電子雲(確率雲)と波動

原爆、原子力発電、反分子、CERN、HAARP、などエネルギーについて躍進的な研究成果が得られた。反面、それに伴う脅威も爆発的に増えた。

原子力が進むにつれ見えてきた「量子」。その量子を研究した量子力学の話はこちら

 

 

 

 

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<写真引用、https://www.osaka-c.ed.jp/blog/toyonaka/toyo1/2012/08/26-016009.html>

 

この写真のように、今まで(左)は電子が原子核の周りを規則正く廻って一つの原子を構成していると考えられてきた。

でも量子力学と言われる考え方によって、上の図の右側の考え方が生まれてきた。

タイトルにもある通り、原子核のまわりを飛んでる電子は、雲みたいに一箇所におらず(超速で動き続けているが、実体は1つ)どこにいるか分からない。しかも規則性はなく、どこにいるかは全て確率でしかないと。「りんご」のまわりを飛ぶハエのようなイメージ。そこにハエがいるのは分かっているがどこにいるかはその時にならなければ分からない。

そのような考え方で存在するものが人間界にほぼ無いと言ってもいいので、人間には理解しにくい。

 

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ではその目の前ハエが飛んでいる「りんご」。これが、今ここにあるのは、「りんご」を形成している原子がくっついて分子になって、りんご分子(あえて分かり易く勝手に名付けた)がいっぱい集まって、今目の前にある。というのが今までの科学の理論。

しかし、この量子力学的にいうと、たまたまここに「りんご」がある。なぜなら、その構成している原子の電子は確率によって場所を決めるからである。「そこにりんご」があると人間が決めているという結論に至ってしまう。

 

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ただ、その確率は天気予報よりも当たる。原子核・電子は電気的つながりをしてるため、離れすぎる事はあまりない。が、100パーセント無いわけではない。原子核がここにあっても電子は宇宙の彼方にあっても理論上おかしくない。という事を言ってしまうのが量子力学。

 

観測する、つまり人間が見るとそこに「りんご」はある。しかし、「りんご」から目をそらすとそこに「りんご」があるかないかは確率の話であるかもしれないしないかもしれない状態だと言う。

 

ひとつ、これでBESOなりの仮定を立てた。

 

「これこそが波動やオーラの正体ではないか?」

 

目には決して見えない量子。量子は観測するとどこにいるか分かる。というか決められる。観測するとはつまり人間が意識するという事。つまり何者かの意識が働くと量子は姿を決める。

 

では人間が無意識になるとどうなるか?一旦量子を離れて考える。

 

普段生活している時、人間はもちろん意識的に動いている。歩く、食べる、しゃべる、文字を書く・・・、そして1日の終わりに眠る。眠ると無意識になる。夢を見るかどうかは寝るまで分からず、見たとしても何を見るかは見るまで分からない。

 

一気に量子の考え方に近づいてきた。さらにこのブログでも取り上げてきた、脳波。普段生活している時はベータ波が多く、リラックスするとアルファ波が出る。寝るか寝ないかの時はシータ波になり、熟睡するとデルタ波に変わり完全に無意識になる。さらに超能力を生み出すガンマ波もある。

察しのいい皆様はお気づきだろう。人間が意識してるベータ・アルファ波が脳で出ている状態では量子はいつも通りの動きをする。しかし、シータ・デルタ・ガンマ波が出ている間は人間の予想を超えた動きをしている。

 

修行僧たちが目指す究極の状態、無我の境地・悟り・涅槃。この状態に生きながらに、たどり着けばこれらが見えて来る。無意識の状態でいながら意識的に動く。死にながら生きる。こういった状況になれば、量子力学で言う、観測していない時の量子の存在を意識的に見る事ができる。

 

オーラや気は誰でも出ていると言われる。無意識に。これを意識的に操作しようとするレイキや気功。そこには矛盾が生じ、量子はいつも通りの動きをしてしまう。

 

しかし、訓練し修行することによって意識的に無意識に操作する方法を会得する。

 

この状態や方法を量子力学者とヒーラー達が一緒に取り組めば、世紀の大発見が生まれるのではないかと期待する。

量子力学と人間のこころ

難しそうな言葉。イメージ通り相当難しい話。研究している人たちのおかげである程度は解明され、現代のさまざまな物の発展に大きく貢献した。

だが、まだ正体を掴みきれて無いというツワモノ。その理由は、量子力学は今までのような定理通り動いてくれない確率の話が軸になっているかららしい。

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はっきり言って理解不能と言えるぐらい難しい話。なので、簡単に説明してくれている

【誰でも分かる】「量子力学」ってなんなの? 詳しい人に聞いてきた【入門編】を、知りたい人は見て欲しい。

「素粒子」とは、分ける事の出来無い最小の単位という意味で、今までは「原子」が素粒子とされてきた。「原子」の研究が進むと、「原子」は「陽子」と「中性子」に分けられその周りを「電子」が回っていると分かった。

「陽子」や「中性子」単体では物を構成し無いので、物質としてはやはり「原子」が素粒子という事になる。つまり鉄を構成する最小の単位は鉄原子で、鉄陽子や鉄中性子は存在し無い。

これら「陽子」「中性子」「電子」などを「量子」と呼び(他にも量子はある)、現代科学では予測不可能な動きをするため、研究が思うように進まないのが現状。

この「量子」の研究が進むとどうなるか予想されるのは、いよいよSF映画の時代が本当にくると言われている。

レーザー、テレポート、宇宙旅行、ヒーリングポッド・・・

なぜそんな、フィクションの世界が実現するかという理由に量子の特徴の一つが挙げられる。

それが、可能性の重ね合わせ多世界解釈と言われている。

その有名な実験がシュレディンガーの猫。(実験に動物を使っていいのかという問題は、今回は置いておきます。)

量子は人間が観測するときと観測しない時に違う動きを見せる。じゃー観測していない時はどこにいてどんな状態にあるんだ?というのが量子最大の謎である。

形あるもの(マクロと呼ぶ)はいつ見てもそこにある。人間が観測していようがしていまいが。だが、究極に小さい量子(ミクロと呼ぶ)はそんな人間の気はつゆ知らず、どれだけ研究し考え抜いてもどこにいるか分からないとしか言えないのである。

そして研究者たちが出した答えは、

「マクロな物をすり抜けてしまうミクロな量子。観測していない時はBにいる可能性もあるし、Cにいる可能性もある。しかし、観測するとAにいる。つまりそれは、観測する者が決めているのだ!観測する者とは人間。つまり、人間の心や意識が量子の場所を決めているのだ!」

と、パソコンの父であるフォン・ノイマンは言い放った。

導き出された答えは一言で、「全てはその人が決めている」

あまりにも現代科学に染まりすぎていた現代の科学者に「量子」は難しすぎた。

量子力学にとりつかれたシュレディンガーはその矛盾に物理学者を辞めるほどに。

子供に説明すると「そうなんだ、分かった!!」と納得してくれるが、大人に言うと「そんな勝手な事があってたまるものか」と反発する。その差は、知識だったり常識だったりと人間が勝手に決めたものではないだろうか?

幽霊がいるかいないか。いる可能性はあるし、いない可能性もある。まさしく量子力学的な答え。宇宙人もそう、レイキもそう、魔法もそう、錬金術もそう。なんだってあるかもしれないし、ないかもしれない。

全てがパラレルワールドで同時に起きている可能性があり、否定する根拠が何一つ無い。

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いよいよ現代科学が一つ大きな山を越える時代が来たのかもしれない。

科学神話が崩れる。

医療神話、経済神話など、西暦2016年の現在、あらゆる常識や理論が一旦崩壊する時代が間もなくやってくる。

しかしそれはなんら驚くことでも、慌てることでもない。

今までの人間の歩みがそうだったから。

地動説で常識がくつがえった。交流式で電気が生まれ変わった。

時代が変わればまたそれが常識になり、また時代が変われば過去の遺物と化す。

それを拒絶するのもまた人間のこころである。

科学者でもなければ、物理学者でもないが、これだけは信じることができる。

「人間のこころが物事を決める。」

是非、量子力学の研究者には解明を進めてほしいし実用化に向けてあらゆることが現実になってほしい。

その反面、科学の暴走のような人間のこころが勝手に決め付けるエゴはこれ以上生み出さないでほしいとも思う。

大人の社会科 夜お茶会

「大人の社会科」毎週木曜日開催が決定しました!

場所 : 天満橋MAYUネイル
時間 : 19:00~20:30

費用 : 1000円

(コーヒー・お菓子付き、飲みたい方はお酒持参可)

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フリースクール

FREE、自由の意味とは?

あくまでも人間が、イメージや概念を言葉にしたもの。リンゴや太陽みたいな物の名前の言葉なら誰でも同じ物を思い浮かべるが、イメージや概念は人それぞれ思い浮かべる物が違う。

それでもあえて意味を言葉にすると、「したい事をする。」というのが、自由では無いだろうか?

最近のテーマである憲法にも多くの自由が保障されている。

表現の自由・職業選択の自由・信教の自由・経済活動の自由・・・

「自由」という言葉が出てくる時にセットで出てくる言葉。「義務」「責任」

 

憲法で言うところの、

納税の義務・勤労の義務・教育を受けさせる義務、など

 

法律では責任に対して、

公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする

というものがある。

 

つまり、原則したい事をしていいんだけど、国民としての義務と、周りの迷惑にならないように責任はとってね!と、というのが今の日本の自由という事になりそうだ。

 

で、今回はその教育の部分。最近ではタイトルの「フリースクール」また海外では「ホームスクール」というものが増えてきている。

 

「フリースクール」は簡単に言うと、子供がしたい・学びたい事を自ら学ぶ為にある学校。「ホームスクール」は、文字通り、自分の家に先生を呼んだり、親が勉強を教えるという教育のあり方。

 

不登校・ひきこもりという言葉がどこにでもある世の中。ひと昔前を考えて見ると、学びを受ける・学校に行けるというのは裕福な上流階級の子供だけの特権のような機会だった。

 

それが、国が豊かになり、皆が読み書きできるように、計算ができるように、歴史を知れるように、いろいろな技能を身につけられるように、政府が教育に力を入れてくれている。

 

今でも、世界の多くの国では子供を学校に行かせられない親がたくさんいる。もちろん、日本にもいる。経済的問題、両親を亡くし里親に預けられた子供、事情は様々なようで、学校に行きたくても行けない。

 

ちなみに、BESOの父親も高校に行きたかったが経済的理由で行けなかった。15歳にして働くしか道がなく、大阪に出てきた。これは父親が珍しいわけではなく、周りの若者も皆学校に行けたわけではないと言う。戦後すぐの日本という事もあったかもしれないが、1世代違うだけでこれだけ違う。

 

そしてこれからの学校を考えた時に「フリースクール」に道を見出したい。したい事を学ばせてくれる。子供の成長力というのは、大人には計り知れない。その成長力を最大限に発揮するのはしたい事をする時なのだ。しなければならない事をする時にその力は無い。

 

そしてその中で、なんでもしたい事をすればいい。というのでは無く、周りでしたい事をしている友達や周りの人と触れ合う。すると自然に話し合いの方法や、相手の自由を奪わない感覚が身につく。そこには「情」という概念が生まれる。友情や愛情、あいてへの思いやり。それがなければ自由では無く、責任の取れない身勝手。その違いを周りの人達と共に学べるのがフリースクール。という一つの学校としての形。

 

義務教育という有難い制度。基本となる授業料と教科書は国が負担してくれる。国語・算数・理科・社会・体育・技術・家庭科・音楽・英語をタダで教えてくれる。その中で、団体行動のルールや周りとの協調性も身につける。

 

昔の子供の時から親の仕事を手伝っていた時代からは考えられない世の中かもしれない。

 

しかし、逆にこの「義務」という言葉が悪循環を生んでいる。

 

本来は、子供がその勉強をしたいから学ぶのが本来の姿だ、と。しかし、頭ごなしに6時間ビッシリと決められたしなければならない授業は次第にしたくないのにやらなけらばらない嫌いな授業に変わっていく。しかも、30人40人単位のクラスに1人の先生。一人一人の進度にズレが出るのは当たり前。しかし、全体の平均かもしくは先に進んでいる子に授業の進度は進む。まるで、ついてこれない君が悪い。と言わんばかりに。

 

ACミランで活躍する本田圭佑。中学生年代のサッカー選手に「夢を夢で終わらせない為には、必ず叶えるという強い意志が大切。」と語る。おそらくほとんどの成功者が同じとこを言うだろう。

 

夢とは自分がなりたい事やしたい事。授業に遅れている生徒の夢が、その授業を理解し、先生のスピードについていく事。とは到底思えない。本人にしてみれば好きでもない学校の授業なんて、遅れたって何も構いはしない。構うのは周りの人たちで、親や教師や親戚。こんなままじゃいい高校に行けないよ!と

 

行けなくても構わないではないか。本当に大切な事が学べていれば大丈夫だと思う。本当に大切な事とは、したいと思う事をしっかりとできる事、それを発言や行動に移せる事が大切なんではないかと思う。

 

今の世の中の風潮として、しなければならない事を出来る人は多いが、したい事を出来る人は圧倒的に少ない。皆、口を揃えて「でも、それには◯◯が、だって⬜︎⬜︎が」その障害をどうにかする事を学ぶのが「教育」なのではないかと思う。

 

数学の問題を解く。この障害の越え方を公式や定理で解く。歴史を学ぶ事で、今までの生きてきた人達はどのようにこういった障害を越えてきたのかを教わる。自然界ではどのような摂理で成り立っているかと学ぶ事でその障害を超えるヒントを得る。

 

生きている限り障害が現れる。自然災害・人間関係・経済活動、そもそも生きていく為の食べ物に困る事も出てくるかもしれない。その様々な障害を超えられるようになるのが「勉強」である、越えられるように育ててあげるのが「教育」なのではないかと思う。

 

ここ最近、そういった教育に関しての新たな流れを感じる。決して他人事ではなく。自分の子供やこれからの日本を背負っていく若い世代が今までの日本を支えていかなければならない。しかしそこには、今までの日本国民が生み出してしまった多くの「業」という障害が立ちはだかってしまう。環境問題・放射能・年金・外国人所有地・米軍基地・・・。これらを上手く解消していかなければならない。しなければならないと思っていては多分できないと思う。したいと思える人だけが出来るのでは無いかと思う。

28年間と水瓶座

自分の今までを改めて振り返る。特に最近はいろんな動きや流れが大きく変わっている。それを感じるし、それに合わせて自分の感覚も大きく変わってきた。特にこの2016年は重要な年になると強く感じる。

BESOはどこにでもいる普通の日本人。地元大阪で育ち、恵まれた事に両親も家族も健康に一緒に暮らし学校に通った。小学校・中学校・高校・大学。多くの日本人が進むであろう道を歩んできた。しかし、ふと心のどこかにあった「日本にないものを見てみたい」という本当に単純な子供心の好奇心のような動機で大学卒業後アメリカに留学した。そしてここでも快く送り出してくれた両親に感謝。

カリフォルニア、そしてニューヨーク。そこで作家BESOは誕生した。ステータスや能力として何も持たない23歳の青年はアメリカの生活でやはりショックを受けた。日本にずっと住んでいては体験できない事や聞けない話。その一つ一つが和田慎司に大きな影響を与え、何かがおかしい事に気付き始める。

そのおかしさを自分で改めて考えてみた。そこで出てきたおかしさは多くの項目からなる「生きる」という問題だった。

外人の「生き方」を目の当たりにして「生きる」という事を改めて考え直した。

自分のしたい事をして何が悪いんだ?という文化や価値観で生きる人が多い文化。家族愛を大切にし、家族と共に時間を過ごす家庭。政治に対しての向き合い方。勉強・知識に対しての捉え方の違い。仕事をするという事の意味やプロという意識。こういったものが外人にはあった。

あげればキリがなく、いわば一旦自分の中で柱にしてきた考え方が一度崩壊した。23歳で。これが早かったのか遅かったのかは28になった今でもわからない。ただ一つ言えるのはその時から、何事もしっかり自分で考える、自分で感じるという事が根付いた。

そんな生活の中で留学生活をまとめていた「おもちゃブログ」の存在が大きい。そこに書いていた何の変哲もないブログに知らない読者から「いつも見ています」と暖かい声をもらった。5年前と言えどもすでにアメブロの機能も充実してて発信しているユーザー数も半端ない数がいたはず。そんな中見つけてコメントをくれた誰か。そのコメントはたった一人のコメント。でもBESOにとっては大きな1つとなった。

その時に、俺がこれから生きて行く道はこういう風に物を書いて人に伝えていく事を俺の人生にしたいと強く思うようになった。特に日本人に向けて。このままでは日本がやばいぞと!外国に日本が乗っ取られるぞと!それを特に若い世代に伝えるべく言葉にして、発信していこうと。

そして帰国。

作家となるための日々が始まる。が、そう簡単に本など書けるわけなく七転八倒の日々。遊びに、目の前の楽さに誘惑されダラける時も多くあった。それでもなんとかかんとか電子書籍を刊行。うまくいかない事もあったが、なんとか2作目の電子書籍も刊行。しかし、うまくいかない。

もちろん自分の力不足がその不甲斐ない結果に顕著に現れた。活動量が少ないのも問題、リスクを背負わずに無料で始める電子書籍への逃げもあった。

そしてその1年半後小説「THE COIN」を刊行。初の文庫本として製作し、手売りで売り歩く日々が始まった。ありがたい事に繋がりのある人は買ってくれた。でもあくまでも身内の域を超えない。やはりそこから大きく飛び出すにはもっともっと大きな場所に出て行く、大きなマーケットに出ていかなければならない。そこで一旦頭を打っていた段階が去年末あたり。

小説を書く為にいろんな事に興味を持ち、いろんな種類の面白い話をかき集めた。それこそ、リアルな経済の話からオカルトのUFOやお化けの話まで。その中でおもしろいと思ったものが今でも日常の自分に備わっている。

氣、ヒーリング、オーガニック、宇宙、DNA、地球のDNA、フリーエナジー、星座、波動、占星術、歴史・・・。

それらのバラバラなジャンルの話が一つの答えを出すような感覚がある。それがこの2016という年が新しく生まれ変わりの年であるという事。

大きな話でいうと、世界情勢が変わる、社会構造が変わる。もちろん世の中が動いている限り変わらない時間なんて無い。その変わり方が大きな一つの流れとしていろんな事が連動するという意味。

その連動した一つの流れというのが、「統一と独立」という流れ。

対立していたそれぞれが統一され、支配構造に囚われていたものが独立するという流れ。

結果論になるが、最近の出来事でいうと、UKがEUから独立するという出来事。そして三宅洋平や山本太郎のような人が多く出てきて支配から抜け出そうという流れになっている。

対立している宗教も次元の低い争いを無くし、宗教という考え方自体がなくなるとも言われている。創価学会の学会員が勇気を出して学会批判をした。まさしく統一と独立の象徴のような出来事。

身近なところで言うと、会社を辞めて自分で独立した人が周りに多い。整骨院を開業したり、飲食店をオープンさせたり、会社を辞めて日本一周や世界一周の旅に出たり。もちろん今までもいたし、昔からいる人の行動。でもそれが今になって圧倒的に増えてきているという事。

そしてあまり聞く耳を持たない人もいると思うが、スピリチュアルな観点からも2000年頃から大きく変わるタイミングと言われている。メインの星座が、キリスト教を生んだ魚座から水瓶座に変わる。水瓶座に変わると言われていた事が2000年以降出始めている。それが2016年に顕著に出ていると言われている。※←この辺はこのページを参考に アクエリアスの時代

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そして、自分自身も今年に入って嫌というほどぞろ目のエンジェルナンバーを見たり、鞍馬にウエサク祭りに行ったりと明らかに始まりの年という流れを体に感じている。

ついこないだの6月20日の夏至に手放したいものを手放し、身軽になってこの夏を以降を過ごすと。しょうもないプライドや意地を捨て、要るものだけと楽しく愛のある生活を送れるものだけを携えていこうと。

というのが最近の流れ。

長くなってしまったけど、これからもっともっと配信して社会がどう変わっていくのか、どうアクエリアス(水瓶座)な時代になっていくか(ちなみにBESOはたまたま水瓶座)も見守っていきたいと思う。

2016参議院選挙

自分らしくあれる社会。このフレーズを高々と掲げ2016年参議院選挙に立候補した三宅洋平。彼の想いに、行動に、バイブスに感化され動いた自分。動かされた自分。

人の言葉や行動に影響され動いた自分は結局のところ流されているのではないか?と指摘されてもおかしくないかもしれない。それに反論するわけではなく踏まえた上でBESOの28年間の自分らしさを振り返ってみる。

その話はちょと長くなるから別記事で笑
28年間と水瓶座

自分らしくとはなんだろうか?では今はどう自分らしくあれない社会なんだろうか?

みんなと同じようなスーツを着て、ヒゲを剃り、似たような髪型をする。もちろんそれが自分が好きでしたいスタイルなら構わない。フォーマルなスタイルが好きな人がいてもちろん有りだ。だが、休みの日は全然違う格好で遊びに行く。では、本当の自分はそっちじゃないんだろうか?その格好で仕事ができるのが自分らしくなんじゃないだろうか?

TPOも大事で、何もスーツがダメ、ヒゲないのがダメじゃなく、それが誰かにやれと言われているからやっているんではないかという問題。こういった問題も含めて今回の選挙は非常に重要という話。全ての選挙がもちろん重要やけどもこの2016年の選挙が特に重要な位置にある。

グローバリズムが進みいろんな国とのやりとりがつながった。100年前から考えられないぐらい他国とのつながりが増えた。貿易、異文化コミュニケーション、経済・・・。あらゆる面で自分の国だけ、自分の生活だけで考えていいだけでは無くなった。

そんな中、今の日本の状況を考えると非常に危機的な状況にある。絶望の淵にいるとすら言う人も現れている。何がそんなにも危機的状況なのだろうか?

1番危機なのは、日本がもしくは日本人の多くが危機にいるという事を理解していない、感じていないという事が一番の危機だと。

こう並べると絶望だという事がわかるだろうか?

・福島の原発事故による放射能汚染はチェルノブイリ以上にも関わらず、それに対する対処はそれの半分以下。もちろんメディアはそれを報道しない。
・日本の国家の借金は1041兆円。国家としての収支はプラスにも関わらず赤字が増え続けている。にも関わらず、増税しようとし、集められた年金は金融商品に回され闇の儲けに消える。政治家の賄賂や横領は後を絶たない。
・経済神話がいつまでも信じられ、バブル崩壊を経験した人たちがまだ生きているにも関わらずまだ株や金融商品や不動産の高騰が実際に起きている。
・日本の土地を、田舎も都心も中国人や韓国人などの外国人が所有し自分の国かのように生活している。(人種差別的な意味よりモラルの問題)
・住む土地だけでなく四国などの山も外国人が所有し、そこで取れる地下水や飲み水も海外産のものとなっていてそれを使用するには海外にお金を払うシステムになっている。
・スーパーやコンビニに並んでいる食べ物がどれだけ農薬にまみれ、体に悪影響を与えるか一切考えない。
・コンビニのフランチャイズがどういうシステムで、何人のフランチャイズオーナーが年間に自殺や失踪しているかも知らないし、気にしない。
・着ている服の染料がどういうもので、どれだけ体に経皮毒として影響しているか一切考えない。
・マクドナルドやスターバックスがどういう経営理念で世界中に存在しているか一切考えない。
・未だにペットショップで大勢のペットが商品として売られている。何千万という犬や猫が毎年殺処分されているにも関わらずに。
・テレビで流れている内容が全て本当だと信じている。全てじゃないにしろ嘘だとも思いもしない。
・義務教育で教えて貰った内容が嘘だとは一切疑わない。
・病気は病院で治すものだと思っている。

細かく言い出すと終わらないので、一旦ここで切り上げる。

日々の生活に忙しく、お金を稼ぐことに必死な人たちは今挙げた事を考えないかもしれない。考えなくてもいいのかもしれない。

でも、このままこの参議院選挙が進めば、この危機的状況から崩壊に向かう。

憲法が改正(悪)され個人的人権はなくなり、戦争をしてもいい国になってしまう。むしろ戦争をする国になる。独裁政治を防ぐための条文が消され安倍政権の独裁が合法になってしまう。アメリカ・中国・韓国の事実上の支配下となりあらゆる面で日本人が不利になる。

これは目に見えた問題で、これをどうにかしなければいけない。

BESOは今までこういった問題にどこか目を背けていた。自分には何もできない、変わるわけのない社会の中で自分がどう生きるかを考えて自分と自分の周りの人が幸せになれるような事をここ最近考えてきた。

そして三宅洋平の出現。彼も3年前の参議院選挙出馬以来そういった社会活動は山本太郎一人に押し付けていたとひどく反省した。そして彼と二人三脚でこの危機的状況を乗り切るために動き始めた。

一人、また一人とその熱意を伝播させ今回の選挙への本気さを広めた。その経過を多くの人がフェイスブックやインスタであげている。

幸運にも7月10日まであと8日間ある。まだまだ遅くはない。極論を言えば、選挙も票操作されていて本当の数というのは出ないかもしれない。

だが、その先にある、これからの日本人の生きかたに大きな問題提起は与えたはず。このままではよくないと思っていたみんなに具体的にどうするか道を与えてくれた。

俺と山本太郎に票を入れろと。そして自分らしくあれる社会を一緒に作っていこうと。

自分らしい言葉で、自分らしい髪型で、自分らしいヒゲで、自分らしい伝えかたで。

残り時間は少ないが、自分の頭で考えて、自分のハートで感じて投票にいこう。選挙の事が全く分からなかったら信頼できる分かる友達に聞こう。恥ずかしいと言ってる場合では無いという事に気付こう。選挙のシステム、誰が出ているのか、政党って何?っていう質問でもいい。何も分から無いまま7月10日が過ぎてしまっては全てが終わってしまう可能性がある。

政治の話をするアーティストはダサい。ではなく、政治の話が出来ないアーティストがダサい。と三宅洋平は言う。政治の話をする自分がダサいのではなく、政治の話が出来ない自分がダサい。人とブツかることもある。バカにされることもある。しかしそうやって議論がうまれて社会がよくなっていく。議論がなければ何も始まらず政治家がしたいようにするだけ。だから横領もしたい放題。

政治家を冷ややかな目で見るから政治がどんどんおかしくなっていく。今の政治がおかしい理由は全部政治家の性じゃない。半分は自分たちがそれを見過ごしてきたせい。

Get up, stand up. Stand up for your right!!
さぁ、立ち上がろう。自分に権利の為に戦おう!自分で考えて「日本人のこころ」を大切にしよう。そして世界が、地球が、平和で愛の溢れる星になるために生きていこう。

Gary Yourofsky ゲイリー・ヨーロフスキー

ゲイリー・ヨーロフスキー

13回逮捕され、5カ国から追放された凶悪国際テロリスト。

1997年カナダのミンク(イタチ科のファーなどの皮製品のために飼育されている)の毛皮農場から1000匹を超えるミンクを脱走させようとし、半数を逃したところであえなく逮捕。

強姦、殺人、強盗などの罪で収容されている人々がいるカナダ最高レベルのセキュリティを誇る刑務所に投獄される。

収容から間もなく、所内の談話室のテレビでは「『国際テロリスト』ゲイリー・ヨーロフスキー逮捕」の報道。その刑務所の囚人の中のボスはその映像を見ていた。ふと後ろを振り返るとまさにその『国際テロリスト』がそこに座っていた。

ボスは彼を二度見し、思わず問いかけた。

「お前が国際テロリストか?」

「いかにも」

「ミンクを逃してここにパクられたのか?」

「いかにも」

「ところでミンクってなんだ?」

「フェレットみたいなげっ歯類の動物だ。」

「そのミンク何匹か逃しただけで俺たちと同じ刑務所に入れられているのか?」

「正確に言うと違う。逃した罪よりもミンクファームに210万ドルの損害を与えた罪で(殺人や強盗などで捕まっている君達と同じように)ここにいる。」

どうやら今の世の中は殺人や強盗などと経済活動の妨害は同様の扱いらしい。むしろそれよりもひどい扱いも受ける場合もある。

収容後保釈を受けるために弁護士が申し立てる。しかしその申し立ては断られる。ミンク脱走犯の犯人がアメリカのミシガンに帰ってしまう恐れがあるため保釈できないと考えたようだ。その審査は10日もかかった。

その保釈を断った女性裁判長が3週間前にミシガン出身の性犯罪者には1000ドルの保釈金を与えていることを弁護士は知った。その事実を10日目の法廷で女性裁判長に問い詰めると、

「その話は今回の件と関係ないでしょ?関係のない話はしないで!」

弁護士は苦しみながら反撃の一手を考えていた。

「裁判長、いやはや関係ありですよ。私の依頼人(ゲイリー)は残酷なことをやめさせようとしました。たとえ刑務所に入れられてもいい覚悟で、無情にも殺される動物たちの為にメッセージを宣言しようとしました。
裁判長は先日一人の女性を襲った性犯罪者には保釈金を与えたのに、私の依頼人に与えず10日間も審理がないのはおかしくないですか?」

痛いところを突かれ、どうしようにもなかった裁判長はしぶしぶ、

「では、保釈金は1万ドルとします」

と言い放った。

ーーー

今の世の中に一石を投じその波紋の中心にいる人物。もちろん様々な分野で彼のように自分の道徳や倫理に従って活動している。

何を信じ、何を自分の軸として生きるかは人それぞれ。

経済活動が悪でもなく、動物愛護が善という話では無い。その微妙なニュアンスや主義主張をこの動画を見てもらえれば伝わるのではないだろうか?(長いので、質疑応答だけでも伝わるかもしれない)

保身を求めず、見返りを求めず、自分の信念に向かって突き進む。傲慢と利他の関係性ジレンマと戦う彼の生き様から少なくとも何か考えさせられる事はあるのではないだろうか?

進撃の巨人 VS ワンピース Vol.3 〜俯瞰〜

Vol.2の続き

二つの漫画でたどり着く真実がアカシックレコードレコードという考察をネット上などで見る。シャーマンキングの終わりにもそういう節がある。ブリーチもそうと言えそう。ナルトもそう。ややもするとハンターハンターもそう。BESOも同じイメージを抱いている。

人々全員が全ての歴史を知り真実を知る。自由にピラミッドの無い世界を生きる。天は人の上に人を作らず横一列に手をつなぎ、輪を作る社会を築く事を目的とするのがこれらの漫画の思想の大きなポイントに感じる。

Vol.3で言いたい事は、一歩引いた目線からも作品を見てほしい。という事。漫画でも映画でも。

考え方として、なぜその作品が流行っているのか、その作品を見る事によって人々がどう思うのかという事を製作した側、もしくは製作させている側が考えているかという事。

そこでBESOが感じるのが、大きな事から目を逸らさせて、もっと小さな物に固執してほしいというメッセージが雑誌や映画の編集社を通して黒幕から臭っている。という事。

わざわざ記事に書きたいと思う程今まであげた作品に尊敬と感激がある。それだけではなく、さらにそこから編集社・製作社の目線で考えたいと思う。

様々な種類の映像や音声が身近になった現代。これを使わない手は無い。と、言わんばかりに多くの会社やビジネスマンがこれでもかという程、ソーシャルメディなどを媒体に映像や作品を発信している。もともとはその中枢、テレビ・新聞・雑誌・映画を握っている人々が昔から考えていた事。それが一人一人ができるようになった時代。多くの人々は自分の利益のためにそれを駆使しようとしている。セミナーの告知、商品の宣伝、活動の広報。もちろん自由の為に動いている人もいるが比率は少ないのも事実。

その究極とも言えることは人々の思想の掌握では無いと思う。全員に同じ思想を持ってほしい。そうすれば支配というものがいとも簡単になる。

世界でも日本でも様々な事件が起きている。人々が科学技術の進化を遂げて実現可能なことが増えた結果事件も多様性を広げている。銃が生まれれば今まで無かった銃殺事件が生まれる。原子力が解明されれば原発事故や原爆事件が起きる。

そうなればなるほど情報統制というのが課題になる。残虐な事件や不都合など隠さなければなら無いことがあまりにも増えすぎる。新技術の開発に非人道的な開発や研究は付き物になってしまっている。そうなった時に思想を掌握できていると情報統制はいとも簡単になる。

そして今回のテーマである漫画・雑誌・映画を一歩引いた目線で考えて見る。

これらによって人々がこう思ってほしい、こう考えてほしいという内容が少なからずあると思えてなら無い。

最近の世界の注目の一つは宇宙開発。映画は顕著にそれが現れている。BESOもSF映画ファンになりつつ作品を楽しんでいる。漫画の傾向としてはニューエイジ思想と言われるこれらの陰謀論や支配論。が、そこには大きな落とし穴が前にある気がしてならない。

大きな流れとして東洋の時代に差し掛かっていると思う。その時代への逆行や扇動があるのではないかと。最近の日本人はテレビの見過ぎやスマホのゲームし過ぎが過ぎると感じている。

あまりにも最近同じような物が溢れ過ぎている気がする。人には人それぞれ役割があると思う。会社でも社会でも。しかし、最近は同じ物を見て、同じ服を着て、同じ思想をし始めている気がする。その元にはこういった流行りすぎた漫画や映画というものが原因の一つになっている気がする。

もっともっと独自の感性を、自分なりのユニークな世界観を出していってほしい。自分もそうしていきたいと最近強く思う。

まさしく、嘘の歴史やメディアから自由を勝ち取った人々として、自分らしい人生を生きてほしい。ライフスタイルを自分なりに見つけていく戦いを漫画の主人公のように生きていかなければならないと思う。

今回は進撃の巨人とワンピースがあまりにも似すぎているという点で違和感を感じた。あなたにはあなたの感想や感じ方があると思う。それを大切にしてほしいと願う。

進撃の巨人 VS ワンピース Vol.2 〜相違点〜

Vol.1の続き

大きな相違点として大きな二つのテーマ。

「世界観」と「真実の先」

絶望がベースとして描かれている進撃の巨人。巨人達がいつ自分たちを侵略してくるかという恐怖を常に抱えながら生活している。その絶望の中、自由と幸福を求めギリギリの精神の中で戦う。

平穏がベースで特に生活に大きな不自由はない中、自由を求めて海へ飛び出した。もちろん海賊からの侵略には怯えながらというのはあるが巨人ほどの不気味さは無く、同じ人間としての恐怖。

この違いは実社会においての作者の捉え方の違いかと思う。

現実の実社会が絶望の中生きているという感覚が進撃の巨人の作者諌山氏にはあるんではないだろうか?この絶望の中、小さな日常を生きられる事を幸せと呼ぶのか?風が吹くだけで吹き飛んでしまう日常に幸せを求めていていいのか?という大きな疑問のメッセージを感じる。

あくまでもそれが普通であるという生活の中、そこに本当の自由は無いのでは無いかというイメージの尾田氏。革命を起こしたいという願望よりも本当の自由を掴み取りたいが為に戦うという様子。その障害に支配者層があるのでぶっ飛ばしてやる!というのが他の人々が考えていた革命とたまたま意見が合う。という様子。

絶望から這い上がる為の自由への必死さと、自分や周りの為の自由に自発的に戦う様。これが世界観のおおきな違いかと思う。

巨人の謎の先には、人類そのものの「悪」や「闇」が見え隠れする。全てを知った者があえて今の世界を作り上げた。つまり全てを知った上で人々が幸せに暮らすにはこの世界が最善だとしての判断。そこには一般人には計り知れ無い暴走性と「闇」がある故に支配される事を選んだように思える。

自由を勝ち取り、全てを知った先代海賊王。病の縁ということもあり世界を変えるよりも次の海賊王に決断を委ねる。この時点ではその真実が「闇」なのか、「光」なのかは推測できない。

今を生きる人々が現代社会を絶望と捉えているか、あくまでもそれが普通で、さらなる自由を求めて戦うのか?もちろん両作者ともこのメッセージが強くあり、戦おうぜと言っているような気がする。

その先に二人の作者を選んださらなる上の層の話をVol.3でしたいと思う。