征夷大将軍

日本の権力者、政治を司ってきた系譜を「征夷大将軍」というキーワードで見ていこうと思う。

 

誰でも聞いた事がある将軍の名前。でもどんな将軍なのか細かく見た事は意外にないかもしれない。そもそも名前の意味はなんだろうか?

 

名前の由来は中華思想からきている。中華思想とは、中国が宇宙の中心で我らこそが神聖な民族である、という自民族中心主義。そして中国から離れた4方の人々は獣であったり、野蛮な生き物と勝手に決めつけ、敵とみなしていた。中国の中心より東に住む人々を「東夷」南は「南蛮」、西は「西戎」、北は「北狄」。その中国の言葉を取り入れ、日本の「東夷」を征伐する部隊の大将軍として任命される征夷大将軍。日本にとって東の敵とは蝦夷(えぞ)の事であり、当時は北海道の事であった。その討伐の際、天皇の代理として最高権力を有するため、事実上の天皇を除いたNO1の存在となる。

 

 

西暦700年ごろに征夷大将軍は始まり、長きに渡ってその大役は受け継がれていった。有名な人物として、大伴家持、坂上田村麻呂、源頼朝、足利尊氏、徳川家康などがいる。皆歴史の時間に聞いたような名前である。天皇の息子である親王(という敬称で名前ではない)も征夷大将軍に任命されている事も多くあった。

 

武に関する全ての権力が一人に集中し、絶大な権力者となる。そのため、日本の絶対的存在の天皇の地位さえも奪おうという事件もあったが、現在まで天皇制は続いてきた。その武の力を元に武家制度が日本では長く繁栄し、幕府という政治体系が続いた。

 

摂政・関白や太政大臣なども強大な権力となるが、武の威光も持ち合わせる征夷大将軍はやはり一味違うポジションとなる。現代風に言うと、全軍隊総司令官のようなポジション。一言で全戦力を動かせるような権力。

 

絶対王の天皇を中心とする日本を治める組織が「朝廷」。その「朝廷」(天皇)から使命を受け征夷大将軍として実権を持ち、日本の統治を実際に行う「幕府」。つまり

天皇=「朝廷」 〉 将軍=「幕府」

という構図が続いていた。その根底には、前に出てきた記紀(古事記と日本書紀)を日本の伝統とする考え方がしっかりとあったからでは無いかと考察する。フランス革命やロシア革命では実際に権力者が王族を撃破し、国を治める王が血筋ごと変わっているが、日本は《あまてらす》から受け継がれた天皇が現代も君臨している。

 

しかし、征夷大将軍もその長い歴史に幕を降ろす事となった。日本史に名を残したのは、徳川慶喜(よしのぶ)。生まれた時代が悪かったのか、動乱極まる幕末の将軍として、征夷大将軍の幕を下ろした。

 

征夷大将軍をめぐる権力争いはさまざまな争いを生んだ。が、それゆえにまた平定も生まれた。織田信長が征夷大将軍になれたけどならなかった、という説や、豊臣秀吉は農民出身だったからなれなかったとか、徳川家康は家系図を無理やりいじって征夷大将軍になった、とか。

 

その争いの一つの観点として、また日本の歴史を見る中で面白い2大政党が存在する。それが源氏と平氏。これもまた学校の社会で聞いた事のある話。次回はそれをゆっくり見ていこうと思う。ちなみに、これは今も続いていて、前にちらった出てきた、皇居に楠木正成の銅像につながる。南北朝時代にも大きな影響を与えている話となる。

フリースクール

FREE、自由の意味とは?

あくまでも人間が、イメージや概念を言葉にしたもの。リンゴや太陽みたいな物の名前の言葉なら誰でも同じ物を思い浮かべるが、イメージや概念は人それぞれ思い浮かべる物が違う。

それでもあえて意味を言葉にすると、「したい事をする。」というのが、自由では無いだろうか?

最近のテーマである憲法にも多くの自由が保障されている。

表現の自由・職業選択の自由・信教の自由・経済活動の自由・・・

「自由」という言葉が出てくる時にセットで出てくる言葉。「義務」「責任」

 

憲法で言うところの、

納税の義務・勤労の義務・教育を受けさせる義務、など

 

法律では責任に対して、

公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする

というものがある。

 

つまり、原則したい事をしていいんだけど、国民としての義務と、周りの迷惑にならないように責任はとってね!と、というのが今の日本の自由という事になりそうだ。

 

で、今回はその教育の部分。最近ではタイトルの「フリースクール」また海外では「ホームスクール」というものが増えてきている。

 

「フリースクール」は簡単に言うと、子供がしたい・学びたい事を自ら学ぶ為にある学校。「ホームスクール」は、文字通り、自分の家に先生を呼んだり、親が勉強を教えるという教育のあり方。

 

不登校・ひきこもりという言葉がどこにでもある世の中。ひと昔前を考えて見ると、学びを受ける・学校に行けるというのは裕福な上流階級の子供だけの特権のような機会だった。

 

それが、国が豊かになり、皆が読み書きできるように、計算ができるように、歴史を知れるように、いろいろな技能を身につけられるように、政府が教育に力を入れてくれている。

 

今でも、世界の多くの国では子供を学校に行かせられない親がたくさんいる。もちろん、日本にもいる。経済的問題、両親を亡くし里親に預けられた子供、事情は様々なようで、学校に行きたくても行けない。

 

ちなみに、BESOの父親も高校に行きたかったが経済的理由で行けなかった。15歳にして働くしか道がなく、大阪に出てきた。これは父親が珍しいわけではなく、周りの若者も皆学校に行けたわけではないと言う。戦後すぐの日本という事もあったかもしれないが、1世代違うだけでこれだけ違う。

 

そしてこれからの学校を考えた時に「フリースクール」に道を見出したい。したい事を学ばせてくれる。子供の成長力というのは、大人には計り知れない。その成長力を最大限に発揮するのはしたい事をする時なのだ。しなければならない事をする時にその力は無い。

 

そしてその中で、なんでもしたい事をすればいい。というのでは無く、周りでしたい事をしている友達や周りの人と触れ合う。すると自然に話し合いの方法や、相手の自由を奪わない感覚が身につく。そこには「情」という概念が生まれる。友情や愛情、あいてへの思いやり。それがなければ自由では無く、責任の取れない身勝手。その違いを周りの人達と共に学べるのがフリースクール。という一つの学校としての形。

 

義務教育という有難い制度。基本となる授業料と教科書は国が負担してくれる。国語・算数・理科・社会・体育・技術・家庭科・音楽・英語をタダで教えてくれる。その中で、団体行動のルールや周りとの協調性も身につける。

 

昔の子供の時から親の仕事を手伝っていた時代からは考えられない世の中かもしれない。

 

しかし、逆にこの「義務」という言葉が悪循環を生んでいる。

 

本来は、子供がその勉強をしたいから学ぶのが本来の姿だ、と。しかし、頭ごなしに6時間ビッシリと決められたしなければならない授業は次第にしたくないのにやらなけらばらない嫌いな授業に変わっていく。しかも、30人40人単位のクラスに1人の先生。一人一人の進度にズレが出るのは当たり前。しかし、全体の平均かもしくは先に進んでいる子に授業の進度は進む。まるで、ついてこれない君が悪い。と言わんばかりに。

 

ACミランで活躍する本田圭佑。中学生年代のサッカー選手に「夢を夢で終わらせない為には、必ず叶えるという強い意志が大切。」と語る。おそらくほとんどの成功者が同じとこを言うだろう。

 

夢とは自分がなりたい事やしたい事。授業に遅れている生徒の夢が、その授業を理解し、先生のスピードについていく事。とは到底思えない。本人にしてみれば好きでもない学校の授業なんて、遅れたって何も構いはしない。構うのは周りの人たちで、親や教師や親戚。こんなままじゃいい高校に行けないよ!と

 

行けなくても構わないではないか。本当に大切な事が学べていれば大丈夫だと思う。本当に大切な事とは、したいと思う事をしっかりとできる事、それを発言や行動に移せる事が大切なんではないかと思う。

 

今の世の中の風潮として、しなければならない事を出来る人は多いが、したい事を出来る人は圧倒的に少ない。皆、口を揃えて「でも、それには◯◯が、だって⬜︎⬜︎が」その障害をどうにかする事を学ぶのが「教育」なのではないかと思う。

 

数学の問題を解く。この障害の越え方を公式や定理で解く。歴史を学ぶ事で、今までの生きてきた人達はどのようにこういった障害を越えてきたのかを教わる。自然界ではどのような摂理で成り立っているかと学ぶ事でその障害を超えるヒントを得る。

 

生きている限り障害が現れる。自然災害・人間関係・経済活動、そもそも生きていく為の食べ物に困る事も出てくるかもしれない。その様々な障害を超えられるようになるのが「勉強」である、越えられるように育ててあげるのが「教育」なのではないかと思う。

 

ここ最近、そういった教育に関しての新たな流れを感じる。決して他人事ではなく。自分の子供やこれからの日本を背負っていく若い世代が今までの日本を支えていかなければならない。しかしそこには、今までの日本国民が生み出してしまった多くの「業」という障害が立ちはだかってしまう。環境問題・放射能・年金・外国人所有地・米軍基地・・・。これらを上手く解消していかなければならない。しなければならないと思っていては多分できないと思う。したいと思える人だけが出来るのでは無いかと思う。

岡 潔 おか きよし

天才的数学者の一人を紹介する。

岡 潔 (おか きよし 1901ー1978)

数学のことは詳しくないので、彼の功績が数学的にどれほど進歩をもたらしたかは、申し訳なくも実感がわかない。だが、フランスへ留学した後、日本へ帰り、各大学から教授に来て欲しいと依頼を受け、何校もの大学を渡り歩き、教育と研究に明け暮れた。

日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹も彼の講義を受け「物理よりも刺激的だった」と語っている。

彼が放つ特殊な存在感の源はここにあるんではないだろうかと思う。理や定義を追い求める数学者。にもかかわらず、愛、情緒、こそが人間の本質だと言い続けていること。

多くの著書の中でも「春宵十話」という随筆は晩年に出され、彼の心情や人生を振り返った思いが綴られている。

「春宵十話」でもそういった、目に見えない存在は、得てして人間が生み出すものや、行動に色濃く表れるものだとし、多くの作品に対しての所感を述べている。

その中で、特に目を引く二つの事。それは「情緒」と「教育」。

「情緒」とは日本人が古くから、大切にせずとも心の中に宿っていたもの。それが形になった「歌(短歌)」や絵画。特に万葉集や源実朝の歌に対しての「情緒」のあふれ方に感銘を受けている。

夏目漱石や芥川龍之介らの作品ににじみ出る「情緒」にも触れている。

「本物と本物でないものの差」というのが、その作品の背景にある想い。という風な意見にも取れた。

そして、日本人の情緒が薄れ、物質主義・資本主義に侵されている現状を憂いていた。が、最終的に死ぬ間際には、妙な安心感が日本の将来を覆っていると楽天的な意見に変わっていた。

もし彼が今生きていて、この2016年のポケモンGOを見たら何と言うのか聞いてみたいところでもある。

「教育」者として多くの大学に在籍し、弁を振るった人生でやはり、「教育」の本質を考える事が多かったようだ。

奈良女子大に在籍した際には、女性の教育、という考え方も深く考えたようだ。

また、戦争を体験し、太平洋戦争の戦中は理性で生きられたが、厳しい戦後を生き抜くには宗教が必要だったと、仏教にも入信していた。

宗教についてはフランスでの留学で海外の宗教観にも触れ合っていただろうし、数学者としての宗教観という新しい宗教観もあったかもしれない。

宗教も含め、子供に対してどう教育をしていくかという事も彼の人生が後世に残してくれた財産のひとつになっている。

義務教育とはどうあるべきだろうか、という議論や、絵画や俳句・歌などの感性や情緒をどう教育としてどう伝えていけばいいのだろうか、と語っている。

最終的にBESOは何が言いたいか、というと、最近「情緒」について、深く考える。

そして、現代・近代・近世の人たちが口を揃えて言う事がある。「情緒は歌に詰まっている」。

たったの「5・7・5・7・7」「5・7・5」の言葉の中に、風景の描写・感動・音韻の心地よさがこれでもかと詰め込まれている。

これを詠めた当時の人たちの原動力は、やはり心の豊かさではないだろうかと言われている。

それを無くしてきてしまった、平安時代以降の日本人。それを忘れてならないと書き伝えてくれた古文書。

それを受け継ぎ、新しい形に変えた正岡子規。伝統を守り、それを超えるものを生み、新たな道に進む「守破離」の理念を文学から学ばなければならないと感じる。

天皇と日本神話 Vol.5 〜生前退位と覚悟〜

ここまで見てきた古事記(一部日本書紀も)。参考にさせてもらった分かりやすいページをご紹介。

古事記ラノベ風

http://kojiki.co

今までももちろん大事だが、BESOが本当に言いたかったのはここから。この記事を書くために必要だった準備のVol.1〜4。という段取り。

では。何が言いたかったか。

それは、天皇という存在と生前退位を発表したという事実。

神話の中では、日本を治めるために天から降りてきた《あまてらす》の子孫という存在。それが、現代の位置付けを見ると、憲法に

日本国憲法第1条
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

平たく言うと、日本という国と日本国民そのものという意味の存在。そしてその存在は日本をどういう国にしていくか決める主権を持っている日本国民全員の意思の上にあると。

その天皇は死ぬまで天皇を「辞められない」という暗黙のルールがある。約200年間、近代の日本の天皇の中で誰もしなかった流れを破り、「俺、天皇辞めるから!」と言った真意をまとめてみる。

1、発表した時期
年齢的な問題もあるが、安部自民党の改憲派が単純計算で2/3議席以上となった参議院選挙直後。

2、公言された意図
被災地や地方にも自ら足を運び触れ合ってきた日本各地で生きる人々。高齢になった今、天皇の国事行為をしながらこういった人々と触れ合っていく体力の衰えを感じる。
また、天皇が崩御した場合次の天皇や関係者は1年間葬儀や事務手続きに追われてしまう。このわずらいをどうにかできないものかと。

3、覚悟
発表した際に出る意見は予想されていた。200年ぶりに異例の発言をしたらどのような反対や反発がでるか?その背景には「皇室典範」という皇室のルールに生前退位が載っていないという部分もある。象徴であり、直接的に政治や活動をしてはいけない(言い方を変えると選挙権すらない不自由な身)存在の自分が日本を揺るがす大きな発言をした。

これらから導き出される一つの考え方として言われている明仁天皇の狙いは「憲法改正」阻止と言われている。

「皇室典範」に無いことをすると「皇室典範」の作り直しが急務となる。それをやりながら「憲法改正」を同時にすることはできないだろうと。

これが、ただの引き伸ばしなのか、次の一手の為の布石なのか、子供のような駄々をこねたような行為なのか、真意は天皇陛下と関係者にしかわからないかもしれない。

しかし、その覚悟を見て欲しい。

天皇が死せずして変わる。これは日本国においては重大な変化の時である。何かが起きていると日本国民は感じなければならない。

何が起きているかは周りをしっかり見て感じれば自ずと見えて来ると思う。テレビやオリンピックばかり見るのではなく。

やっぱり一回でまとめることはできなかったので、継続してポイントとなる出来事をこれから見ていこうと思う。

自分の中ではこの件に関してまだモヤモヤしている部分がある。それは、何か得体の知れない大きな動きやうねりが日本を襲っているのに自分にはその正体が見えていない感じがあるからである。

大海原を航海し、いきなり嵐がやってきた。嵐がやって来たという事はわかる。しかし、いつ晴れるか、それが台風なのか竜巻なのかただのスコールなのか分からず不安になっているような感じ。

代々《あまてらす》の子孫として継承されてきた世界で一人だけの天皇。その天皇の血脈とそこにまつわる事件に次回からスポットを当てていこうと思う。

天皇と日本神話 Vol.4 〜記紀とそれからと現代〜

「景行天皇」に気に入られていた息子の《やまとおぐな》。この頃から奈良周辺の朝廷は「大和(やまと)」と呼ばれていた。《おぐな》とは少年という意味。しかし、可愛い少年だった《おぐな》は天皇である父親を喜ばせようと、反抗的だった兄を血も涙もないかと思わせるほど冷淡に殺してしまう。

「景行天皇」は次第にその精神性の異常を恐れ始める。そして、熊襲(九州南部、熊本あたり)で朝廷に反抗的な《くまそたける》兄弟討伐という無理に近い難題を武器も持たせずに押し付け、殺されてしまうように謀った。

少年の風貌を逆手に取り、女装して討伐に打って出た《おぐな》。可憐な少女と思わせ、懐に忍び込み、冷徹に《くまそたける》兄弟を討伐。《くまそたける》の弟は死ぬ間際に

《くまそ弟》「《たける》とは一番強い男という意味だ。死ぬ身だが、朝廷にこれほどつよい男がいたとは恐れ入った。いつまでも《おぐな》と呼ばれれば大人になった時に困る。これからは《やまとたける》と名乗れ。」

と名をもらい、《やまとたける》が熊襲で誕生した。「景行天皇」に褒めてもらおうと九州からの帰りに、山、川、海の神と昔から因縁のある出雲まで平定して帰った。しかし、またしても褒めてもらうどころか、今度は東方12国の討伐に行かされた。今度ばかりは厳しそうだ。

前回の熊襲討伐の前にも立ち寄った伊勢に再び訪れた。(前回の女装は伊勢で《あまてらす》に添い遂げる「景行天皇」の妹《やまとひめ》に仕立ててもらった。)そして今回は大変な討伐に秘策をと、火打ち石と草薙の剣を授かった。

《やまとたける》は歴史上最高峰の英雄として語り継がれている。その影響力の大きさは名づけられた多くの地名からも分かるかもしれない。東方12国の平定を成し遂げ各地で伝説の戦いを終え、その逸話を元に各地の土地が名付けられた。例えば、「焼津」は火打ち石で焼き払った土地で、「三重」は戦いの末ボロボロになった足が「三重に」折れそうだと歌った場所。などと言われている。

自分が「景行天皇」の元へ帰る事は望まれていないと悟った《やまとたける》は白鳥となり天に召されたと言われている。

「景行天皇」も崩御された。137歳と言われまだ半神の天皇。《たける》の異母兄弟「成務天皇」が即位。しかし、彼で天皇系直系(天皇の息子)が途絶える事となる。ついで即位したのが「仲哀皇太子」、《たける》の息子という事で皆は大歓迎だった。そして天皇の血も引いている「神功皇后」と結婚。

再び、《たける》のような武勇伝が始まると思うや否や、今までにない展開に。

なんと巫女のような能力をもった「神功皇后」は憑依している間に「仲哀皇太子」を殺してしまった。その乗り移った神は

≪憑依している神≫「これからの事は「神功皇后」に身ごもった子に全て託されよ。これは《あまてらす》の意向でもある。そして国つ神、天つ神、山川海の神、全てに供物を捧げ、海を越え西を平定しろ。」

つまり朝鮮出兵を言い渡された。そして船に神々を祀り、海を渡ると神羅王はあっさり服従。こうして、神羅・百済・高句麗は朝貢を結ぶ。神話にも朝鮮平定の話が出ているぐらいだから現代でも争いが絶えなくて当然かもしれない。が、この話ではすんなり調停を結べている。争うような事は必要ではないのかもしれない。神話時代のエピソードを超える関係を現代人は作り上げる事ができるのだろうか?!

天皇は予言通り神功皇后の息子「応神天皇」に引き継がれた。子宝に恵まれた「応神天皇」。それは即ちまた次の天皇を巡って覇権争いが起きるという事。末っ子の《うじのわき》が「応神天皇」より次期天皇にと賜っていたが、長兄の《おおやまもり》が謀反を起こす。次兄だった《おおさざき》は《うじのわき》をサポートするように言われており、「応神天皇」と仲が良かった《おおさざき》は言葉通り《うじのわき》を支え、《おおやまもり》を退けた。

しかし、《うじのわき》は《おおさざき》こそ天皇になるべきだと駄々をこねた。そうこうしているうちに体の弱かった《うじのわき》は死んでしまった。そして《おおさざき》が即位し「仁徳天皇」が誕生。このあたりから学校で習う歴史上の天皇に近づき始める。仁徳天皇陵といわれる古墳も存在するように現実に形が残っているものが増えてくる。

「仁徳天皇」は多くの功績を残したと言われている。民の声を聞き、民と寄り添う政治を行ったと。大阪の難波あたりの山に都を作った。が、その山から見る町々から夕飯時に煙が立たない事を不思議に思った。民は日々のご飯に苦しむほど貧窮していたのだ。

「仁徳天皇」「こんな状況では税など課せられない。苦役も行かせられない。これよりここら一帯は課税も苦役も無しじゃ!」

と自らも貧困の生活を敢行した。そんな生活が3年ほど続き、やせ細った体で再び山から街を見下ろすと煙が上がっていた。そして、再び税を課したが民は誰一人不平はあげなかったと言う。いつしか「仁徳天皇」は聖帝(ひじりのみかど)と呼ばれるほど民衆から慕われていた。

彼もまた多妻な生涯だった。それゆえ恋のトラブルもつきものだった。《いわのひめ》という妃がいながら、《やたのわき》という別の女を多くのいる女性の中でも特に可愛がった。その子の為にと「八田部」という朝廷で働く人の役職を設けた。その「部」が苗字として誉れ高い苗字として現代に引き継がれている。

83歳で崩御。聖帝も今までの天皇と比べれば寿命が短くなってきた。ついで、天皇となった「履中天皇」も64歳、続いた「反正天皇」も60歳。このあたりから寿命でいうと人間の天皇というイメージになってきた。

が、その後の「雄略天皇」は124歳と長くまだ完全に人では無いようだ。「雄略天皇」の元にはまた《あまてらす》が訪れ、今度は「一緒にお供をしてくれる神も欲しい」と駄々をこね、伊勢神宮に豊受大神《とようけのおおかみ》という《いざなみ》の孫を祀らせた。こうして伊勢神宮の内意宮には《あまてらす》、外宮には《とようけのおおかみ》が祀られるようになった。

その後「仁権天皇」が即位する。そしてそこから「推古天皇」までは取り立てた功績もなく飛ばされる。この間10代を欠史十代と呼ぶ。そして代33代「推古天皇」が即位したのが593年と言われている。飛鳥時代と呼ばれる時代。ここから奈良・平安・鎌倉・室町・安土・江戸・明治・大正・昭和・平成となる。

ここまでが古事記に書かれている神話。長い長い神話。その神話が忘れないように伝えられてきた。もちろん辻褄の合わないことや、改ざんされたであろうことは多々有る。いつの時代も権力者が都合のいい様に歴史を作り変える。この古事記ですら全くの嘘という可能性もある。

大事なのは、その精神性。神々を大切にしてきた日本。仮に古事記が嘘だとしても、式年遷宮は1300年も続けられてきた。日本各地の祭りも五穀豊穣を神に感謝するために執り行われ続けてきた。この長い深い歴史に外国の様々な文化がこれから入ってくる。

はじめに大きな影響を与えたのが仏教。もしくは儒教。この頃から各地でお寺も立てられる様になった。そして一辺倒にならず神道を残しながら仏教を取り入れるという世界で類を見ない精神性が生まれ始める。

ここまで見てきて天皇の始まりは半神半人であるが、神と人間のはっきりとした境目というのはでてこない。《あまてらす》の血を引く代々の子孫ということになっている。(実際にはおそらく、途絶えているが)。

そして田布施システムや明治天皇の謀略などが最近では大きな事件となっている。最終回のVol.5ではそのあたりをまとめとしてみたいと思う。

天皇と日本神話 Vol.3 〜神々と遷宮〜

いよいよ『天皇』が日本に生まれた。神々(主に《いざなぎ》と《いざなみ》)が作り、収めようとした日本。紆余曲折を経て日本で生まれた神「国つ神」が治めていたが、《いざなぎ》と《いざなみ》が元々治めるように使命を受けていた通りにしようと《あまてらす》は天で生まれた神「天つ神」が治めるように進めた。

天つ神として葦原中国を治めるため天から降りてきた《ににぎのみこと》。天照《あまてらす》の溺愛していた孫が地に降りてきたので、天孫降臨と呼ばれている。そして日本をおさめていた国つ神《おおくにぬし》は《ににぎ》に国を譲った。

《ににぎ》の孫にあたる神日本磐余彦《かむやまといわれひこ》が「神武天皇」として初代天皇となる。現天皇まではもう少し。初代天皇は半分神の存在。現在のような神でなく人間の天皇になるまでの流れを見ていこう。

ーーー

《ににぎ》は、自分を大好きな《あまてらす》も見届けやすいように、日が良く見える日向に降り立った。早速《ににぎ》は山の神の美しい娘、木花咲耶姫《このはなさくやひめ》と出会う。そして結婚する。(この際、姉の磐長姫《いわながひめ》も一緒に娶って欲しいと申し出があったが美女でないという理由で断った。それが理由で、寿命の無いはずの天つ神《ににぎ》は《いわながひめ》の呪いのようなもので寿命が出来てしまったと言われている。)

3人の子供、火照命《ほでりのみこと》火須勢理命《ほすせりのみこと》火遠理命《ほおりのみこと》が早々に生まれた。《ほでり》は釣りが得意な海幸彦、《ほおり》は狩りの得意な山幸彦として名が広まった。(なぜか次男の《ほすせり》はあまり名前が出ず、これからもストーリーには出てこない。)

神話に兄弟が出てくると必ずと言っていいほど兄弟喧嘩が起きる。《あまてらす》と《すさのお》のような事が二人にも起き、山の子VS海の子の争いが起きる。

結果は山の子《ほおり》の勝利。まさかの海の神の娘、豊玉姫《とよたまひめ》を味方につけ、意地悪な《ほでり》を撃退。兄を服従させ、見事日向の国を治めた。

《ほおり》と《とよたまひめ》の間には不合《あえず》(フルネームは長すぎるので)が生まれた。しかし《とよたまひめ》は海へ帰ってしまった。代わりに妹の玉依姫《たまよりひめ》によって育てられた。《たまよりひめ》は《あえず》を溺愛し、《あえず》も《たまよりひめ》が大好きだった。

《あえず》「僕、大きくなったら《たまよりひめ》と結婚するー。」

《たまよりひめ》「大きくなるには好き嫌いせずなんでも食べないといけませんねー。」

などと冗談を言っていると、大人になった《あえず》は本当に《たまよりひめに》に求婚。あまりの本気さ情熱に周りも仕方なく応援し、結婚する。(《たまよりひめ》は縁結びの神として現在下鴨神社に祀られている。)

そして待ちに待った《かむやまといわれびこ》が生まれた。(他にも3人の子が生まれた。)

ここまでは現在の宮崎県にあたる日向でのストーリー。日向は平和な日々が流れていた。が、本島である東の方では国つ神が民を虐げているという話も耳にする。さらにせっかく天つ神が日本を治めているのに、こんな西の果てにずっといたんじゃみんなに忘れ去られてしまう、という話になりいざ東方遠征へ。

頼りになる兄の《いつせ》を先頭に東へ向かう一行。実際に来てみると、本当に国つ神が悪さをしているでは無いか。しかも、奈良のあたりにたどり着いた彼らは衝撃を覚える。那賀須泥毘古《ながすねびこ》率いる一家はかなり強かったのだ。

久米兵と呼ばれる屈強な兵達を連れて来ていた彼らだったが、相手の猛攻に《いつせ》までもが倒れてしまった。一旦、体制を立て直すため南へ下り《あまてらす》の見守る太陽を背に戦うことにした。そして一度迂回し、熊野へ向かった。

今度は、大熊と遭遇。大熊の毒にやられ味方兵達が倒れていく。すると、高天原から救いの手が差し伸べられた。悪い神を倒してくれる剣を持ってきてくれ、見事大熊を退治。

さらに、深い熊野の森で迷わぬよう道案内をする一匹のカラスを。これが八咫烏《やたがらす》。(THE COIN)を読んでもらった人は少し話が繋がってくるんではないかと思う。)

そして奈良周辺の荒くれ者達を制圧しながら、見事《ながすねびこ》にリベンジ。するとその親玉がいた。饒速日命《にぎはやひ》という天つ神がいた。彼も天つ神だが《あまてらす》の子孫ではない。むしろ、《あまてらす》の子孫に仕えたいということで以後、《いわれびこ》に仕える。(《にぎはやひ》は歴史上の物部氏、穂積氏らの始祖と言われている。《ながすねびこ》の末裔は織田家とされており、武の強さは彼からきていると言われている。)

こうして奈良を中心に日本全国をまとめ上げ、天下を治めた。そして奈良の橿原に大きな宮を築き、初代『神武天皇』として即位した。また、早速結婚し、子供が生まれる。歌の上手な伊須気余理比売《いすけよりひめ》と結ばれ間に3人の子供を授かり、137歳で崩御(天皇・皇后・皇太子・太皇太后が死ぬことを。)

ここから、代々《あまてらす》の血筋で天皇が引き継がれていく。しかしそこにも「天皇」の地位をめぐるドロドロとした権力争いが起きる。(神の世も人の世もあまり変わらないのかもしれない。)

続いて事件が起きるのは10代目天皇「崇神《すじん》天皇」。10代目になったがまだ平定していたのは関西より西ぐらいだった。しかも奈良周辺に謎の疫病が流行し窮地に立たされていた。すると神が降りてくると言われている神床に《おおものぬし》が現れて、この疫病は自分のせいだと言う。自分を祀ってもらっていた三輪山の社が老朽化しているから立て直して欲しいと。

すると疫病もすっかりよくなり一件落着。と思いきや今度は久しぶりに《あまてらす》が現れた。さすがの崇神天皇もびっくり。

《あまてらす》「相性の悪い《おおものぬし》が元気になったから今度は私がここにいづらい。」

そんな理由で、八咫の鏡を通して現世を見ていた《あまてらす》の引越し先探しが始まった。

このあたりから日本の教科書の歴史ともかぶり始める。学校の歴史の最初の頃の有名人といえば「卑弥呼」。彼女と時代が被っていると言われていて、時代的に矛盾が生じていると言われている。今となってはどちらが本当でどちらが空想で、はたまた両方ただの物語かわからない。が、こういう話が言い伝えられているということだけ知ってもらえればそれでいいのだと思う。

次の天皇は息子の「垂仁《すいにん》天皇」。彼には溺愛の子供、本牟智和気《ほむちわけ》が生まれた。しかし、彼はなぜか生まれつき聾唖だった。すると今度は神床に《おおくにぬし》が

《おおくにぬし》「国譲りの条件に《あまてらす》が出雲に社を作ってくれるって約束は知っているよね?あれから何年経ってると思う?息子が喋れないの実は僕の呪いなんだよね。」

つまり社を立て替えて祀ってくれ!という願い。早速、天にも届く出雲大社が出来上がり以後老朽化しないように60年ごとに建て替える(これを式年遷宮という)ように決められた。

そして《あまてらす》の引越し探しも見つかった。あれから90年後とも言われている。(ちなみにこの90年の間で伊勢に行く前の引越し先とされているところが「元伊勢」と呼ばれ今でも祀られている。)

《あまてらす》「この神風の伊勢の国は、常世(とこよ)の波の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ」

という声が聞こえ、伊勢神宮に八咫の鏡は祀られた。そしてそれは現在でもそのまま残っていると(最後に見たのは明治天皇でそれ以降誰も目にしていないとも)言われている。伊勢神宮も老朽化させないようにさらに短い20年ごとの立て替えが決められた。

ちなみに崇神天皇は立て替えのための資金や橋や道路の公共事業の為に税の徴収が始められたと言われている。この頃から、日本を治めるという実質の形も整い始める。

最近では2013年に伊勢の式年遷宮が行われた。なんと690年に建てられてから62回目で1300年間も続けられている。このあたりにこの日本神話が徐々に現代に生きる人にもリアリティーのある重みを帯び始めてくるのではないだろうか?

そして別の子供である「景行天皇」が即位し、物語はその息子の《やまとたける》に引き継がれる。

限りなく長いここまでだが、これでも省略している部分の方が多いぐらい。結局Vol.3でも現天皇までいけなかった。

が、このVol.3で出てきた大事な事として、神社・宮の由来と遷宮。もし、この神話がただの物語なら1300年もこの立て替えが続けられてきただろうか?もしかしたら途中でさぼっていたかもしれない。が、今でもやっているという事実が凄まじいと思う。もちろんこれにはお金も労力も半端なくかかる。

江戸時代には、一生に一度はお伊勢参りに行きたい!と言われるほど、人々にとって伊勢神宮の存在は大きかった。中には家財を売り払って出かける人もいたようだ。もちろん車も電車もない時代。個人では馬さえ乗れたかどうかも怪しい時代に。やはり《あまてらす》の化身である「八咫の鏡」の存在が大きいのかもしれない。

Vol.4に続く

天皇と日本神話 Vol.2 〜天つ神と国つ神〜

いよいよ主役は三貴神の時代となる。さらに初代『王』である大国主神に至り、天皇との関係を軸に見ていく。

Vol.1はこちらから。Vol.1.5はこちらから。
ーーー

冥界の黄泉の国へ行った《いざなぎ》は葦原中国(あしはらのなかつくに、この世の事)に帰ってくると自分の体に漂っている冥界の穢れに気付く。

《いざなぎ》「そういえば、筑紫の日向に穢れを落とすのに良さそうな綺麗な川があったな。行ってみよう。」

綺麗な水で穢れを落とす事を【禊(みそぎ)】と言う。すると、禊いだ結果《いざなぎ》1人から神が生まれた。身につけていた衣服や装飾品から12柱、水の中で自身を清めて11柱。そしていざなぎが生む最後の神三貴神が生まれる。左目を清めると天照大御神《あまてらすおおみかみ》、右目を清めると月読尊《つくよみのみこと》、鼻を清めると素戔嗚《すさのお》、が生まれた。

あまりにも力の強い素晴らしい神が生まれた事に《いざなぎ》はとても喜んだ。

《いざなぎ》「そなたらは素晴らしい力を持っている。これから世界を治めて行って欲しい。《あまてらす》は天である高天原を、《つくよみ》は夜の世界を、《すさのお》は大海原を、それぞれ治めてくれたまえ。」

これで自分も安心して引退できる。全てうまくいくと思ったのもつかの間、《すさのお》に任せたはずの海が荒れている。待てども荒れは収まらず、仕方なく海へ向かう事に。

《すさのお》はお母さん(いざなみ)に会いたいとだだをこねる。しかしそれは黄泉の国へ行くという事。それは認められない。あまりの聞かなさに《いざなぎ》は《すさのお》を日本から追放してしまう事に。

このあたりで《いざなぎ》は引退する。ストーリーは高天原に住む天つ神《あまつかみ》と葦原中国で生まれた国つ神《くにつかみ》が深く混じり合い展開していく。

《すさのお》は追放された後、高天原を治める姉の《あまてらす》に泣きつく。甘く許した《あまてらす》しかし、調子に乗る《すさのお》。ここで神の兄弟喧嘩が勃発。《すさのお》は海の次に天も荒らした。弟である《すさのお》さえ言う事を聞いてもらえないのでは、と天を治める身として自信を喪失。天の岩屋戸に籠る。

《あまてらす》が引きこもるとどうなるか。世界は闇に包まれた。困り果てた八百万の神々は相談し、協力し岩屋戸から引っ張り出す事に成功。世に太陽が戻り文字通り晴れて高天原に平穏が訪れた。ちなみに岩屋戸から引っ張り出す時に使った道具に常世の長鳴鳥《とこよのながなきどり》、八咫の鏡《やたのかがみ》、八尺瓊勾玉《やさかにのまがたま》が使われ、神器となった。

《すさのお》もこの事件を機に少し反省。だが、この騒ぎを起こした罰として《すさのお》は再び追放され今度は国つ神として細々と葦原中国で暮らす事に。

葦原中国で彷徨った《すさのお》は出雲にたどり着いた。そこには八岐大蛇《やまたのおろち》という大蛇にさらわれかけている櫛名田比売《くしなだひめ》がいた。一目惚れした《すさのお》は見事《やまたのおろち》を討ち取り《くしなだひめ》とめでたく結婚。

こうして出雲にも平穏が訪れ《すさのお》も落ちついて住む場所を定めた。ちなみに《やまたのおろち》を倒した際に尾から出てきたのが草薙の剣《くさなぎのけん》として知られる天叢雲剣《あまのむらくものつるぎ》で、反省の意味を込めて《あまてらす》に献上した。これもは後に三種の神器となるほどの力をもっていた。

そして、平穏無事に過ごした二人は子宝に恵まれ、子孫が繁栄した。ちなみに、古事記にはよく短歌が出てくる。昔の人や神話の世界では、まだ文字が無かったため心を表すのに歌をよく詠った。そして、日本最古の歌と記されているのが《すさのお》が《くしなだひめ》に詠んだ
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

そして話は数百年後の《すさのお》の6代孫・大己貴神《おおなむち》の話。いじめられっ子だった彼はいじめっ子親族に2度殺される。男前だった彼は別天神が救ったが、なんとか自分で力をつけなければ、と黄泉の国の手前に引っ越していた《すさのお》に弟子入り。

いまでこそ丸くなった《すさのお》だが、それでも修行は厳しかった。しかし《すさのお》の娘、須世理毘売《すせりびめ》のサポートもあり、見事成功。そして、《すせりびめ》を連れ出し駆け落ち。しかし、《すさのを》は大事な娘を連れ去った《おおなむち》を必死で追いかけた。

《すさのお》「殺すつもりで与えた試練をよく乗り切った。《すせりびめ》との結婚も認めよう。しかし結婚の条件がある。葦原中国の国づくりをしろ。名前も新たに大国主神《おおくにぬしのかみ》と名付ける。」

男前の《おおなむち》は《おおくにぬしのかみ》として、各地に遠征し子を産んだ。総勢180を超える子を産んだとされる。そう言った意味でも大きな国に発展させた。ちなみに彼が日本初の『王様』とされている。

『王』とはその土地を治めるトップに立つ存在として、さらにその上の存在である神から認められたという意味でもある。この場合は元天つ神の《すさのお》が国つ神の代表として《おおくにぬし》を『王』として認めた。このあたりから『天皇』の概念に近付き始める。

ここからストーリーは 国つ神VS天つ神 という 神VS神 の戦いが繰り広げられる。
見事に日本を治め始めた《おおくにぬし》に対し、

《あまてらす》「でも、元々は《いざなぎ》と《いざなみ》が国づくりを任されたわけでしょ?やっぱり日本は天つ神が治めないとダメじゃない?」

と《あまてらす》は天つ神を葦原中国に送り込むことで始まる。しかし、いじめられっ子から急成長した《おおくにぬし》は一筋縄ではいかなかった。巧妙に天つ神と渡り合う。だが、最終的には天つ神には逆らえず国を譲る。その代わりの条件として作ってもらった大きな宮殿が出雲大社。故に初代王《おおくにぬし》はそこに眠っていると言われている。

そして天孫降臨と呼ばれる《あまてらす》の孫、邇邇芸命《ににぎのみこと》が天より地に下される。結果的には彼の孫が『天皇』の始まりとなる。次のVol.3では初代天皇『神武天皇』こと神日本磐余彦《かむやまといわれひこ》から現天皇までの系譜を見ていこう。

もちろん神話と現実を比べても笑話で終わるかもしれない。が、なぜこの神話が今でも語り継がれ、歴史を改ざんしてきた悪意ある人々がいるにも関わらず残っているのか。そのあたりも含めて考察してこうと思う。

天皇と日本神話 Vol.1.5 〜男女と宇宙の法則〜

Vol.1はこちら

日本の輪郭が出来始め物語はいよいよその日本をどう治めていくかという話。つまりこれは言い換えるとどう日本を政治していくかという話でもある。

そしてVol.1でも言ったけど、意外にも争いの連続。覇権争いや兄弟喧嘩、女性を巡ったトラブル。人間味に溢れる話に聞こえる。が、Vol.2に行く前に少し《いざなぎ》と《いざなみ》の補足を。

2神は男女神として国と神を産む際に、

《いざなぎ》「私の身体の余っている部分で、あなたの身体のできあがっていない部分を塞いで、国土を生み出すというのは、どうですか?」
《いざなみ》「では私とあなたでこの天の御柱で廻り、出逢った所でその交わりを行うとしましょう。ですからあなたは右から廻ってください。私は左から廻ってあなたに逢うことにしましょう」

混沌の沼に突き刺した矛で最初に出来た島「おのころ島」に降り立ち、天の御柱を立てる。そして結婚の為に屋敷も造った。その天の御柱を中心に二人は別方向から周り、出会い交わり合う。

《いざなみ》「何とまあ、素晴らしい男性でしょう」
《いざなぎ》「何と美しい娘だろう」

つまり現代の人間と同じようにSEXをして国と神を産もうという話。その行為を互いの足りない部分を補うという表現をしている。この考え方が大事だと、考古学者たちは口を揃えて言う。

互いの違いを愛し合い、水蛭子《ひるこ》という御子が生まれた。しかし背骨のグニャグニャした弱い子が産まれてしまった。失敗だった。神でも失敗するのだ。出来の良くない第一子は無かった事にし《ひるこ》を船に乗せ流し出す。(神も非道い事をするもんだなと。)気を取り直してもう一度子を産む。

が、体が泡のようにふわふわした子生まれ淡島《あわしま》と呼ばれた2人目も失敗に終わる。また無かった事にする。自分たちの子供はどうやら出来が悪い事に不安を覚え、原因を聞きに高天原にいる別天つ神に会い行く。

「女性である《いざなみ》から先に声をかけたのはよくなかった。」

との言葉。改めて、《いざなぎ》から声をかける事にし産まれてきた3番目の子が淡道之穂之狭別島《あわじのほのさわけしま》。いわゆる淡路島である。きれいな子が産まれ、喜んだ2柱は次々に島と神を生み続けた。

というのがVol.1の補足。

ここで大事なのが、『男と女の役割と宇宙の法則』。なぜ、女が先に声をかけたのが良く無かったのか?

神道にというのは宇宙の法則に従って生きる事で、皆が幸せに生きられるというのが第一の教義。男性は陽性で太陽の象徴であり前衛の存在。女性は陰性であり月の象徴であり後衛の存在。だから日本の夫婦観というのは夫がどしっと構え、妻は3歩下がってついていくのが自然と言われている。男尊女卑ではなく役割と法則の話をしている。

現代では女性の権利という意味で政治でも会社でも重要なポジションに女性を!という動きが高まっている。それは決して悪い事では無い。が、あまりにそれにこだわりすぎると大事な事を見過ごしてしまう事になる。

もちろん、男がしっかりしていないから女性が前面に出なければならない、という状況も少なからずあるかもしれない。もしくは、現代の風潮として男性が女性を下に見てしまってきたというのも事実かもしれない。だが、実際は男女が手を取り合い、お互いの足りないところを助け合わなければ子は生まれないし、幸せな世界は作る事ができない。

これを《いざなぎ》と《いざなみ》から学ばなければ第一子《ひるこ》の失敗を繰り返してしまうのが目に見えている。わざわざ神が失敗までして見せてくれた悪い例を人間がしてしまっては意味も学びもなく、救いもない。

これは現代の女性進出の現状を表しているかもしれない。女性がバリバリ働き、家の外に出る時間が増える。晩婚化が進み、また子供と触れ合う時間が減る。少子化と言われている世の中が本当なのかと疑いたくなるほどに。少子化なのであれば、女性は家で、子供を3人4人と生みしっかりと育てることに専念すべきなのだ。しかし、生活を送るための生活費を稼ぐために共働きが増えている。妻も働かなければ生きていけない、というのも現実のひとつ。そんな女性進出の社会を政府が作り出しているということにはたはた疑問を感じる。

もうひとつは、今の生活水準というものに疑問も感じる。全てが贅沢すぎるのではないかと。もちろん幸せに生きる上で身の回りの物や食べ物が豊富にある事は大切な事かもしれない。

だが、それよりも大切な事は健康に生きる事が出来、全ての物事に感謝して生きていく事ではないだろうか?そのためにも家族との時間、特に幼い子供は親の愛情に触れる時間がその後の人格形成にとっても非常に大切になるのではないだろうか?

もちろん社会で活躍する女性の権利もある。女は家で引っ込んでいろ!と一言で片付ける気もない。言いたいのは、様々な視野からライフスタイルを考えて欲しいということ。そして次の世代、そのまた次、その次と考えて欲しいということ。

女性が働くということは、その働き口が一つ減り男の働く席がなくなるということ。男は働かなければ使い物にならない。子も産めず、乳をやることもできない。子供はやはり母親の肌が恋しいのだ。

働きたい女性の気持ちもわかるが、本当に人間としての役割や宇宙の法則から考えて欲しい。中華の歴史では女性がトップに立った女帝政治はなぜか災いが襲いかかると言われている。

勇ましく女性から男性に声をかける事も珍しくない現代。しかし、ここに《ひるこ》の戒めがある事を忘れてはいけない。女性が出過ぎないというより男性がリードできていないと思う部分が強い。

目には見えない宇宙の法則が働いているからとしか言えないが、男が太陽・女が月の象徴ということを考えればわかる気もする。

太陽を軸に太陽系がある。水金地火木土天海が太陽を回る。そして太陽の光が全ての星を照らす。月は地球の周りを回る衛星。太陽に照らされて美しく輝く。月が前面に出れば太陽を軸に廻る太陽系がうまく回らなり、地球にも悪影響を及ぼしてしまう。だから女性は太陽系が、地球がうまく回るように陰に内に支えていかなければならないのかもしれない。

そんなことを言うと、男性はいつも前に出てかっこよくと言われるかもしれないが、逆にどんな危険があろうとも、どんな嵐が吹きすさぼうと前に出て家族を外から守らなければならない。それほどの試練が多く待ち構えているという意味では男性も過酷な人生。それはどっちがいい悪いではなく性質の問題。

だが、女性にも男勝りな人もいる。男にも女のように優しい人もいる。そういった人たちは自分で自分の性質を見極めた上で、いろいろな法則を体験し、道を選べばいいと思う。

《いざなぎ》と《いざなみ》から学ぶことは多く、様々なことの原理・原点としてこの話を語り継いでいかなければならないと改めて思う。

天皇と日本神話 Vol.1 〜神々の系譜と岩戸開き〜

8/8に生前退位の意思を発表された天皇。少し天皇について考えて見る。

そもそも天皇とは何か。誰か。そして生前退位とは。

天皇について考えた時いろいろな要素から成り立っている事に気付く。
その中でも今回は

・天皇が生まれた系譜である神話、
・現代の日本という国における位置付けの天皇、

という2つの視点で見てみようと思う。

“天皇と日本神話 Vol.1 〜神々の系譜と岩戸開き〜” の続きを読む