味合いで神無月と呼ばれるようになった。

 

どこへ行くのか?

ずばり、出雲大社に全員集合する。旧暦の10月11日から17日までの7日間、出雲大社に集まって会議をする。

 

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なんの為に集まるかというと、誰と誰を結婚させるかという縁結びや来年の収穫についての話を全員でするらしい。つまり人には予めそうなるとは知ることの出来ない人生諸般の事を決める会議で、神議り(かむはかり)と言われている。

 

念願叶い、実際に行ってきた。

 

天気予報は晴れ。最新の雨雲レーダーを見る限り日本列島に雲はほとんど無し。絶好のドライブ日和。意気揚々と大阪を出発し、出雲へ。

 

不穏にも兵庫にさしかかる辺りから雨が降り出す。信頼すべき雨雲レーダーが嘘をつき始める。「まー、この雲を抜ければ晴れるだろう。」と車を西へ走らせる。

 

が、晴れない。中国道に入り、いよいよ道路は山間に入る。寒くなってきた。道路に設置されている気温は5℃。「真冬の気温じゃないかな?」と心配になりつつパーキングで休憩すると雨が。

 

本日のメインイベントは神迎際。出雲大社から1kmほど歩いた稲佐浜という浜辺で神を迎え入れる神事(かみごと、幽業)。それが19:00から執り行われる。

 

予想以上の寒さ。雨。しかも夜の浜辺。恐怖の予感がし始める。

 

しかし、鳥取に入ると雨は止み、雲は白くなり始める。雲間から差す光はいかにも神々しく、まさしく後光が眩しかった。

 

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不安を一掃してくれるような暖かい光に包まれながら島根県到着。

 

宍道湖(しんじこ)に寄り、クルーと合流。素晴らしいロケーションとセンスあふれるホテルのような内装のカフェでしばし休憩。残念ながら雲に覆われ、夕日は見えなかったが、宍道湖の夕日は見る人を魅了する。これも神の悪戯で、また俺に出雲にこさせようという策略に思えた。

 

いよいよ出雲大社に到着。しかし、スルー。出雲大社には人っ子一人いない。全員、稲佐浜で神迎の準備をしている。さっそく車を置いて、浜へ。と、その駐車場でもう一人のクルーと合流。全員無事合流し、1kmの道のりを歩く。

 

道路はこの神事の為に、一時閉鎖。歩行者天国のようになっている道をズラズラと人が歩く。意外に人が多い。時刻は18:50。急がねば始まってしまう。

 

19時。ちょうど浜の手前に到着。しかし、残念なことにもう神事が始まるので浜へは下りられないと言われる。仕方なく、白御幣(しろごへい)をもらい神が上がって来るのを待つのみ。

 

と思いきや、一般人の人が「こっちから浜に降りれるらしい。」と行ってぞろぞろそれにみんなが付いて行き始めた。「いってみますか。」と後ろに付いて行く。

 

浜辺の手前のスペースに人が集まっていて、そこから浜辺が見渡せる。浜辺には人がズラリ。ここからでは少し遠く、実際の神事がどんな様子か詳しくは見えなかったが、大きなかがり火が二つほど炊かれ、それを大勢の人が見守っている。

 

待つこと15分ほど。特に誰が仕切るわけでも一人二人と道路の方へ向かい始める。いよいよ神が迎えられ、出雲大社へ向かい始めるようだ。

 

4メートル程の布垣という白い布が2つ。それをそれぞれ3人の神官が伸ばして持っている。間には神籬(ひもろぎ)を持った神官がいて、その布垣に囲まれた神籬に神が居られる、という状況を周りの人々が有り難く拝む。

 

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拝んだ後は、その神の後に付いて行き、一緒に出雲大社に向かう。原則的として神社というのはだいたい17時頃に閉まる。しかし、この日はもちろんこれから神事が始まる。

 

しかし、初詣のように出店が賑わっていたり、照明がこうこうと点いている、という事は一切ない。申し訳なさそうに、側道に紙灯篭が少しばかり並んでいる。

 

本殿に向かうかと思いきや、一行は神楽殿に。まさしく縁結びの為の社で、結婚式が執り行われるところ。日本一大きい注連縄(しめなわ)が有名。

 

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いいのかわるいのかは分からないし、マナー違反なのかもしれないが、時間の都合上みんなの流れとは離れ誰もいない本殿にお参り。連れてきてくれた地元の人は「本殿に誰もいないタイミングでお参りなんてみた事がない。」

 

神楽殿には来場していた人全てが集まっていて、全員で八百万の神を迎える。ぱっと見で、1000人以上は集まっていたと思う。

 

一足先に、おいとまさせてもらい。無事参拝終了。弾丸で大阪から行った甲斐がありました。なんとも荘厳な神事。

 

長くなってしまたので、思った事は次の記事で。。。

八百万の神々と自分の意識

 

付き合ってくれた皆様ありがとうございました。いいご縁がある事を祈っています。

高野山

日本が世界に誇る多くの世界遺産。富士山と並びパワースポットとして語り継がれる高野山。その高野山にはどんなパワーが隠されているのだろうか?

高野山というだけあり山がメインのスポット。不思議な点の始まりは山にいきなり街が現れるという事。普通の山道を上がっていくとポイントにさしかかったぐらいからいきなり大きくはないが街が現れる。山の中に。

ご飯屋やお土産やさん、中には理容院まである。大型の駐車場もあり駅もある。山の中に。

文豪司馬遼太郎の記念石碑がありそこにも書かれていた。
「山上はひしぎなほど平坦である。そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀を連ねている。
 ー中略ー
大門の向こうは天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。」

という石碑が一の橋という橋を渡り少し歩いたところにある。

街が山のなかにあるのが不思議である。これは幻ではないのかと思うほど。

そして進むとそこにあるのは、ただ、墓がある。墓、墓、墓。

確かにお寺といえばお墓はある。しかしこんなにもおびただしい数の墓がある場所はそうないのではないだろうか?

しかもその墓石に書かれている名前は只者では無い。織田信長、石田三成、豊臣秀吉、明智光秀・・・。かつて日本史を騒がし時代を作り上げた男たちの名前や太平洋戦争などで戦死した者たちの記念石碑まである。今の日本があるために生を全うした人々の魂がここに弔われている。

墓とは、誰かが死に、その人生を弔い、感謝し、供養するために、残された人々が作るもの。その墓がこの高野山に日本全国から集まっているのだ。もちろんみなが此処で没したわけでは無い。にも関わらずここに墓を建てたいと、残された人々が立てる。

その墓の森を抜けると36枚の板を組み合わせ作られた橋が現れる。この橋を越えると高野山の開祖弘法大師が開設1200年経つ今でもおられると立板に書かれている。

みな一礼しその橋を渡る。そして少しいくと、御廟が現れる。肉体なき今も魂はそこにおられる。と言われる。本当にいるのかどうかはさておきその雰囲気は神々しい。木々の生い茂る山上。そこにある墓と大きな木と墓を新たな住処とし生い茂る苔。君が代の一節を思い出す。「苔のむすまで」大きな何かに見守られて安らかに育つ木々と苔たちもここに弘法大師がおられると言っているかのようだった。

その墓には過去の偉人たちだけでなく、現代の大企業の社碑や個人の墓もある。事故や様々な戦争の記念碑もある。生きとし生けるものとして生を終えた人々が弘法大師に安らかに導かれるように願いを込められている。

人の生き死にと自然の豊かさを感じさせられる高野山。まだ訪れたことの無い人は開設1200年記念の今年に訪れるのも感慨深いものがあると思う。

インド vol.1

いつもと変わらない日常生活を送る。昼が顔を覗かせ、また夜が眠る。知らず知らずに体にまとわりつき、シャワーでは落としきれないアカが溜まる。いつもの道を通り、いつもと変わらない場所にたどり着く。しかし、知らない世界を知る事で、見た事の無いものを見る事で、新しい自分を発見しそのアカを落とす。

そしてまた日常生活に戻る。するとその日常生活を送るメインキャストである自分の演技の幅は広がりを見せ、深みと味のある新たなパフォーマンスを見せるのではないかと思う。旅とはそんなスパイスをあたえてくれるものではないだろうか。

さまざまな場所へ人と旅立たせる発信基地から今回は東洋の異郷インドへ。インドで5泊し、世界の聖地ヒマラヤの麓の神秘の国ネパールへ2泊。約1週間のアジアの精神世界に飛び込む短い物語が始まった。

1泊目のホテルだけを押さえる。そのあとは導かれるままに過ごす。インドでの大きな筋書きは、首都デリーに一泊し、あとはリシケシに。現地の言葉でガンガーと呼ばれる世界的に有名なガンジス川の源流に近い街。山を2、3超えればヒマラヤという自然の中に生まれた観光地。世界中からその自然を見に、またはインドが発展させ昇華させたヨガを学びに人が集まる。

人類の歴史とは旅の歴史かもしれない。それは侵略でもあり、交易である。人が生まれ、人が集まり、街が生まれ、大きくしようと横の街を訪れる。そして自分の領土として侵略しその土地にしか無いものを得ようとする。しかし、知らない地を訪れる人々を必ず待ち受ける不思議がある。それが出会い。

旅は道連れ世は情け。

旅とはさまざまなトラブルや問題が必ず起きる。そのさまざまを共に経験するパートナーや、また乗り越えさせてくれるガイドがいれば旅が充実したものになる。そしてこの世は人情に溢れたいいものであると再確認できるという言葉。

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今回は残念ながら一人旅。そもそも、インドへ旅行に行くという事が今の日本では他の国に比べれば不人気みたいである。しかも精神世界の発展を見たいという旅の目的から自然に一人で行く流れになった。ゆえに道連れになってくれる相手を探すことは難しかった。そして一人で行きたいという傲慢もあった。

だが、世は情けという言葉は真実だと身を持って体験した。行く先々でさまざまな人が何もできない赤子の自分をあやしてくれた。人のつながりとは不思議なもので、インドへの旅が決まってから新たな縁が自分を導く。インドに住んでいたという人物に出会い、現地に住んでいる日本人を紹介してくれた。

デリーに着いた翌日、その日本人が親となって自分を世話してくれた。親とは本来自分の血が繋がった子供に対して無償の愛を注いでくれる存在。赤の他人である自分になぜかよくしてくれた。これこそが世は情けというもの。特に異郷の地を訪れた同郷の人間が困っているのを見ると自然に手を差し伸べたくなるのが人間なのかもしれない。その地をその時に訪れ、人と人が出会うという偶然がそうさせるのかもしれない。

とにかくリチャードと名乗るその日本人は何のコンパスも持たない自分のインドでの旅に指針を与えてくれた。安全な食べ物を与えてくれ、見るべきものを見してくれ、住むべきところを探してくれた。そこには感謝しかなく、ありがたい。施しは目に見えるものではなく、形に変えることは難しい。それを言葉にするには、言葉がなんと安っぽいものかと思ってしまうほどである。

しかしその恩は確実心に刻まれ、自分の明日からの人生の土台の糧となる。人生とはその恩返しの旅なのかもしれない。親に対しての、友人に対しての、恋人に対しての、自分に施してくれた赤の他人に対しての恩を返していく物語。本人に返す恩もあれば別の人間や団体に返すものなのかもしれない。だから人は人に優しくなるのかもしれない。その人生に苦難と恩恵があればあるほどに。

とにかくインドの始まりであるデリーの街は、リチャードの導きでインドという文化を知ることができた。もちろんその国の全てを知ることは住んでいても不可能。だがその片鱗や大枠を味わう事ができた。とにもかくにも短い旅の第一部が歓声と共に幕を開け、リチャードという名司会者が旅のシナリオにスパイスを与える脚本に修正を加えた。

インド vol.2

選ばれた役者はさらにこの演目に追加される。だがまだほんの序章。

ミーナはインドに住む日本人をまとめていた。異郷に導かれた日本人は誰を頼りにすればいいか分からず、雄大で有害なデリーの空気に馴染めずにいる。その道標となるアドバイスを求め多くの日本人が彼女を訪れる。

日本人会というチームがそこには作られている。日本人に関しての情報が集めれら、いかに生きるかという人間の本能と理性がそこには集まってくる。それをデリーという魔都市で生き抜くための戦略がそこでは練られる。運に恵まれた俺はリチャードにそこへ導かれた。

国家の経済力の指標として語られるGDP。国内総生産と呼ばれるそれは単に数字でしかなかった。インドが世界の経済の中心となるかもしれないと言われている現代。それはあくまでもGDPの上昇指数でしかなかった。多くのインド人は頭がよく、計算がよくできる。ゆえにインターネットやPCが発展した現代社会でその頭脳のニーズは高まった。もともと広大な土地に天然資源。多くの部族が集結した人口も申し分ない。しかもまさに若い世代の数が多い。高齢化社会の日本とは将来への期待値も違う。

しかし、これらはあくまでも机上の数字の話。現状はまだまだ発展途上。空港には観光客という餌に群がる飢えたハイエナが群がる。タクシードライバーたちにルールという概念はなく、料金はバラバラ。それでも目的地に無事着けばまだいい。結託したホテルへ連れていき別の旅行プランを組ませようと企んでくる。空港に着いた時からサバイバルは始まる。

嘘と欲望の渦巻く街。その中でうまく生きていくには情報と人脈が必要のようだ。その中で日本人会の存在は大きい。この国には廃止された、もしくは廃止されたと見せかけられた制度が残る。カーストは巨大なピラミッドであり定めである。生まれた時から人生のレールは敷かれている。日本のように敷かれているだけであれば本人次第でいつでも脱線し、新たな道や線路を作り出せるがこの国では自動運転の列車まで生まれながらにある。道から外れるには列車ごと捨てなければならない。

そしてここにこそ人の命を生きるという人生の感覚に違いがある。彼らはカーストや、敷かれたレール、自動運転の列車に対しての疑問があまり無い。というのもそこにカルマという概念がある。それは前世からの今世、今世からの来世、という思想の軸がある。つまり今世のこの身分やカーストはあくまでも今世のもの。来世ではまた別のカーストに、という思いから現世での人生の不遇に大きな違和感や疑問が退けられるように思考回路が形成されているようである。

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その中でどう生きるか。それがテーマの一つでもあるようだ。野球には野球の、サッカーにはサッカーのルールがあるように、インドでの社会にはインドのルールがある。これはもちろんどの国にもあるものだが、それが他の国に比べて極めて特異というだけなのかもしれない。

そんな社会の中インドのルールに理解を寄せその輪の中で生きるミーナを始めとする日本人達。生まれ育ち慣れ親しんだ日本社会という生活とは違う生活を選択し、日本人には厳しいインド在住を選ぶ。インドの社会において外国人というのはひとつの意味ではカースト外の扱いである。もちろん全員から無視されるわけではない。もちろん公式な見解としてはカーストは廃止されたわけでそんなわけではない。だが、未だに残る風習や慣習のなかではまだまだあり、結婚や職業においてのさまざまな問題が行く手を阻む時もあるようだ。

とにかく、首都デリーという街で活動としてはたった1日だったがそれでもインドという国を感じ、またインドに住む日本人達の感覚をわずかだが確実に共感した。

もうひとつの今回のインドの旅の大きな目的のひとつにヨガがあった。それもリチャードの導きで日本人インストラクターに出会う。インドで修行した彼女のレッスンは日本で受けるそれとはやはり一味も二味も違う。本質の部分に訴えかけるものがあった。日本でのヨガの多くはシェイプアップやダイエットもしくは健康法のひとつとしてという感覚を多く感じる。しかし深い精神観やカルマ、ヒンドゥー・仏教が広まった国として悟りを開くステップとしてのヨガという概念を感じた。

体と心。これを感じるためのヨガ。あくまでもダイエットなどは副産物。それよりも精神の奥や人間という存在の深淵へ潜るためのひとつとしてのヨガ。生きるということで生まれるカルマやストレスを解き放ち人間として生まれた生を全うする。そういった本質に迫るものがある気がする。

デリーを後にし、インドでのもうひとつの目的にリシケシへと帆を向ける。第三幕はヨガの聖地と言われ、世界中からやインド内から多くのヨギーが集まるそこへ。そこには自然と共に生きる人間がいた。朝日と共に目覚め闇と共に眠る。そんな生活になかに溶け込み、日本の社会との違いをまたまざまざと見せつけられた。

インド vol.3

デリーからリシケシへ向かう。その道中にももちろん始まりからストーリーは平凡には進んでくれない。

駅からバスターミナルへ向かうたった600mほどの距離。その間を、自転車で客を乗せて走るリキシャというものに乗った。しかし、なぜか運転手はバスターミナルとは違う方向へ進む。「方向が違う」と言うが、「お前の乗るバスはこっちで一回チケットを買わなければならない」と言い張る。「おかしいから降りる」と降りようとするが、「こっちであってるんだもうすこしで着く」と言って回り出した車輪を止めようとはしない。「俺は知ってるんだ、バス停はあっちでこの方向にバス停は無い」と再び降りようとするが、「俺を信じてくれ、こっちにバスのチケット売り場があるんだ」と。

たどり着くとそこにやはりバス停はなくあるのはいかにも怪しいツアーチケット販売事務所。看板にはバスチケット、飛行機チケット、タクシー手配などの文字が書かれている。中はデスクと椅子があるだけのインドにしては小綺麗な狭いオフィス。このバスに乗りたいと時間と目的地とバスの車種の書いたメモを見せると「それだと1000ルピーだ」と言われる。インターネット調べた公式ページの料金は600ルピー程。時刻表や案内のカタログなどなくただただ口頭で言われるだけ。こうなるとわかっていたのだがなぜか途中からこの光景を味わいたいと思い始めていた自分がいた。これがインドなのだ、デリーなのだと言わんばかりの一連の流れ。その事務所の前には俺を乗せた運転手のような男達がリキシャやトゥクトゥクと共にタムロする。全員が詐欺師に見える。この街は嘘でできているんではないかとも思える。

再びバスターミナルへ向かい、バス停で直接チケットを買う。むしろチケットは買う必要はなく乗ってから払っても大丈夫だと乗ってからわかる。しかし、乗りたかった少しグレードの高いバスは入ってしまった。仕方なくローカルバスでリシケシへ。7時間かかると聞き不安になるがそれに乗るしかない。

しかし、人生とはまさに巡り合わせだと思わされる。横に乗り合わせたインド人の男がまた俺にインドを味わわせてくれた。今回も嘘ばかりかと思ったが今度は助けてくれた。捨てるインド人あれば拾うインド人あり。バスの添乗員にリシケシまでのバス代を払うがお釣りはくれない。ヒンドゥー語で説明されるがわかるはずもなくお釣りの値段が書いた紙を渡される。横の男が「本当はその場でお釣りをもらえるまで要求しなければいけないが、今回はしっかり払ってもらえるように俺が言っておいたから降りる時にしっかりまたお釣りをもらうんだぞ」と間を取り持って英語で説明してくれた。お釣りは50ルピーだけだった、それでもこの国の人たちにとってはあれば助かる。

マヌージと名乗るその男は3時間ぐらい走ったところへ向かっていた。その3時間でインドでのあれこれを教えて貰った。マヌージは男前であった。ジョニーデップそのものかと見間違うほど似ていた。なぜか俺の旅に興味を持ち友達や親戚とコンタクトを取り俺の旅の案内をそいつにしてもらえるように頼んでくれている。俺はまたインド人の嘘と騙しの螺旋に入り込んだかと思った。結局案内人に会うことは無くそれが嘘だったのかは結論は出なかったが少なくとも一人のインド人として男として俺に親切にしてくれたと感じた。

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家族のこと、カーストのこと、インド人のこと、観光客を騙すデリーの人たちのことなどを、荒れたオフロードを走るバスで共に体を揺らしながら話した。日本はどんな国なのかも話し、お互いの生まれ育った国の間違い探しを二人でしていた。バスの休憩所ではコーヒーとスナックとタバコをおごってくれた。ホストとしてゲストをおもてなすする。その心はインドにもやはりあるんだと嬉しく思った。

そのまま俺の目的地まで一緒に行ってやりたいが嫁と子供が寂しがるといけないのですまないがここで降りるよ、と名残惜しかったが別れた。マヌージとの出会いに感謝しながら無事目的地リシケシにたどり着く。ひとつの目的地に着くだけで一安心。やはり異国の地、特にインドでのひとつひとつは体験として多くのものがあると感じた。

バスターミナルからそのメインのところまでまたトゥクトゥクに乗らなければならない。いうまでも無くバスターミナルに群がるハイエナが押し寄せてくる。また値段交渉。本当なのか嘘なのかわからない。とりあえず一旦断ると値段を下げてくる。日本人の営業マンは一度インドで営業をしてみれば最高の実習になるんではないかとも思う。

聖気に満ち溢れる山に囲まれ、ガンジス川の上流が流れるリシケシ。そのガンジス川にかかる橋ラクシュマン・ジュラという橋のふもとに行けばいいとナヌージが教えてくれた。そこでゲストハウスを見つけなんとか寝床にありつけた。なんとそのゲストハウスのオーナー自身がヨガの講師だった。明日は念願のヨガの聖地でのヨガレッスン。嘘ともてなしの両面が第三幕では入り乱れた。